孫泰蔵さんが、「知の編集術」を読んで考えたことまとめ

孫泰蔵さん( .@taizoson )が、「知の編集術」を読んで考えてツイートしたまとめ amazon 知の編集術 松岡 正剛 (著) http://amzn.to/gtzH9t
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taizoson.eth @TaizoSon

フランスの社会学者ロジェ・カイヨワは著書「遊びと人間」のなかで、遊びの背景には、どんな遊びにも共通して次の2つがつきまとうのではないかと分析したそうだ。①「パイディア」:その場に臨んで興奮に入る状態、②「ルドゥス」:わざわざ困難に立ち向かう忘我の意識の状態、の2つだ。

2010-11-30 08:41:34
taizoson.eth @TaizoSon

カイヨワは様々な遊びを分析することによって、たしかにどんな遊びにもこの2つが存在することをたしかめ、また、遊びに潜むパイディア性(興奮)にもルドゥス性(困難)にも個人の利得を超えるものがあると指摘した。

2010-11-30 08:41:39
taizoson.eth @TaizoSon

わかりやすくいえば、人は遊びから得られる興奮のためならば、どんな困難を引き受けようとも無償でもかまわないという気分になってしまう、ということだ。遊びのそのような性質から、遊びは本質的に欲得ずくではなく人々にどんどん広まっていくという性質があると述べた。

2010-11-30 08:41:44
taizoson.eth @TaizoSon

カイヨワのこのような分析を使えば、現在オンラインゲームやソーシャルゲームが世界中にすさまじい勢いで広がっている理由などもうまく説明できるかもしれない。人々はアフィリエイトのようなインセンティブがなくとも、おもしろければ自ら好んで人々に広めるのだ。

2010-11-30 08:41:50
taizoson.eth @TaizoSon

一方、オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガは、子どもの遊びだけでなく、企業活動、議論、政治など、人の活動のあらゆる局面に遊びのようなルールと開始と終わりのあるゲーム的性格が見られると指摘し、人間は遊ぶ存在である「ホモ・ルーデンス」(遊戯人間)という概念を提示した。

2010-11-30 08:41:56
taizoson.eth @TaizoSon

ホイジンガは、18世紀に理性を金科玉条とする理性人間が社会のなかで頂点に立ちすぎたことに対するアンチテーゼとしてこの概念を提起し、古代インドのように、人間が神々をとりまいていた時代に遊びが持っていたパワーを復活させ、偏ってしまった人間性を回復すべきだと考えた。

2010-11-30 08:42:01
taizoson.eth @TaizoSon

松岡正剛氏はこの二人の功績を讃え、両者の共通性について次のように語っている。「ホイジンガもカイヨワも『現代文明が遊びの喪失によって堕落している』ということを指摘した遊学者であった。彼らのこうした遊び研究は、その後のこの分野の研究成果が乏しいために、いまなお他の追随を許さない。」

2010-11-30 08:42:08
taizoson.eth @TaizoSon

特に僕がおもしろいと思ったのは、松岡正剛氏が編集したカイヨワの次のような考察である。松岡正剛氏「カイヨワは論争や賭け事などついつい欲得ずくになりがちな大人たちの遊びからは、遊びの本質が薄れていったということを指摘した。」

2010-11-30 08:42:13
taizoson.eth @TaizoSon

先日茂木健一郎氏が、いまの日本の政治家は学級委員で新聞は学級新聞だとツイートしておられたが、学級委員というのは当然褒め言葉ではなく、些細なことに目くじらを立てて物事をダイナミックに進めることができなくなってしまっている、ということだろう。

2010-11-30 08:42:18
taizoson.eth @TaizoSon

今の日本はまさに「遊びの喪失によって堕落している」のではないかと思った。遊びが足りないぜ。松岡正剛著「知の編集術」(講談社現代新書)を読んで、今朝は遊びの本質について学んだ。松岡正剛氏は編集の洪水でいつも知的好奇心を刺激してくれる!楽しい!

2010-11-30 08:42:25