構造化のアイデアは人権思想とバッティングするのか?

構造化のアイデアに抵抗を示す教員が存在する。彼らは構造化のアイデアを取り入れた療育を「調教」と揶揄する。つまり子供を動物扱いしている、つまり人権を軽視していると捉えている。それは正しいのか?
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Saussure @mamiyac330

何故、学校の教員に構造化のアイデアに抵抗を示す方がおられるのか、ということに閃く。それは構造化のアイデアは規律を内面化することを教育の目的とする近代の価値観とバッティングするからである。そこには人権という厄介な問題も潜んでいる。

2014-10-20 05:48:17
Saussure @mamiyac330

パノプティコンという概念がある。日本語では一望監視装置と訳されるが、囚人を収監する際に収監室を円形に配置し、内側に窓を設けて収監室同士は意思伝達ができないようにした上で、中央に監視塔を設置する監獄のことである。ミシェル・フーコーの「監獄の誕生」に詳しい。

2014-10-20 05:55:36
Saussure @mamiyac330

パノプティコンは収監室からは監視塔に監視人がいるかどうかは把握できない、が常に収監室が監視されている可能性は担保されている。故に収監されている者は常に監視されていることを前提に行動しなければならない。つまり「見る-見られる」関係の非対称性によって権力が担保されている状態である。

2014-10-20 06:00:29
Saussure @mamiyac330

「見る-見られる」関係の非対称性において規律を内面化すること。それはまさしく人権に配慮した近代における管理なのである。抵抗を示される方も多いかも知れないが、囚人への暴力によって規律化することの非人道性と非効率性を解消するために効理主義哲学のベンサムが考えたことなのである。

2014-10-20 06:06:55
Saussure @mamiyac330

学校教育においても「見る-見られる」「評価する-評価される」或は「あなたのことは分かっている、知っている-あなたは私のことは知らない、分からない」という前提が教わる側の規律を形成する。しかし、その規律を内面化するには見えていないけれども見ているかも知れない、という想像力を要する。

2014-10-20 06:12:51
Saussure @mamiyac330

他者の視線を想像し内面化すること。これはASDの方々が不得手とするところである。つまり監視塔に人が居ようが居まいが、収監室から人はいないのである。規律は内面化され難い。それを暴力という手段という前近代的なやり方に退行させないための手段として構造化のアイデアはある。

2014-10-20 06:24:49
Saussure @mamiyac330

構造化のアイデア、それは東浩紀が「動物化するポストモダン」で語っている環境管理型権力そのものである。「苦痛を与えることなく望ましい行動を取れるように環境を設計する」こと。自閉症の動物学者が家畜にストレスを与えずに収容する装置を設計していることは示唆に富んでいる。

2014-10-20 06:32:15
Saussure @mamiyac330

昨日の続き。構造化のアイデアは環境管理型権力そのものである、と刺激的に語ってしまったが、環境管理型権力とはどのようなものなのか説明しておく。屡々例に出されるのはマクドナルドの椅子である。客単価の低いファストフード店では客を回転させない限り売り上げは伸ばせない。

2014-10-21 05:42:19
Saussure @mamiyac330

かと言って店員が長尻する客を追い出す訳にもいかない。どうするか。椅子を客に明らかな苦痛を与えない程度に座り心地の悪いように設計し、何となく長居できないようにするのである。これは客を追い出す店側のコスト、客が店の気配を感じて退散しなければならないコストを低減させる。

2014-10-21 05:47:34
Saussure @mamiyac330

つまり環境管理型権力は他者の視線(それが可視化されていても、されていなくても)を意識し、規律を内面化するという回路を迂回せずに望ましい行為を、それを望ましいとも意識させずにやんわりと強いるものなのである。所謂ソフトな管理である。

2014-10-21 05:53:18
Saussure @mamiyac330

故に視線の非対称性を源泉に規律を内面化することを目的とした近代の教育観とバッティングしてしまう。ここには人権の問題が関与している。天附人権説(ルソー)では人間は生まれながらにして国籍、民族、出自に関わらず普遍的に人権が附与されている、という思想である。

2014-10-21 06:02:43
Saussure @mamiyac330

生まれながらにして平等に人権が附与されている。但し、である。それは他者の人権を侵害しない限りにおいて担保されなければならない。故に、他者の人権に配慮できない、即ち充分に理性化、倫理化されていない人間については人権の制限はやむ無し、という考えが自明視される。

