蒼い蟻#1

事務所の助手ミレイリルはある日綺麗な蒼い蟻を見つける。突然喋り出した蒼い蟻。彼は盗賊の死霊で、未練を抱えているという。彼の胸の内にある願いと、それを阻む過去の影。 この話は#4まで続きます
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クノーム市に朝日が昇る。ここはかつて大量の鉱石を産出した鉱床都市である。地面は穴だらけでいくつもの巨大な縦穴から闇が覗いている。ミレイリルは朝日を眺めつつ、崖の上で鉢植えに水をやっていた。綺麗な緑の多肉植物が露で光り輝く。ミレイリルはあくびをした。いつもの朝だ。 1

2014-10-29 17:28:15
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崖の上には一軒の小屋が立っていた。隣には錆びたゲート。『レックウィル霊障コンサルタント事務所』という看板がかかっている。鉢植えは小屋の外壁の南側の棚に並べられていた。ミレイリルが買ってきたものだ。小屋は古くてみすぼらしく、彼女は色どりが欲しかったのだ。 2

2014-10-29 17:33:13
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ミレイリルは小柄な大人の女性で、黒いパンツスーツに身を包んでいる。初任給で買ったものだ。これで霊障コンサルタントの助手っぽくはなった。髪は長くなってきたので後ろに団子にしてある。じょうろを右に、左に、何往復もさせる。彼女はまだ見習いで、勉強中の身だ。 3

2014-10-29 17:39:12
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今まで彼女は家事手伝いしかしてこなかった。ところが、ある事件をきっかけに年下であるレックウィルの事務所へ就職することになった。ミレイリルは若くもない。けれども、年相応の落ち着きを持っていて、レックウィルの研修を素直に受けている。そんなこんなで順調な日々を送っていた。 4

2014-10-29 17:45:57
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事務所の主、レックウィルはまだ出勤していない。彼の事務所はこの崖の途中にあり、階段を下りていかなくてはいけない。巨大な大地の裂け目。こんな悪所に事務所を構えているのはどういうことかと思ったが、安い中古物件だったから以上の理由は無いらしい。貧乏なことである。 5

2014-10-29 17:52:22
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ミレイリルは鉢植えに水をやりつづけた。クノーム市は乾燥していて、すぐ乾いてしまう。たっぷりと水をやるのだ。すると、彼女は奇妙なことに気付いた。じょうろの水に押し流されて、蒼い蟻が地面を流れていったのだ。こんな蟻は見たことがない。ミレイリルは水やりを中断した。 6

2014-10-29 17:59:42
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流れていく蒼い蟻を指ですくい、指先に乗せてまじまじと観察する。まるで宝石のように透き通った蒼だ。まだ死んではいないようだ。細い脚をぴくぴくさせている。次の瞬間、脳裏に鈴のような不思議な声が響いてきた! 「助けてくれてありがとうダゼ! 助かったゼー!」 「うわぁ!」 7

2014-10-29 18:04:20
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ミレイリルはびっくりして蒼い蟻を指先で潰してしまった。気まずい沈黙。不思議な声はもう聞こえてこない。「もしかして、やっちゃった感じ?」 じょうろを地面に置いて、死骸を観察する。完全に潰れている。ミレイリルはここで、小屋の中にある薬のことを思い出した。 8

2014-10-29 18:07:30
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錬金術師の作った治療薬だ。透明な液体で、薬屋で手に入れることができる。非常に安価で、擦り傷や虫刺され等の治療に役立つものだ。小さい昆虫程度なら、蘇生させるほどの力を持つ。早速死骸を落とさないように注意深く歩き、小屋の中に入った。中は本だらけだ。 9

2014-10-29 18:16:00
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戸棚を開き、薬瓶を手に取る。続いて綿棒を取り出す。机の上で、注意深く死骸に綿棒で治療薬を塗っていった。しばらくすると、蒼い蟻はぴくぴくと動きだした。不思議な声が聞こえてくる。 10

2014-10-29 18:18:49
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「全く酷い目にあったゼ! お客に対して酷い仕打ちだゼ! 霊障を、解決してほしいんだよ!」 そんなことを言ってきたのだ。 11

