茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1362回「英語よりも好奇心の方が遥かに大切」

脳科学者・茂木健一郎さんの11月27日の連続ツイート。 本日は、昨日少しふれたことについて、補足したいと思います。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート1362回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日少しふれたことについて、補足したいと思います。

2014-11-27 08:02:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

昨日紹介した、朝日新聞の「耕論」(これは、つまり、op-edですね) asahi.com/articles/DA3S1… における、益川敏英先生の論の中には、英語について考える上で、きわめて重大なポイントが含まれていた。そのことについて、今朝は考えたい。

2014-11-27 08:04:05
茂木健一郎 @kenichiromogi

益川先生は、「英語には興味がなかった」と断言しながら、こんな趣旨のことを言われている。「物理を知りたかったから、もちろん、論文は読んだ。数式でだいたいのことはわかるから、文章の部分はそれを敷衍した」。つまり、英語「を」勉強したのではなく、英語「で」勉強したのだ。

2014-11-27 08:05:16
茂木健一郎 @kenichiromogi

言語自体には上下はない。世界にある数千の言語は、すべて平等だ。たまたま、歴史的な偶然から、英語がlingua francaになった。日本語も、英語も、言語としては対等上等だ。では、なぜ、英語をやるのか。英語「で」しかアクセスできない内容に、触れるため。それ以外に意味はない。

2014-11-27 08:06:21
茂木健一郎 @kenichiromogi

英語で会話ができることにこしたことがないが、それが取るに足らない日常の話だったら、英語ができる頭からっぽになるだけだ。学問というものはそんなものじゃない。英語をやるのは、単に、英語「で」やった方がアクセスしやすい学問内容があるからというだけの話に過ぎない。

2014-11-27 08:07:37
茂木健一郎 @kenichiromogi

実際、英語圏で流通している情報と、日本語圏で流通している情報の間には、大きな格差がある。英語圏で流通している情報を空気のように吸っていないと、知の最先端にいるのは難しい。その意味では、翻訳を前提にしてきた日本の学問界、とりわけ文系は大きな転機を迎えている。

2014-11-27 08:08:52
茂木健一郎 @kenichiromogi

源氏物語を研究したり、日本史を研究したりするのに英語をやる必要は必ずしもない。経済学や社会学で英語をやらないのは致命的だろう。学問分野によって、英語の実質的な必要性には差がある。この視点から、大学入試にTOEFLのような英語試験を全員必修にするというのは、最悪の愚策である。

2014-11-27 08:10:13
茂木健一郎 @kenichiromogi

英語がぺらぺらで、頭からっぽの人より、英語が苦手でも、一つの学問分野を深くきわめている人の方が好ましいに決まっている。ベストなソリューションは、どうせ英語をやるんだったら、英語「で」ある学問分野を極めることだろう。そんな視点なしで会話重視したって、頭からっぽを大量生産するだけだ。

2014-11-27 08:12:46
茂木健一郎 @kenichiromogi

益川先生は偉大な事例だけれども、そもそも、ある分野に興味を持って、その分野の情報が英語でしかないということになったら、好奇心に満ちた人は、必死になって英語で読もうとする。つまり、英語よりも好奇心の方が遙かに大切だ。そもそも、知的好奇心がなかったら、大学だって必要ない。

2014-11-27 08:13:45
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート1362回「英語よりも好奇心の方が遙かに大切」をテーマに、8つのツイートをお届けしました。

2014-11-27 08:14:26