英米ミステリと日本流トリック
先日の「HONKAKU」をめぐるニュースで思い出した問題がある。トリックのことだ。これまで、西洋にはトリックにあたるミステリ用語がないとか、トリック重視は英米では廃れたといった発言がなされてきた。そういう言辞を弄するのは、だいたい、日本の本格は時代遅れだといいたい人々である。
2014-10-23 19:47:13だが、私が気にしているのは、そうした発言の当否、英米のミステリ関係者は本当にトリックが眼中にないのかという問題ではない。いわば、それとは逆の疑問である。つまり、英米ミステリにおける読者を驚かせる仕掛けは、日本流の「トリック」という概念で把握できるのかというわけだ。
2014-10-23 19:50:40たとえば、デクスターにせよディーヴァーにせよカーリイにせよ、日本の読者が読んでも意外な犯人、意外な真相に驚く。しかし、そこにある仕掛けは、日本流の「トリック」という言葉ですんなり、十分に把握できるだろうか。
2014-10-23 19:53:26英米ミステリでよく出あう犯人の隠し方にこんなのがある。ある男が怪しいと考えられ、刑事がその男の家に事情聴取に出向く。奥さんが出てきて、刑事を居間に通し、男を引き合わせ、取り調べが始まる。しかし、実はその奥さんが真犯人なのだ。
2014-10-23 19:57:46また、事件の背景を調べてゆくうちに、大きな人間関係の構図が見えてきて、その構図の中心人物が犯人だと考えられる。ところが、実は、構図の外から中心人物を操っているのが真犯人だったり、構図の中のチョイ役が真犯人だったりする。
2014-10-23 20:00:33こうした仕掛けは、プロットの進行と不可分であり、プロットを追ってゆく読者の心理とも不可分である。これから始まるであろう刑事と容疑者の舌戦への期待、徐々に浮かび上がってくる陰謀の構図が与える衝撃、そうしたものに気を取られることで生じる心の隙に真相を潜ませるのだ。
2014-10-23 20:05:29日本人のいう「トリック」は、こうした仕掛けを想定した言葉とは言いにくい。また、われわれが「トリック」を論じるときには、大体において、時間的経過を捨象した静的なもの、言い換えれば、結末で判明した事実の要約として述べがちである。たとえば、ある男が命を付け狙われているような(続く)
2014-10-23 20:10:21状況が述べられた後、その男と思われる惨殺死体が発見されるが、実はその男が真犯人で、他人を殺して入れ替わっていたのだ、というミステリがよくある。われわれはそれを、「犯人が被害者の顔をつぶして自分が殺されたと見せかけるトリック」「犯人ー被害者入れ替わりトリック」などと(続く)
2014-10-23 20:14:42呼ぶだろう。時間的経過を捨象して、結末でわかった事実を要約するというのは、このことだ。この把握からすると、序盤でその男が命を狙われている様子を迫真のタッチで描くといったことは、トリックの本質にかかわるものではなく、トリックを効果的たらしめるための演出と位置付けられる。だが(続く)
2014-10-23 20:18:27また、日本的本格観では、デクスターたちは、探偵役の行動が行き当たりばったりだ、手掛かりが十分でない、犯人の隠し方がアンフェアだ、といった非難にさらされがちである。これも、結末の時点から振り返って、謎・手がかり・推理・真相を抽出する、静的な把握の帰結だといえるのではないか。
2014-10-23 20:25:04先ほど挙げたような真相の隠し方を表す用語としては、たぶん、「ミスディレクション」が一番使われているだろう。しかし、ミスディレクションという言葉には、真相を隠すための補助的テクニックという色がついていないか。そうではなくて、いわばミスディレクションこそが根幹だと考えてみたいのだ。
2014-10-23 20:30:20