メンヘラ展について @10aka_ のツイートから

メンヘラ展に関して@10aka_ が連続ツイートにて批評したためそのまとめ 
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■メンヘラ展
http://bit.ly/1y5fky6 

■メンヘラ展コンセプト
http://bit.ly/1y5fe9T 

■あおいうに(メンヘラ展主催)
 ・twitter
   https://twitter.com/aoi_uni 
   https://twitter.com/aoiuni2 
 ・プロフィール
   http://twpro.jp/aoi_uni


 

УраГем @10aka_

メンヘラ展について書きます。ある種の他者論的試みとしての(息が続くかわからないけれど)。

2014-11-20 22:41:40
УраГем @10aka_

メンヘラ展は芸術に(どのようなものなのかは不明瞭ですが)ある種の「繋がり」の契機を期待しているようです …1fda45f8420a09ea03e3b.googledrive.com/host/0B5xrKP8t… 。それは当然、他者との間に求められるのでしょう。 私は同展を、「他なること」を巡る問題提起、他者論の実践の試みとして理解したい。

2014-11-20 22:47:16
УраГем @10aka_

他なること、それは平均からの逸脱としての「個性」とは異なります。それはむしろ依って立つ認識基盤(すなわち「普通」)自体が違うこと、異質なる凡庸です。同じくあおいうにさんによる「普通展」も同様の問題意識に基づくものなのでしょう。 しかしそれは原理上「伝える」ことは出来ません。

2014-11-20 22:50:21
УраГем @10aka_

「他者であることを伝える」ということ、それは殆ど自己矛盾に近い試みです。「伝える」とは相手の言葉で話すこと、相手と同一化することであり、そこに他者はありえません。かといって他者性を押し通そうとすればただちに「理解不能」として回収されてしまうでしょう(それもひとつの理解の形です)。

2014-11-20 22:51:14
УраГем @10aka_

異常、逸脱、犯罪者、そうした判定は決して彼らを排除する行為ではなく、むしろ彼らに場所を提供し、システムの一部に組み込むものです。 場所を与えるとはその内には立ち入らないこと、そこにビルが建とうが空き地になろうがひとまず地図上の一つの敷地、「不動−産」として管理することです。

2014-11-20 23:09:10
УраГем @10aka_

このあたりについては以前、メンヘラ展と表向きには無関係に呟きましたが twitter.com/10aka_/status/… 私はそのような不動産への回収行為を危険視する立場です。

2014-11-20 23:16:29
УраГем @10aka_

このようなズレの抑圧は、場所=語の特権化という形をとる。 「貴方と私は、たしかに空に、青という語に、違う色を見ているかもしれない。しかしそれでもそれは空の色だし、青と呼ばれている。」 住所さえ共有していれば、その語、その場所の内容が何であれ、ビルであれ公園であれ、会話は成り立つ。

2014-10-02 20:56:56
УраГем @10aka_

ハイフンの位置間違えてた。

2014-11-20 23:18:25
УраГем @10aka_

不−動産の「用途不問」性というのは、要するにスムースな翻訳可能性のことです。 どの言語(=敷地内の用途)で話そうと、その言葉が指し示す対象(=場所)は同じであり、私とあなたの言葉は常にスムースに翻訳され、あたかも二人はひとつであるかのよう、といった都合の良い幻想。

2014-11-20 23:34:37
УраГем @10aka_

この翻訳至上主義に抗わなければならない、地表の全く異なる切り分け方が存在するのだから。 私はあなたじゃない。それは私(あなた)の逸脱ゆえではない。これが私の「普通」なのだから。だがそれは伝えられない…。 しかしここに「メンヘラ」がひとつの足掛かりをもたらすのではないでしょうか。

2014-11-20 23:50:39
УраГем @10aka_

無人の下階から物音聞こえて泣きそう

2014-11-21 00:10:39
УраГем @10aka_

というのも「メンヘラ」という語はアチラから与えられた名であると同時にコチラが自らその名を生きているような、両者の界面上の張力で維持されている名のように思われるからです。それは二つの言語の間で、いわばトロイの木馬のような働きを担いうるのではないでしょうか。

