沈黙した猿#1

寂れた村に現れた奇妙な見世物の集団。彼らと出会って、廃業寸前の音楽家ギルダーは大きく運命を変えます #2はこちら http://togetter.com/li/766924 #3はこちら http://togetter.com/li/769670 #4はこちら http://togetter.com/li/772741 続きを読む
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減衰世界 @decay_world

奇妙な一団が寂れた村の広場に現れた。白く装飾のない簡素な服を着ている彼らは皆、赤い猿の面をつけている。黙ったまま木材を馬車から下ろし、一言も喋らずてきぱきと広場の中心にテントを設営する猿面の男たち。村人は遠くから、あるいは木陰、家の窓からその様子を見る。 1

2014-12-18 20:23:29
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村人は一様に困惑の表情を浮かべていた。この怪しい猿面の一団は、昨日の夕方、突然この田舎の何の変哲もない農村に現れた。20台ほどの馬車の群れが押し寄せたのだ。宿場など無い。彼らは一晩馬車の中で過ごしたようだ。朝になると彼らは大きなテントを作り始めた。 2

2014-12-18 20:30:58
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テントが完成に近づいた頃、一人の男が広場に現れた。太った老人で、歯がいくつも抜けている。農村にしては豪勢な服を着て、頭にはふかふかした帽子を被っていた。彼もやはり戸惑いの表情だ。「村長。何者なんですか奴らは」 一人の若い男がその老人……村長に近寄って囁いた。 3

2014-12-18 20:37:12
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「見世物だよ、見世物。しばらくこの村で公演をするということだが……」 村長は自信のない声で答えた。「やれ、お前たち。村人が怖がっているではないか。何をやるかくらい愛想よく説明せんかい!」 村長が声を張り上げて猿面の男たちに呼びかける。すると、作業が止まった。 4

2014-12-18 20:44:10
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猿面の男の一人が、馬車からひとつの看板を持ってきて、広場の良く見える所に設置した。他の猿面の男たちは静かにそれを見ている。『世紀の奇術師。幻惑の踊り子。その踊りを見たものは、忘れかけていた音楽を思い出す!』 看板には、そう書かれていた。装飾豊かな宣伝文句だ。 5

2014-12-18 20:50:43
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これで十分か? と言いたげに、猿面の男たちは作業を再開した。村長は苦虫を噛み潰したような顔でその場を立ち去った。村の男たちも、奇妙だと思いつつ自分の本来の仕事に戻っていった。ただ、一人を除いて。彼は、青いシャツを着た短髪の青年だった。目のクマが深い。 6

2014-12-18 20:56:34
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青年の名前はギルダー。村の音楽家だった。ただ、今は廃業同然だ。彼は音楽を失っていた。どうしても、歌が歌えず得意のチェロも全く触っていなかった。ただ、彼は貯金と時間をすり潰して、この広場の日当たりのいいベンチに座っていた。今日も同じように塗装の剥げたベンチに座る。 7

2014-12-18 21:04:36
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猿面の男たちは音一つ立てず作業を続ける。ギルダーもまた、時間が止まったように静かにベンチに座っている。突然止まった時間が動いた。誰かが馬車から下りてきたのだ。軽い身のこなしで馬車から躍り出た彼女は、軽やかなステップで広場を舞い始めた。紫の髪が揺れる。 8

2014-12-18 21:11:55
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彼女の紐のような衣装にたくさん下げられた鈴が、しゃらしゃらと音を立てる。そのとき初めて、時間の死んだ広場にひとつの音楽が生まれた。 9

2014-12-18 21:22:42
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ギルダーはクマの深い目でその娘を見ていた。肩で切りそろえた紫の髪が揺れ、ほぼ裸足のようなサンダルは広場の砂地の上で軽快なステップを踏む。しばらく踊った後、ギルダーに向かって深々と礼をした。どうやら彼の視線に気付いていたらしい。にこりと微笑んで言う。 10

2014-12-19 20:45:20
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「公演は三日後からです。ぜひ私の踊り、見ていってくださいね」 再び彼女は馬車へひょいと飛び乗ると、奥に入ってしまった。日がかげる。いつの間にか空には雲が湧きあがり、太陽を隠してしまっていた。ギルダーは立ち上がると、黙ったまま、自分の家へと向かっていった。 11

2014-12-19 20:50:50
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それから三日後、予定通り公演は始まった。一週間ほど公演するらしい。村人に娯楽は少ない。初めは気味悪がっていた村人たちも、一人、また一人とテントに入っていった。そして、その全員が晴れやかな顔で出てくるのだった。「いやぁ、素晴らしい!」 「見てよかった」 12

2014-12-19 20:55:58
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ギルダーはいつものように真昼の空の下、ベンチに座っていた。目の前には巨大な赤いテント。広場には村人がたむろして感想を語り合っていた。興奮した様子で、嬉しそうに! 「青春が帰ってきたみたいだ」 「俺は、初恋を思い出したよ」 「素晴らしい音楽だ……」 13

2014-12-19 21:01:56
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村人の話を盗み聞きすると、中で何が行われているか大体分かる。踊り子は、踊りながら銀色の笛を吹くという。それは最初、音はしない。だが、次第に音楽が聞こえてくるというのだ。その音楽は、自分の人生で最も重要な時の、忘れていた音楽であった。観客は皆それを思い出すという。 14

2014-12-19 21:09:16
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あまりにも村人たちが絶賛するので、ギルダーもテントの中が気になってくる。しかし、彼はつまらなそうに空を見上げた。「男一人で見世物なんて、くだらない」 彼にも一緒に歌を歌っていた娘がいた。だが、いまの彼の隣にはいない。ギルダーのしわだらけのシャツがそれを物語っている。 15

2014-12-19 21:14:41
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ギルダーは真っ赤なテントを見た。音は聞こえてこない。ただ、観客が笑ったり、泣いたり、叫んだりするざわめきが聞こえてくるだけだ。そして、晴れやかな顔でテントから出てきて、興奮した様子で周りの村人と語り合う。彼はこれほどまでに人間の心を動かす見世物を見たことがなかった。 16

2014-12-19 21:19:53
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「僕が今までやってきたことは、大したこと無かったんだな」 ギルダーはぽつりと言葉を漏らした。彼は村の音楽家だった。チェロを弾きながら、歌を歌う。隣にはいつも娘がいた。名前はイザベリ。彼女もまた、村の音楽家だった。二人は切磋琢磨しながら、互いに腕を磨き合った。 17

2014-12-19 21:29:00
減衰世界 @decay_world

だが、ギルダーは共に腕を磨いたイザベリを失い、こうしてつまらなそうにベンチに座るだけの日々を送っている。ギルダーはそんな自分を省みて、冷たい石のような顔をした。「いやだ、もうこんなのは嫌だ」 彼は立ち上がった。 18

2014-12-19 21:34:11
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そしてテントに向かって歩いていく。自分が再起する何かを求め……這いあがるヒントを求め、彼はテントの入口をくぐった。 19

2014-12-19 21:36:31
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真っ赤なテントの中は、落ちついたクリーム色の麻布の内装だった。大きな丸い舞台が中心にあり、奥に花道が見える。舞台は木の板を組み合わせて作られており、猿の面を被ったスタッフが歩くたびギシギシと軋んでいた。木箱そのままの椅子がいくつも並べられている。 20

2014-12-20 20:23:42