2014-10-29 18:23:22
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しかし、蟻が話すとは不思議なことだ。ミレイリルは机の上の蒼い蟻を見下ろして、とりあえず事情を聞くことにした。「あなたは誰なの? どうして蟻なの? 私たちに、どうしてほしいの?」 「よくぞ聞いてくれたゼ!」 蒼い蟻は、ことのいきさつを話し始めた。声は不思議にも脳裏に響く。 12

2014-10-30 17:01:26
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「俺は昔人間の盗賊だったゼ! 盗みを何度も繰り返して、官憲に追われていたゼ……でも、限界は近づいていたゼ。ある日俺は捕まり、処刑されてしまったゼ。でもそのとき、不思議なことが起こったんだ。俺は死んでなんかいなかったゼ。死霊として、復活したんだゼ!」 13

2014-10-30 17:07:46
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死霊……未練を残して死んだ魂は、その執着心から現世に留まりつづけ、死霊となる。死霊は非常に不安定な状態で、存在するだけで周囲に霊障を引き起こし、その精神を崩壊させてゆく。やがて、完全に精神は曖昧になり、魂は霧散して、完全に死亡する。危険な存在だ。 14

2014-10-30 17:12:38
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「俺は自分が死霊となって、心が未練で狂っていくのを感じたゼ。どこかに憑依して、魂を固定し自分を保たねば……生前の教養が生きたゼ。ただ、それは難しい話だったゼ。誰も俺の魂を受け入れてくれない。魂の入る器は完全に一人用で、俺の入る隙間なんてどこにも無かったゼ」 15

2014-10-30 17:18:44
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「そんな俺を受け入れてくれた存在、それがこの蒼い蟻だったんだゼ。俺はそのとき思い出した。水たまりで溺れていた綺麗な蒼い蟻を助けたこと。蒼い蟻はそれを覚えていたんだゼ。俺は感謝した……知能も感情も無い蟻でも、仁義だけは分かっていたんだゼ。俺はその蟻に憑依した……」 16

2014-10-30 17:25:27
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そして、記憶を頼りにこの霊障コンサルタント事務所まで長い旅をしてきたというのだ。盗賊は土地勘があったため、この事務所の存在を知っていた。「俺の名はギンダル。大盗賊ギンダルだ! いや、普通の盗賊だけどナ。こんなの頼めるの霊障コンサルタントしかいないゼ」 蒼い蟻は言う。 17

2014-10-30 17:36:14
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「俺の未練は、俺の最後の仕事に関わってるゼ。俺が盗んだ伝説の古酒……後で飲もうとアジトに隠しておいたんだゼ。でも俺はその後処刑された……古酒を、もう一度取り返したいゼ。そして、元の持ち主に……頼む、君らにも飲ませてやってもいい。俺と一緒にその古酒を回収してくれ!」 18

2014-10-30 17:44:00
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「そんな……人様のものに勝手に手をつけるわけには。もっとちゃんとした代金は無いの?」 「俺自身が報酬にもなるゼ! 俺はいろんな仕事を転々としたから分かるゼ。霊を浄化するだけでも、役所に申請すれば補助金が下りるゼ」 「そういえばそんな制度もあったね」 19

2014-10-30 17:53:21
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そのときパププププという機動スクーターの排気音が聞こえてきた。窓から外を覗く。事務所の主、レックウィルの出勤だ。黒いスーツに、黒いネクタイを止める白い髑髏のネクタイピン。黒いヘルメット。黒いさらさらした前髪が揺れ、緑の瞳が輝く。「先生ー! お客様です―」 20

2014-10-30 18:05:25
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ミレイリルは机に手をつき、窓を開け放ってレックウィルを呼ぶ。「ほう、どこだ、そのお客様ってのは」 レックウィルは緑の機動スクーターを受付小屋の前に駐車させて、窓越しに小屋を覗く。当然、誰も見当たらない。「今回のお客様は小さな蟻で……あっ」ミレイリルは気付いた。 21

2014-10-30 18:09:36
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蒼い蟻のギンダルは、彼女の机についた手の下で、ぺちゃんこに潰されていたのだった。 22

2014-10-30 18:18:04
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「イヤー、こんなに死ぬとは思わなかったゼ!」 「す、すみません……」 蒼い蟻ギンダルと、ミレイリル、そしてレックウィルは、地下坑道を進んでいた。レックウィルはガスランタンで道を照らす。ギンダルは落としたりしないように小さなガラスケースに入れて、ミレイリルが持っている。 23

2014-10-31 16:48:41