茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1361回「ネットと無縁な、魂の温泉」
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最近、何かというと、すぐにネットで検索するのは、どうなのか、という議論があった。まず、プラスの点を言えば、新しい概念について、その所在やとっかかりを得るということがある。自分で考えるにしても、存在自体を知らないと話にならない。その最初の入り口が、「検索」だ。
2014-11-26 07:17:42以前ならば百科事典とか大宅文庫とか国会図書館における紙の匂いにまみれた一時間を過ごさないと出てこなかった「とっかかり」が、数秒で回答されるということが便利でないはずがなく、その意味で、インターネット検索は、情報における「早来迎」だということができるだろう。
2014-11-26 07:18:50一方で、「検索」はあまりにも便利なので、忘れがちなことがある。それは、検索で引っかかってこない情報もあるということ。グーグルがカバーしている頁は12%、あるいはそれよりも低いという推計もある。quora.com/What-percentag…
2014-11-26 07:21:05どこからもリンクが張られていない、いわゆるorphan pageなどもある。この点、検索は万能ではない。それだけでなく、そもそも、私たちが体験できる世界の中で、検索できないものがたくさんある。たとえば時々刻々の体験。たまたま言語化され、写真にとられたもの以外はネットにない。
2014-11-26 07:23:41友人との語らいや、素晴らしい自然の中でのひとときなど、時々刻々と自分の中で体験されるオーバーフローは、ネットに上がることもなく、また、検索もできない。私たちの意識の流れのうち、圧倒的多数の部分は検索と無縁で、これは、lifelogの技術が向上しても、本質的には変わらないだろう。
2014-11-26 07:25:26そして、ネットには、社会的な文脈から書かれない(書かれにくい)ことがある。「ここだけの話だけど」と伝えられる情報は、人生の機微に接して興味深く、世界について考える上での格好の材料であるが、その一部分しかネットには登場しない。「いちばん面白い話は、ネットにはない」
2014-11-26 07:26:52「いちばん面白い話」を伝える機能は、テレビや新聞などの伝統的メディアに比べれば、ネットはすぐれているだろう。それでも、ネットでさえ限界がある。結局、私たちの体験する世界のうち、ネットは言語化、記号化できる一部分を担当しているに過ぎないということである。
2014-11-26 07:28:01私自身は、ネットの可能性を肯定するし、これからもネットを積極的に使っていく。一方で、ネットと無縁な体験世界が無限に広がっていることを、人生のバランス、という意味で、好ましいことだと思う。東京の街角を、スマホも見ずにあるいているときの「ほっとする気持ち」は、魂の温泉だ。
2014-11-26 07:29:43