独歩氏の信州街道歩き記録

私ではありません。街道歩きの大先輩である独歩さん (@yojigentoire) の街道歩き記録です。 常に綿密な事前調査を行いながら歩いていらっしゃるので、まとめにするとまるでガイドブックのよう。ぜひご一読ください。 ※togetterの仕様のために複数の写真が添付されたツイートは代表で1枚しか掲載されていません。ご了承ください。
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独歩 @yojigentoire

信州街道高崎宿から君が代橋を渡った先の追分で中山道から分かれ、大戸宿笹宿等を経て鳥居峠で信州に入る物流路。主に北信三藩(飯山、須坂、松代)が参勤交代や廻米輸送に使ったほか、草津温泉の湯治客が利用した。 pic.twitter.com/6Z4nuMEbgz

2014-11-19 07:57:37
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独歩 @yojigentoire

北国街道は、善光寺辺りからは信州街道を通って沓掛(軽井沢)に入る方が北国街道を回るより近道だったので次第に輸送量が増大、北国街道筋の7村は1650年に訴訟を起こした。道中奉行は松代より西は北国街道を、東は信州街道を通るべしと裁定した。 pic.twitter.com/bY6OTAwBcY

2014-11-19 09:15:23
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独歩 @yojigentoire

この裁定で発送地の振り分けは解決したが、信州街道大笹宿は、次の宿場まで信州街道鎌原宿なら2里、中山道沓掛宿までなら5里なので駄賃が稼げる沓掛宿に荷を送った。そうすると鎌原宿以下信州街道筋の6宿が訴え、ルートは荷主の注文次第になった。 pic.twitter.com/99NbdA9oJP

2014-11-19 09:19:10
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独歩 @yojigentoire

信州街道神山宿=烏川右岸の宿場。かつて左岸の室田宿と共に中山道の助郷であったが、1746年に信州街道の荷継場として開駅された。この辺りは、信州街道は烏川の右岸筋と左岸筋があったので、荷の取扱いを巡る両宿の係争は明治迄続いたと言われる。 pic.twitter.com/d2yfAPmAgu

2014-11-19 10:16:25
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独歩 @yojigentoire

野菜の無人販売所 お金入れてね。 pic.twitter.com/mlvKURTdLi

2014-11-19 10:46:59
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Rie @alpsmieru

@yojigentoire やっぱり右 はるな道(者る奈)じゃないでしょうか。はるな方向だなーと思いましたが「は」がわかりにくくて悩みました。

2014-11-21 07:57:07
独歩 @yojigentoire

@alpsmieru 気になっていたので調べてみました。同じ音でも元の漢字が一つではないので崩し方に違いが出るんですね。これが素人に読めない一因ですね。更に「奈」の「な」には「留」の「る」に似ている崩し字があって一層混乱します。 pic.twitter.com/V8DpMZllLx

2014-11-23 01:28:38
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Rie @alpsmieru

@yojigentoire なも癖が強いですよね、このはるなは。真ん中のなに近いような気もします。ひとつの文章の中に同じ文字を繰り返し使わないようにしたとも聞いたことがあります。俺は色んな字で書けるんだぜ!みたいな感じでしょうか。

2014-11-23 10:18:54
独歩 @yojigentoire

@alpsmieru なるほど、「な」は筆順からすると最後に点(ゝ)があるので真ん中の「な」に近いでしょうか。この碑文字は〇めるところが●に潰れているので、最初の「な」と合わさったような癖のある字体なんですね。点(ゝ)が無ければ上の「る」と区別がつかないです。

2014-11-23 11:14:09
独歩 @yojigentoire

今日は風が冷たく、休憩は日向ぼっこが心地よい。 pic.twitter.com/z3u20GFYgw

2014-11-19 12:44:27
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独歩 @yojigentoire

小栗上野介の墓=小栗上野介は、幕府洋式軍隊と横須賀製鉄所(後の海軍工廠)を創設、外国、江戸町、勘定等の奉行を歴任した能吏だったが、戊辰戦争で主戦論を唱えて慶喜に罷免され、領地の権田村に隠棲中薩長軍に捕らえられ碌な詮議も無く斬首された。 pic.twitter.com/ZrgNNITzeF

2014-11-19 14:07:01
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独歩 @yojigentoire

国定忠治処刑場跡=上州国定村に生まれた国定忠治こと長岡忠次郎は天保の大飢饉で農民を救済した義侠と言われるが、講談で随分と脚色され実態がよくわからない。博奕、殺人、関所破り等の重罪を重ね、大戸の関所近くのここで磔刑に処せられた。 pic.twitter.com/DZi2DHTdfE

2014-11-19 16:02:57
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独歩 @yojigentoire

大戸関所現在、八ッ場ダムが建設されている吾妻渓谷は、往時は通行が困難であったから、渓谷を迂回して吾妻郡の東西を結ぶ信州街道の大戸は要衝であった。家康関東入府の際は、秀吉は大戸に岡氏を封じたが、その後は幕府の代官支配となった。 pic.twitter.com/zLsALgCh2j

2014-11-19 16:26:05
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独歩 @yojigentoire

須賀尾宿=草津温泉を目指して高崎方面から信州街道を辿ってきた湯治客は、ここで信州街道を離れて北上し須賀尾峠を越えて草津に向かった。一方、善光寺詣りの人々は、そのまま信州街道を進み万騎峠越えていった。 pic.twitter.com/XFkrNJXmy2

2014-11-19 17:58:10
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独歩 @yojigentoire

江戸時代の道標=右 くさづ道 左 志ん州道 草津温泉の御一行は右へ、善光寺詣りの御一行は左へ pic.twitter.com/Ja1s92bso9

2014-11-20 10:11:43
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独歩 @yojigentoire

藪こぎ開始。道筋ははっきりしているので、道に迷うことは無さそうだ。 pic.twitter.com/wYIX6jqAoo

2014-11-20 10:13:03
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独歩 @yojigentoire

万騎峠=群馬県吾妻郡の吾妻町と長野原町の町境にある標高1281mの峠。かつては北信三藩の廻米や蕎麦、大豆、小豆や白根山や万座山から採れる硫黄がここを越えたが、信越線の開通により寂れた。頂上のブナの古木が今もここを見守っている。 pic.twitter.com/Nq3oyQzqds

2014-11-20 10:13:34
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独歩 @yojigentoire

宿で作ってくれたおにぎり弁当 いただきます。 pic.twitter.com/C29pmXSAwa

2014-11-20 11:28:46
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独歩 @yojigentoire

狩宿関所跡=中山道沓掛宿(軽井沢)から北上して草津温泉に向かう道と東西に走る信州街道が交差する地点に置かれ、特に中山道碓氷の関所を迂回して関東に入ろうとする者を監視した。 pic.twitter.com/jto8Hc5nB7

2014-11-20 12:41:10
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独歩 @yojigentoire

草輕電気鉄道跡=写真を撮っている若いマニアがそう教えてくれた。この先泥濘で歩けず、引き返して迂回するしかない。 pic.twitter.com/QhaRtJXwwe

2014-11-20 13:37:16
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独歩 @yojigentoire

浅間山の山麓で大遠回りしてトボトボ歩いていると、巡視のパトカーに呼び止められて職務質問された。色々訊かれて、ご親切に目的地に辿り着けなかったら110番しろって。最後はタクシー代わりに呼んじゃおうかな。 pic.twitter.com/EfqjS0lCa6

2014-11-20 15:01:06
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