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イム・ジエ「1分の中の10年」@東京芸術劇場シアターウエスト 本日初日です!好みが分かれそうだけどダンス公演が初めてでも楽しめそうな作品。16:30開場/17:00開演。上演時間衝撃の100分。15分の途中休憩あり。静寂の音が聞こえます。
2014-11-13 16:00:23F/T 14 イム・ジエ『1分の中の10年』を鑑賞。なぜか唐突に日本の時代劇らしき音声が流れたりしてシュール。著書のファンである乗越たかおさんとのアフタートークも聞けてよかった。短かったけど。
2014-11-13 19:59:10ダヴォンシリーズの、イムジエみてきました。いやー、長丁場なうえにある意味マニアックな作品。見る方はココロして、微細な変容を見続けてください。とくに前半。面白い見方が見つかれば永遠と見ていられる作品です。前半はもっかいみたいな、二回目からが実はもっと面白く見れるとおもう。
2014-11-13 20:12:16構成・振付:イム・ジエ「1分の中の10年」festival-tokyo.jp/14/program/10-… とても面白かった。ソ・ヒョンソク氏といい韓国の多元芸術は凄いな!!!
2014-11-13 20:56:19Facebookに 構成・振付:イム・ジエ「1分の中の10年」の感想書きました。と言っても、観に行く方は読まない方がいいと思いますが。 facebook.com/kazuki.okamoto…
2014-11-13 22:17:02F/Tにいってきました!今日はハシゴして『1分の中の10年』、『春の祭典』を拝見。なんて贅沢‼(春の祭典の写真を撮りそこねた…) pic.twitter.com/GFkEFzVdyU
2014-11-13 22:40:27『1分の中の10年』は作品そのものより、いろんな事が透けて見えてきてしまって、ちょっとだけ怖くなってしまった。。ねじぴじんさんが抜群に面白過ぎた!ずるい!(笑)
2014-11-13 23:48:08今日はイム・ジエも途中まで見たのだけど(行けるのが今日だけだったので)、「ダンスについてのパフォーマンス」ではあっても、「ダンス」では別にないよなあと思った。「コンセプチュアルなダンス」だとも思わないし。
2014-11-14 00:00:54伝統舞踊の動きや身体をもとの文脈から切り離して舞台に載せ、吟味(批評)しようとするなんて、あまりに素朴な「実験室」的発想ではないか
2014-11-14 00:14:45イム・ジエ「1分の中の10年」。最前列でネジさんの顔芸凝視しまくり! 後半に当たる3部からが本番だけど、べつに休憩挟む理由がない。切断が重要な作品だからこそシームレスにする工夫が必要。あと当日パンフに「多元芸術は韓国のコンテンポラリーアート」と解説あって「おお…」ってなった。
2014-11-14 00:53:42イム・ジエ『1分の中の10年』。異なる出自の身体&技法の比較・交換・変容。とか言うは易しだが、ある年月を(舞踊家として)生きてきた生身にとっては図式的=共和的なことで済むわけはない。バレエ/韓国舞踊にフォーカスした前半は夫々がお互いの身体にとってボディ・スナッチャーと化す。(続く
2014-11-14 02:27:26続き)即ち身体=バトル・フィールド。そもそもバレエというものがメカニカルなのだが、その無機と有機のミクロな闘争はグロテスクですらある。かつてのフォーサイスの場合は無機が有機と化し繊細なグルーヴが生まれたわけだが、これはその逆。無機が有機を侵す。いわばダンス身体のゾンビ化だ。(続く
2014-11-14 02:44:05@sakuraikeisuke 続き)そして後半、舞踏と(西馬音内?)盆踊りが「入力」されると、韓国舞踊、そして捩子ぴじんとイム・ジエという二人のアジア人の現代(グローバル社会の)日常身体の背後に「幽霊」として憑く。「幽霊」とは(民族の)歴史(の痕跡・蓄積)という名の身体だ(続く
