塔10月号「十代・二十代特集」を中の人約一名が好き勝手に読む2014[第3回]

「塔」2014年10月号掲載の特集「十代・二十代特集」を、濱松哲朗が一人で勝手に読み込む企画です。 第3回で取り上げたのは、大坂瑞貴、駒井早貴、花麒麟陰朗の三名です。
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濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

【告知】このあと、24時から「塔10月号『十代・二十代特集』を中の人約一名が好き勝手に読む2014」第三回をお送りします。今日は少し開始が遅いです。#塔1020

2014-10-15 22:41:29
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

コーヒーいれたし、寝落ちしないようにプロコフィエフの交響曲全集をセットしました。でははじめますか。

2014-10-16 00:35:20
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-001]それでは、「塔10月号『十代・二十代特集』を中の人約一名が好き勝手に読む2014」第三回を始めます。今回取り上げるのは、大坂瑞貴、駒井早貴、花麒麟陰朗の三名です。#塔1020

2014-10-16 00:36:42
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-002]「手術することになった」と告げられて汗のしずくが受話器に滲む /大坂瑞貴「たらちねの母」#塔1020

2014-10-16 00:37:34
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-003]タイトルからも分かるように、病気(ガン)の母を詠んだ連作です。「受話器」ということは、「私」が使っている電話は固定電話なのでしょうか。公衆電話かもしれません。その方が汗の実感が増すような気がする。#塔1020

2014-10-16 00:41:58
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-004]汗が垂れてしまうのではなく、耳元で受話器にまとわりつくあの嫌な感じを詠んだ点は、作者なりの工夫でしょうか。「じゅわき」の音のせいか、本当に滲んできそうですね。じゅわっと。#塔1020

2014-10-16 00:43:54
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-005]たらちねの母の体を見納めにはやて一一六号に乗る /大坂瑞貴「たらちねの母」#塔1020

2014-10-16 00:44:13
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-006]「はやて」ということは東北新幹線ですね。調べてみると、はやて116号は盛岡発東京行の上り列車でした。この数字の使い方はいいですね。具体的な数字が盛り込まれることで、出来事の運命性がより強まって見えます。#塔1020

2014-10-16 00:49:10
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-007]ところで、「たらちねの母」と東北の組み合わせと言えば、やはり斎藤茂吉を思い出します。改選版『赤光』から二首。 たらちねの母の辺にゐてくろぐろと熟める桑の実を食ひにけるかな のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり /斎藤茂吉『赤光』

2014-10-16 00:54:51
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-008]大坂瑞貴の歌も、茂吉と同じく、母に対する感情を直接的に詠み込むのではなく、何らかの具体物を通して表現しようとしているのが分かります。「見納め」は少し大げさかもしれませんが、そういう直感があったのなら書いてしまってもいいと思います。#塔1020

2014-10-16 00:59:16
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-009]八月は蓮の匂いに満たされて濃くなる生と死のコントラスト /大坂瑞貴「たらちねの母」#塔1020

2014-10-16 01:00:19
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-010]確かにちょうど、蓮の花が咲く時期ですね。僕もこの夏は、塔の再校の帰り道に蓮の花を見ました。この花は当然ながら、仏教的な何かを想起させます。蓮の匂いがするなら、生と死の区別が薄まりそうな気もしますが、この作者はそうは逆の発想をしました。#塔1020

2014-10-16 01:04:17
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-011]しかし、言いたいことが伝わるだけに、下の句の字余りは気になりますね。「コントラスト」という単語が全てを言い尽くしてしまっているのが、勿体無いように思います。#塔1020

2014-10-16 01:07:18
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-012]日光は降り注ぐもの(夏がいる)道往く女みな日傘をさして /駒井早貴「視野」#塔1020

2014-10-16 01:07:36
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-013]駒井早貴のこの歌も、下の句の字余りに目が行きます。「みな」を四句に入れるか結句に含めるか、判別し難い。一瞬、「女」を「おみな」と読もうとしておきた誤植かとも考えたのですが、そんなわけないですよね。#塔1020

2014-10-16 01:10:40
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-014]括弧で括られた「(夏がいる)」というのは、内面の発露と取ってよいでしょう。ただ、この歌の中にある要素が結局は全て夏の日光に収斂していくので、括弧によって離された部分同士の飛躍が少し小さいかもしれません。#塔1020

2014-10-16 01:13:52
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-015]プリンタの向こうにあなたが見えていてあなたはとても大人だ、おとな /駒井早貴「視野」#塔1020

2014-10-16 01:14:27
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-016]どのサイズのプリンタかは分かりませんが、オフィスのような場所が想像できます。恐らく、このプリンタは、職場の空気感を示すアイテムとして作者に選ばれたのでしょう。デスクに向かっていて、ふと顔を上げてみたら、という光景が浮かびます。#塔1020

2014-10-16 01:18:44
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-017]職場という「場所」の空気感は、下の句で繰り返される「大人/おとな」という語からも感じられます。仕事のできる大人、という意味合いでしょう。勿論この読み方は、プリンタのある場所を職場だと仮定した上での読みですが。#塔1020

2014-10-16 01:23:08
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-018]いつまでも埋まらないから広い背の後ろ姿を見つめてるから /駒井早貴「視野」#塔1020

2014-10-16 01:23:50
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-019]「から」の繰り返しで韻律を整えようとしているのかもしれませんが、二つの「から」をどう接続して読んだらいいのかが分かりにくい歌になってしまっています。一つ目の「から」は理由を示すものと考えてよいでしょうが、問題は二つ目。#塔1020

2014-10-16 01:26:21
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-020]二つとも単なる理由の「から」であると読むなら、理由の並列で、ちょっと息苦しくなります。二つ目の「から」を「〜だからね」という風な意味合いの、呼び掛けの語として捉えると、誰かの広い背が埋まっていないのだということや、作者の感情が感じられます。#塔1020

2014-10-16 01:31:17
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-021]まとめると、「あなた」の背中が埋まっていないのだから、そこを「私」が埋めてしまいたい、という欲望でしょうか。「から」一語で押し通そうとするほどの強い思い、と行為的にとることも出来そうです。#塔1020

2014-10-16 01:35:04
濱松哲朗@『翅ある人の音楽』 @symphonycogito

[03-022]感情にラベルを貼ってひとつずつ整理してゆく朝の寝室 /花麒麟陰朗「人生ゲーム」#塔1020

2014-10-16 01:35:37