2014-10-21 06:07:10
Saussure @mamiyac330

故に充分に理性化、倫理化されていない、つまり充分に他者の視線を想像的に再構成して規律を内面化し切れていない子供に関しては様々な法的な禁止事項をもって人権を制限した上で、必要な保護と教育を施し、人権を附与されるに相応しい人間へと訓導されなければならないのである。

2014-10-21 06:13:52
Saussure @mamiyac330

或は理性化、倫理化に失敗した他者の人権を侵害するに至った犯罪者に対しては収監され人権を制限された上で理性化、倫理化されるように更正が施される。近代における子供の教育、犯罪者の更正ともども人権思想抜きには語れないのである。

2014-10-21 06:24:12
Saussure @mamiyac330

故に、充全な人権を附与されてしかるべき主体へと訓導することを、つまり他者の視線を想像的に再構成して規律を内面化することを目的とする近代の教育観、それを疑わない教員にとって規律の内面化という回路を迂回せずに望ましい行動を形成しているように見える構造化のアイデアは耐え難いのである。

2014-10-21 06:31:32
Saussure @mamiyac330

構造化のアイデアの教員の抵抗感を示すエピソードを添えておく。個別課題を写真のスケジュールを活用しながら自律的に進める療育を見学した教員はこう述べている。「あなた方がやっていることは調教です」と。

2014-10-21 06:34:45
Saussure @mamiyac330

昨日の続き。構造化のアイデアに則った療育を「調教」と表現する教員の方々は、人権を附与されてしかるべき主体、つまり規律を内面化された理性的、倫理的な主体として訓導する意図を欠いたものとして構造化のアイデアを捉えている。

2014-10-22 05:58:50
Saussure @mamiyac330

つまり構造化のアイデアは人権を附与されてしかるべき主体に育てる意志を持たない、感覚的には動物の調教、つまり子供達を人間扱いしていないかのように映じてしまうのである。

2014-10-22 06:01:24
Saussure @mamiyac330

お気を悪くしないで頂きたいが、ASDのお子さん、特に2,3才の頃に関わった経験のある方なら「一体、人間らしさって何だろう」「人間にするってどういうことだろう」と煩悶せざるを得ない修羅場を潜っているわけで、近代の教育観に囚われる教員なんて「何それ?」なんですけど。

2014-10-22 06:09:33
Saussure @mamiyac330

さて、それでは人権とは普遍的な概念なのか、という問題が沸いてくる。現に言論や表現、結社の自由を剥奪されている国家が存在し、人権は抑圧されている。アメリカが中国に対して人権に配慮するように働きかけ、中国の反発を招いている。その事実だけを見ても人権は人間の本来性とは言えない。

2014-10-22 06:17:41
Saussure @mamiyac330

良く知られた事実だが、人権は発明されたものである(ルソーによって)。再帰性という概念がある「恰もその様に振る舞うことによって事後的にその様なものになる。そして其が恰も最初から存在していたかのように認識し、振る舞う」ということである。人権という概念もそっくり当てはまる。

2014-10-22 06:23:44
Saussure @mamiyac330

つまり人権という概念も「恰もアプリオリに与えられたもの(天附人権)として振る舞うことによって事後的に人権として確立する」ものであり、「確立されたそれが作り物であるにも関わらず、恰も最初から存在していたかのように認識する」ことによって成立するものなのである。

2014-10-22 06:41:33
Saussure @mamiyac330

それでは人権が再帰的なものである、という事実を認識した上で、構造化のアイデアは人権の概念とバッティングするものなのか、は明日以降に検討します。

2014-10-22 06:44:38
Saussure @mamiyac330

さて、昨日は構造化のアイデアは人権の概念とバッティングするもか、というところで議論が終了していました。では、人権を附与されてしかるべき成人は全員が規律を内面化し、理性的、倫理的に振る舞える主体でしょうか?あり得ないですよね。

2014-10-23 05:57:38
Saussure @mamiyac330

二十歳になったその日の朝目覚めたら「私は今日から成人である。よって規律を内面化した理性的、倫理的な主体として生きる」と生まれ変わることはまずありません。二十歳になろうと無責任な人間は無責任ですし、中には思慮深い人間もいる。

2014-10-23 06:01:39