2014-11-14 03:02:20続き)身体の背後にか、あるいは生身の身体に透けて見えるのか、いずれにせよ身体が「二重化」されるのだ。これは、前半とは異なり、「朝鮮民族」/「大和民族」という二項ではなく、「今ここ(性)」/「歴史(性)」の二重化だ。「祖先の霊」かつ「未来の子孫」と共にある私の身体の踊り。(続く
2014-11-14 03:11:26続き )「ゾンビ」と「幽霊」のダンス。「(ディストピア的な?)グローバル身体」と「歴史を背負わされる/引き受けようとする身体」、と言ったらやはり図式的過ぎるだろうか。だが、そのダンスは、流暢でもなく活き活きともしていないが、今日あり得べき・可能なる数少ないダンス=身体だと思う。
2014-11-14 03:24:25もう一点。こういうものは、これまで「ディスコーシヴ」な、「メタ・シアター」的なものとしてしか作品化されてこなかったと思うのだが、『1分の中の10年』は 「ダンスについてのダンス」を“ダンスとして”成立させている。そのことにも敬意を表したい。
2014-11-14 03:43:10今日は久しぶりにいい舞台観れた〜!しかも2つも。『桜の園』のこともちゃんと書きたいのだが、もう電池切れだ。月曜日にもう一回観るつもり。とにかくオススメします。ミクニヤナイハラ『桜の園』とイム・ジエ『1分の中の10年』。
2014-11-14 03:48:40【F/T イム・ジエ】多元(ダウォン)芸術「⁰1分の中の10年」 初日は平日五時の公演ながら満席に近い入り。はしごで回れるようにという配慮らしい。トークに残ってくださった皆様、ありがとうございました!
2014-11-14 12:27:47【F/T イム・ジエ】じつはこれ、ちょっとわかりにくいが、これは3部構成である。ただ1部(デュオ)と2部(トリオ)を連続して上演し、休憩の後に第3部(デュオ)という構成になっている。いうこれは全体にこれはジエの作品に対する遍歴となっていて面白い。肝は捩子ピジン。
2014-11-14 12:29:00【F/T イム・ジエ】彼女はタイトルからして「ダンスは身体に宿った歴史文化に根ざした動きのアーカイブである」ということが根底にあり、ダンスを通して、あるいは衝突させる試み。これ自体はまあよくあるものではある。
2014-11-14 12:35:02【F/T イム・ジエ】第一部はバレエのセルジウとジウ。冒頭からバレエ曲と韓国伝統曲が重なり、二人がそれぞれのスタイルで踊る。ジウの途中でカクカクっとなる動きは面白い。しかし要はわりと図式的な「東洋と西洋の対比」ではある。だがそこへ捩子が加わることで、良い具合に場が荒れるのだw
2014-11-14 12:36:35【F/T イム・ジエ】第三部のジエと捩子のデュオこそこの作品の白眉だ。「舞踏出身の捩子」と「韓国伝統舞踊出身のジエ」の衝突を試みながら、捩子は「いわゆる舞踏」もちろん「いわゆる日本の伝統的な動き」などはやらず徹頭徹尾、自分にとってリアルな動きしかしないのであるw。
2014-11-14 12:40:52【F/T イム・ジエ】いつも言っているが、この手のダンスで一番くだらないのが免罪符のように伝統舞踊を動き盛り込んだ思考停止の作品だ。文化的な日本社会に生まれ育っている我々は、日本文化へのリアクションとして様々な動きを身体に織り込んでいる。そこで今リアルな動きを探すのがダンスだ。
2014-11-14 12:46:38【F/T イム・ジエ】伝統を軽視しているわけではない。捩子にしても舞踏の経験は身体に刻まれているだろう。だが「学んだことをこんな風に活かしてます」なんてのは学校の課題作品の話だ。ダンサーは様々に学んだことを身体を通し、のたうち回って呻吟する。リアルなダンスはそこにしかない。
2014-11-14 12:52:32