2014-11-21 00:23:11
УраГем @10aka_

飯盛さんによる批評を拝読しました。 art-it.asia/u/ngmrsk/rknm8… 私の立場からすれば、Fluyn さんの作品に見られる線の交錯を、親密さに自閉するメンヘラ語の「解読」の手がかり、ロゼッタ・ストーンとみなすことに正直違和感は否めません。

2014-11-21 00:34:35
УраГем @10aka_

私はむしろ同氏がメンヘラ展の否定的な側面として用いた「親密さ」という表現をフロイトの「不気味なもの」との関係の中で読み替えることで、内と外との反転によるメンヘラの他者論の契機を探りたい。

2014-11-21 00:44:38
УраГем @10aka_

独語 heimlich は「親密な」と「不気味な」という一見相反する意味をあわせ持ちます。そしてそれに否定冠詞を付した Das Unheimliche (不気味なもの)は、この親密さと不気味さとの連続性に蓋をし抑圧した語だといえます。

2014-11-21 00:47:35
УраГем @10aka_

フロイトにとっての不気味なものとは、本来自己と切り離せない(=親密な)ものでありながら、普段は無意識のなかに抑圧され意識にのぼってくることはないものが不意に目の前に、他者として、現れてきてしまう経験です。 贈り物が不意に敵の陣営へと反転するトロイの木馬のように。

2014-11-21 00:51:59
УраГем @10aka_

「哲学者の鼓膜を破裂させながらも、哲学者について言われることを彼になおも聞かせ続けることはできるだろうか。(『哲学の余白』)」というデリダの言葉。 相手の言葉を吹き飛ばしながらもなおも相手に「伝える(我は他者なり、と)」狡知が必要なのです。

2014-11-21 00:59:13
УраГем @10aka_

(それを私はひとまず「骨伝導的な呼びかけ」と読んでいます。鼓膜が破れてなおも聞こえる呼び声、頭蓋骨という内的なものが不意に外的感覚器官の一部となってしまう、不気味な経験。)

2014-11-21 01:01:47
УраГем @10aka_

そのような理由から、私はFluyn さんの「居場所としないこと」といった発言に戦線の重なりを深く感じますし、あおいうにさんが参加されているひとふた展、普通展等一連の試みにも強く関心を抱いている所存です。

2014-11-21 01:11:38
УраГем @10aka_

でも、体が保たなければ塹壕はそのまま墓穴へと転用されてしまうのがこの世界です。ので、私は寝ます。。

2014-11-21 01:14:15
УраГем @10aka_

@ngmrsk 有難うございます!こちらは幾月と黙した挙句この始末で、お言葉光栄であるとともに正直見つかってしまったという思いです…(泥縄ながら少し補足を試みるつもりです)。 展開上批判めいてしまいましたが、飯盛さんの文章とても興味深く拝読いたしました。会遇心待ちにしております。

2014-11-25 19:30:51
УраГем @10aka_

先日はメンヘラ展を巡る私見の書き散らしを送りつけてしまいすみません。間をおいて振り返ったところ、その分かりにくさに我ながら辟易とさせられ、Fluynさんには申し訳ない思いです。つきましては勝手ながらその要約を試みさせてください(短いです)。 @ves_telesterion

2014-11-25 20:15:41
УраГем @10aka_

展開上飯盛さんの一方的な批判のようになってしまいましたが、私も飯盛希さんの指摘するメンヘラ展の私秘性=「親密さ」への注目という視点を同じくしています。 ただしメンヘラ展に関しては、その閉塞が内外の両方に向かっているという特徴がある、それをある種の好機と見なすのが私の立場です。

2014-11-25 20:16:53
УраГем @10aka_

メンヘラ展の皆さんは、一方では内側に、自分の中の異物としてのメンヘラ性と向き合い、他方では外側に、社会のメンヘラへの偏見・無理解に、メンヘラ当事者として向きあっています。メンヘラの外側と内側とに同時に立っているわけです。

2014-11-25 20:17:29