佐藤正美Tweet_20141001_15

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佐藤正美 @satou_masami

思想運動(あるいは、党派運動)は、もう古くなったと私は考える。そういう事を言い出すSEを見ると、大衆を指導したがるマスコミが集団の陶酔を焚きつける様な気がする。指導者や旗標の時代では もうなくなったのである。

2014-10-05 21:45:38
佐藤正美 @satou_masami

数学上の発見(発明?)やオリンピックの世界新記録などは60歳代の人々には成す事もできない偉業であるが、30歳代のSEが書いた「業務分析」のあらわしている知識は、60歳代の実務家には、かなり自明の事である。しかし、それが自明になるまでには、30年の年月を費やす事になる。

2014-10-05 21:46:23
佐藤正美 @satou_masami

我々は多くの発見・発明を蓄積して来て、便利な製品や協働の制度を造って来たが、それがゆえに、そのなりゆきとして、きわめて自然的に堕落しているのではないか。

2014-10-05 21:47:00
佐藤正美 @satou_masami

記号(記号が私に与える感情の作用)を受け容れながらも、記号に私を支配する権利は認めないで、それを澄んだ眼で観察する時、私は私の思考を識る様になる。見者たる事、そして見たものを記号を使って論理形式として表現する事──数学上の「記号直感」とは、そういう事である。

2014-10-05 21:47:44
佐藤正美 @satou_masami

モデルにおける第一の大事は、「事実」を発見する事であり、そのためには我々は数学を必要とする──集合、関数と論理規則、この三者だけがモデルを導いて完全な力に至らしめる。それらを正当に使用する術を知る事こそ絶対の完全であり、論理のもつ魅力なのである。無矛盾とは論理の結論である。

2014-10-05 21:48:30
佐藤正美 @satou_masami

「事実」の伝達にはレポータ(a reporter)の視点が入る(すなわち、レポータの視点で構成される)事、報道もこれを免れない事を私は否認しないが、下司なレポータは、そこに裁判を持ち込む。いくつかの数のパターン(型)に はめて裁判をする──大衆の代弁者を粧って(気取って)。

2014-10-09 16:32:27
佐藤正美 @satou_masami

憶測をおこさせるものは、想像だ。要するに、事物のあいだの つながり がもてず、ただ事物の性質が与える手がかりに頼っている思考上の想像が憶測の種を作るのだ。

2014-10-09 16:33:13
佐藤正美 @satou_masami

セミナー講師たる基本的心得は、「教え、喜ばせ、動かす」事にあるが、私は 30年間 セミナー講師をしてきて、ついに それができなかった。私のやりかたは、「驚かせ、考えさせ、動かす」という事に一貫していた──そして、それは聴衆の反感を買った。

2014-10-09 17:23:45
佐藤正美 @satou_masami

制作の技術が思想または想像力を遙かに越え出ないところに決してエンジニアは存在しないであろう。技術が観念に先立ち、観念を規制する場合は、いつでも工業(エンジニアリング)である。

2014-10-09 18:38:49
佐藤正美 @satou_masami

研究家でもない実務家が学問するとは、損を覚悟で敢然とぶつかっていく事だ。そういうふうに ぶつかっていくのは、自分の技術を試す(論に照らす)事であり、技術を我流に落とさない事にある。

2014-10-09 18:39:25
佐藤正美 @satou_masami

世の評判を捨て、自分の好きな(自分の信じる)事にのみ専念するという贅沢を自分に与える事、この我が儘こそ 生活上の自惚れ・不平・愚痴と関わらない方策であろう。しかし、支払う対価もそれ相応に高い。

2014-10-09 18:40:10
佐藤正美 @satou_masami

若い人々は未来があるというだけでも幸福である。私のように還暦を越えた初老は、思考力が衰えていないが、仕事上で新たな着想が浮かばないし、浮かんだとしてもそれを展開して整えていく年月が殆どない。若い人々への助言は、ただ一語──余所見しないで働きなさい、と。30年は、、、顧みれば短い。

2014-10-13 23:42:07