時枝誠記『国語学原論』読書メモ集

時枝誠記『国語学原論』(岩波文庫、上下巻、2007・3&4)の読書メモをまとめました。
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荒木優太 @arishima_takeo

時枝誠記のことをいつもトモキと読み間違えてしまうので、今日から彼のことをモトッキーとあだ名すことに決めた。よろしくね! モトッキー‼︎

2014-12-08 09:29:43
荒木優太 @arishima_takeo

あれ? ラングとパロールが対になってるのは分かるしラングとランガージュの対も分かるのだが、だとしたらパロールとランガージュってなにが違うのだ? うーん…シニフィエ・シニフィアンもそうだがソシュール術語は覚えたと思ってもすぐに忘れてしまうよ。

2014-12-08 17:45:32
荒木優太 @arishima_takeo

時枝誠記を読み始めたわけだが、これって違くないか? 「馬」と「動物」は元から同一ラングであって、それを言うなら「馬」と「house」とかなんじゃないの? いや、それとも私のソシュール理解が間違ってるのか…頭痛い。 pic.twitter.com/3EWoS1SixW

2014-12-08 17:50:20
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荒木優太 @arishima_takeo

「ソシュール学に於ける価値の概念は、経済学にいう処の交換価値の概念への適用と考えられるのである。例えば、十円が何弗と交換され、米一石が何円に相当するかによって価値が決定されると同様に考えて語と語との対立関係を見ようとする」(時枝誠記『国語学原論』)。ソシュール×マルクス。

2014-12-08 20:29:44
荒木優太 @arishima_takeo

「ソシュールの「言語(ラング)」の概念は〔…〕デュルケムDurkheimの社会学説に胚胎する社会的事実なる思想によって導かれたものであるということは、一部の学者によっていわれていること」(時枝誠記『国語学原論』)。コセリウなんか引かなくてももう時枝が言ってた。これ有名な話なんだな

2014-12-08 20:34:08
荒木優太 @arishima_takeo

なるほど。 RT @denovesupply: 間違えというか、ラング/パロール・シニフィアン/シニフィエ/それぞれの概念の射程が異なる(故の「言語」「過程」説) んだね。でも、総合的には言語における主体がどこにあるのかおちう、生成文法から認知言語にまで応用されている射程(系譜)

2014-12-09 04:33:48
荒木優太 @arishima_takeo

「言語過程説は、その言語本質観に基いて、言語は凡てその具体的事実に於いては、主体の行為に帰着せしめられるのである」(時枝誠記『国語学原論』)。あれ、もしかして言語過程説って言語行為論と似たようなこと言ってる?

2014-12-09 09:30:56
荒木優太 @arishima_takeo

「「春の雨」に於ける「春の」は「雨」を装定するのであるが、それは、「の」が「春」を包む関係に立っている為であって、詞(春)辞(の)の結合によって始めて装定的陳述が成立するのである」(時枝誠記『国語学原論』)。装定ってなんスか?

2014-12-11 18:27:08
荒木優太 @arishima_takeo

時枝誠記『国語学原論』上巻読了。ラング/パロールと分割するソシュール言語学を構成的とし、それとは異なる過程的言語学を考える…訳だが、途中で、詞(コトバ)/辞(テニオハ)で分割したら、それも構成的なんじゃないの?とか思っちゃう。いや、転換の可能性があるから違うのは分かりますけど。

2014-12-11 19:05:50
荒木優太 @arishima_takeo

あと時枝がすでに「零記号」という用語を使っているのも驚いた。やっぱりソシュール由来なんだろうか(signe zero)? というか、誰か「ゼロ記号の思想史」みたいな本書いて欲しいよ。重要な概念なはずなのに、誰が何処でどんな風に使ってきたかサッパリ分からん。

2014-12-11 19:12:17
荒木優太 @arishima_takeo

映画批評でいう「マクガフィン」も要はゼロ記号ってことでしょ。これを文学理論的に一般化できると、すごい使い勝手のいいタームになると思うのだが。『漱石におけるゼロ記号としての女性』みたいな本、誰か書けばいいのに(…まぁゼロ記号とか言わないだけでもうありそうだけど)。

2014-12-11 19:15:03
荒木優太 @arishima_takeo

川の対岸は、橋にとっては欠くことの出来ない存在条件ではあり得ても、橋それ自体の内部的な構成要素ではあり得ない。言語は橋ではあるが、対岸は言語ではない。by時枝誠記『国語学原論』

2014-12-14 09:41:06
荒木優太 @arishima_takeo

書籍を「商品」と表現し、「知識の藏」と表現うる時、そこに我々は客観的に同一な事物に対する異った意味的志向を観取することが出来る。書籍を「書籍」と表現した時ですら、これを紙の集積として屑物屋の手で処理される時とは異った意味に於いて把握されているのである。by時枝誠記『国語学原論』

2014-12-14 09:44:21
荒木優太 @arishima_takeo

言語は何時如何なる場合に於いても自然的であることはあり得ない。言語は表現である以上、表現の理念及びそれを達成するに必要な技術或は技巧というものは言語と不可分離である。口語を自然であるとし、文語を人為的であると考えることは、既に言語の本質を忘れた考方である。by時枝誠記

2014-12-14 14:53:22
荒木優太 @arishima_takeo

時枝誠記『国語学原論』下巻読了。各論より総論の方が面白かったが、意外にも楽しめた気がする。書物の比喩が多いのと本居宣長の登場率が高いのが特徴的。詞/辞は玉緒でいう玉/緒という説明は分かりやすかったよ。あと、解説はトンデモ独学本『独学のすすめ』でお馴染み、前田英樹さんダヨ!

2014-12-14 15:39:29