- dragoner_JP
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『昭和16年夏の敗戦』は重要な視点が抜けてるわね。海軍条約派は普仏戦争流の決戦、即ち、真珠湾攻撃の一発勝負で戦争にカタを付ける気で、陸軍は南方の要地を抑えたら独ソ戦に横槍を入れる気満々だったのを無視しているのがね…。まぁ20年以上前の古典だし
2010-12-05 00:47:39『日本の近代10大陸戦と世界』読了。末尾の「日本の戦史は「着眼」(イニシアティブをとって奇襲する)と「計画」に固執する参謀、現場の環境に自らの意思で適応し、勇敢で頑強に戦う将軍と下級将校、下士官、兵士と言う構図で終始変わることがなかった。(続く)」
2010-12-05 01:01:10「それでも世界戦史との比較でいえば、遥かに優れた戦いぶりであった。」末端で戦う兵士でしか無い自分としては腑に落ちる話であることか。「総力戦研究所」のお偉いさんは戦中も弾の飛んでこないところに居て戦後も栄達を遂げた。言わば、あの本はエリートの後知恵によるアリバイ工作であったでは?
2010-12-05 01:06:16局地的な戦闘に於いては立派な「戦いぶり」を示したのは確かですが、それを全体としてつなげる事には、当初から失敗していたとしか言いようが無いですね。それは指導力を発揮すべき高級指揮官の責任でもある
2010-12-05 01:12:04@nukomiti それに日本軍の場合、「計画」の為に「着眼」をあとづける性癖が無かったとは言えますまい。
2010-12-05 01:12:24@seibihei 日露戦争の段階で参謀の無謬性と無責任が始まっていたわけですしね。太平洋戦争に限れば服部卓四郎以下参謀本部作戦課のスタッフに重大な欠陥があったと言わざるをえないわけですし。
2010-12-05 01:17:07@seibihei 日露戦争の段階で乃木希典の独断専行(鉄嶺から奉天突入に方針転換)を「正式に命令変更とはしないが黙認する」という無謬性と無責任が始まっていたわけですしね。。
2010-12-05 01:19:03@nukomiti そして、その欠陥あるスタッフをそのままにしていたこと。そこから出た命令についてマトモに反論しようとしたのが本間中将くらいだったところに、日本の高級指揮官の限界があったのかなぁ、とも
2010-12-05 01:19:53@seibihei 陸大教育の導入時の失敗でしょう。師団レベルの作戦行動を教育するけど、それ以上の戦争指導は教育できない人材しかドイツから借りれず、その後、改革されることもなかったという点でもう。…
2010-12-05 01:21:12@nukomiti 指揮官が戦機を看破しての独断専行は当然あるべき事です。参謀将校はそれに合わせて作戦指導の修正を準備・具申するのが当然でしょう
2010-12-05 01:21:16@nukomiti メッケルの教育に欠点があったのはさることながら、そこから劣化する一方だったと言うのが何とも。論理的思考をする能力を育てる場所ではなくなっていたし、それは今の日本でも見られる風景です。
2010-12-05 01:24:07@seibihei 高級指揮官は、師団長以上は親任官で解任できないという人事慣習がありましたしね。また、作戦指導の修正を怠る参謀が、具体的には松川敏胤ですけど、それがもう明治の段階で現れていたのです。これを是正する事ができなかったのが、後年禍根になったのは間違いないでしょう。
2010-12-05 01:28:52@nukomiti それを是正しようとしなかったところに日本陸軍の限界があったわけです。模範としたはずのドイツ兵学では「兵術とは臨機応変の体系」とされていたんですが
2010-12-05 01:36:16@seibihei その結果、現場指揮官以下の命と身体・精神の損傷に拠って贖わるわけです。…人間というのは思いの外、進歩しないのでしょう。
2010-12-05 01:36:38ではどこに禍根があったのか?となると、やはり模範を表面的にしか真似ておらず、その意味を理解する前に「独自の兵学」にシフトしようとしたところでしょうか。陸海問わず。
2010-12-05 01:38:00@seibihei 余所の国でもあることかもしれませんが、スローガンばかりあって実態を一切考慮していないことがありますよね。「『競争原理』を用いれば常に調達価格は安くなる。」とか。
2010-12-05 01:40:33@Knife02 まあ、日露戦争である程度成功はしたんですが、「だからオレ流最高!」になってしまうメンタリティは何とかならないものかと
2010-12-05 01:44:42