- AbaslevAmakasu
- 835
- 0
- 0
- 0
この映画では、翻訳家(故)スヴェトラーナの三つのショクが中心に据えられていて、食と職と織なのだが、それらの要素が見事なまでにドストエフスキーとリンクしてこない。
2014-04-05 19:22:29それも当然で、それら三つのショクはドストエフスキーの(少なくとも五大長編)小説で徹底的に欠落している要素だからだ。激動のウクライナで言葉を縁として生き抜いた翻訳家の生涯として扱うにも、ドストエフスキーである必然性がなさすぎる。
2014-04-05 19:25:19結果的に、「文学的な蘊蓄より、知的で自立した女性のドキュメンタリーとして打ち出したい」という制作側の意図が丸見えで、文学そのものは完全な添え物になっている。これは何より故スヴェトラーナにとって最も冒涜的な態度だと思うのだが。
2014-04-05 19:28:08驚くべきことに、『ドストエフスキーと~』などという邦題を付けておきながら、作家と直接関連するのは『罪と罰』の老婆殺害場面と、五大長編の本を積む場面(内容には一切触れない)だけ。
2014-04-05 19:30:43スターリン体制とナチズムに引き裂かれた女性が、ドストエフスキーのドイツ語訳をするに至る動機を浮かび上がらせるのはいい。しかし老翻訳家からドストエフスキーへの思いを引き出すことには全く成功していない。なら「五匹の像を引き連れた女性」なんて思わせぶりなタイトル付けるんじゃないよ。
2014-04-05 19:36:25冒頭、故スヴェトラーナがまず言葉の不要性と翻訳の不可能性について言及するくだりは、『ゲットラウド』でのジャックホワイトとギターのくだりみたいでよかった。
2014-04-05 19:39:35一時代を生き抜いた女性の姿をドキュメンタリーとして追うのはいいんだが、文学じゃなく語学に類するこの作品に『ドストエフスキーと~』などという邦題を付けるのは何より故スヴェトラーナに対して最も冒涜的な態度だと思うんだわ
2014-04-05 19:49:35もちろん制作側が題材を絞り切れてない問題もあるが、とっちらかったままのドキュメンタリーを「翻訳家の人生をたおやかに描く~」みたいなツラで公開する神経が理解できないし、何より故スヴェトラーナ本人に対して不誠実すぎる作りだ
2014-04-05 19:52:26本当に胸クソ悪いドキュメンタリーだった、そもそも撮影するにあたってスヴェトラーナ本人が「自分は人前に姿を見せる職業じゃない」って一度辞退したらしいじゃないか
2014-04-05 19:56:44目的もないまま取り始めて「翻訳家の生涯も、彼女のルーツも、あとドストエフスキーも…」って手を伸ばしてまとめきれなかったのが見え見えなんだよ それも作中で彼女が言っていた「全体を見なさい」というメッセージと真逆の失敗をしてるわけだからもう
2014-04-05 19:58:13五大長編だけで『Room 237』ばりの「俺ビジョン開陳会」ができるほどの内容があるし、故スヴェトラーナの口からもそれに類するものを引き出すこともできたはず、しかし何もなく終わる。で、タイトルには申し訳程度に五大長編を思わせるフレーズ。何がしたいんだよバカ野郎
2014-04-05 20:09:19『ドストエフスキーと愛に生きる』の何が問題かって、みた後に全然ドストエフスキーを読み返したくもならないし語りたくもならないという点。
2014-04-05 20:11:11お前のヘタクソな「激動の時代を生き抜いた知性的で自立した女性」ビジョンを描くために利用された故スヴェトラーナ(とドストエフスキー)の気持ちになってみろよ
2014-04-05 20:16:44こういう書き方をすると自分がモンスター消費者になったみたいでイヤなのだが、『ドストエフスキーと愛に生きる』という邦題は誇大広告として訴えられても仕方ないと思うぞ。テーマが絞り切れてないんだから『ある翻訳家の人生』あたりが適当でしょ
2014-04-05 20:34:48