いわゆる天智天皇と天武天皇の年齢逆転現象について(1)
風呂から上がってババンバン。書店でサンデーと乱の風雲児とポストの逆説成分を補充。そういえば会社で荷をほどいた後の段ボール捨てに闊歩してた時に中大兄問題にヒントが降りてきたのだった。(続
2014-10-29 22:57:44承)それこそ井沢さんの逆説シリーズだ思うが、天皇家の菩提寺・泉涌寺に天武系の位牌がないという事実から天武天皇が天智天皇より年嵩で別の血筋という説が大いに喧伝され今日に至る訳だ。だが、二倍年暦と通常年暦の混用があったなら年齢が実際の二倍だった期間が生じ、弟の逆転も有り得るのだ。(続
2014-10-29 23:07:08承)確信のないまま悶々としてる中、さる方のブログが重要な示唆を示してくれた。即ち天智―天武の兄弟順は列挙された書籍群でただ一つの例外もなく天智(兄)―天武(弟)という事実だ。年齢の逆転現象は書籍AとBを引き比べた時にだけ生じている。解剖してパーツだけ並べる科学的手法の陥穽だ。(続
2014-10-29 23:16:19承)ここまでで思索は一旦ペンディングされていた。それが今日ガチャンと動いたのだ。きっかけは「中」。私自身次男坊で後天的中間管理職気質なのだが、「中大兄」というのは即ち「次男坊」という一般名詞だ。ここに叙述トリックの要があると常々考えている(蘇我蝦夷(次男坊)との意図的混用)。(続
2014-10-29 23:23:30承)その中心命題は一旦脇に置くとしても「中」ということは、兄と弟が他にいることを暗に示唆しているのではないか? 中大兄には腹違いの古人大兄が兄として存在する。弟には大海人即ち天武が存在する。もし天武が年嵩ならば、中大兄は三番目即ち「中」ではなくなってしまう。(続
2014-10-29 23:30:01承)以前つぶやいたが、卑弥呼の遣使が古田武彦さんの言う通り「景初二年」なら三角縁神獣鏡の銘文は「二年」と鋳出されていたはずだ。事実はさにあらず「景初三年」である。同様に「中大兄」は次男坊だから「中大兄」なのである。別々の書籍Aと書籍Bの比較で安易に逆転させるべきではない。(続
2014-10-29 23:39:33承)期せずしてパーツに解剖して客観的に比較する一見「科学的」手法の陥りがちな危険についても改めて認識することが出来た。もちろん井沢さんは大尊敬しているが、それはそれこれはこれである。これでまた一歩思索のバージョンが小数点だが前に進んだのである。さて、書店からアパートに帰ろう。
2014-10-29 23:45:44