【シューニャリアーナ藝術論】アートの歴史と諸問題

職人が作り上げる創作というのはとても素晴らしく、感性をそばだてる強度を持つ。 ところが、その強度がついぞ快に目覚めたとき、その歴史を疑うようになる。 何故か?簡単。その歴史が決して清らかな流れではないことを知るからだ。 しかし、その歴史においても、人がある種の快なる甲斐、に価値を見出してきたが故の文化であるのも、また事実だ。 歴史がうずたかく積み上げた穢れと問題は、快を享受する我々がともに手を取り合って解くべき責務となったのかもしれない。
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前談

bel @belacquiproquo

「アートといえば許されるのか」という言葉は「対象が許されている」と誤認した上で発される。「なら私も許してほしい」という望みも絡まっている。

2014-12-27 03:45:52
bel @belacquiproquo

「非実在です、フィクションですといえば許されるのか」

2014-12-27 03:47:52
bel @belacquiproquo

「許す・許さない」のは誰であるかは語られない。

2014-12-27 03:49:36
bel @belacquiproquo

「宗教キモイ」と言いながら「(神に)許されると思っているのか」と問う。

2014-12-27 03:50:33
bel @belacquiproquo

先日の「客は神様」の話はここでも面白いつながりがあると思う。

2014-12-27 03:51:19
bel @belacquiproquo

「消費者・客」というアイデンティティを持つ私は、「神様」を代弁している。

2014-12-27 03:53:15
bel @belacquiproquo

エロ同人というのは逆かもしれない。「私」ではなく「我々」だから許されると思う。集合して同人化すれば、それは「社会」であって「私」ではない。だから許されるもなにも、それが決まりごとだ。何が悪いというのだ。

2014-12-27 03:56:06
bel @belacquiproquo

「悪い」というなら、悪いのは「同人」であって「私」ではない。私を責めるな。だが、悪い「同人」とは私のアイデンティティだ。同人と成って欲望するのを止めろと言うなら、なら私はどうすればいいというのだ。何が「良い」、許されるというのだ。

2014-12-27 04:01:33
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

赤信号 みんなで渡れば ×怖くない ○信号が無かったのと同じ意味だ

2014-12-27 16:50:49
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そこにある面倒くさい信号を取り除くために 徒党を作る あるいは 徒党のルールで信号を作る

2014-12-27 16:51:24
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

で、同様のことを、村上隆も会田誠も黒瀬陽平も藤島嘘もやったわけだ。 ただし「アートの上で」。

2014-12-27 16:52:26
bel @belacquiproquo

ソクラテスの道を歩もうと思うたヨーゼフ・ボイスは「アートの上」から港町の祭り事までくだり、教育者となった。

2014-12-27 17:27:50
bel @belacquiproquo

下山の途中村上隆と出会い挨拶を交わした後ヨーゼフは独りこころの中でつぶやいた。こんなことがあるものか!金が死んだことについて、この老いた日本人が、自分の國でまだ何も聞いていなかったなんて!

2014-12-27 17:38:28

「アート」の歴史物語

難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

「Art」って言葉の意味は、考えるたんびに難しい 元々の意味は美的な創作とか主張の創作などではなく Ars…職人のわざでできたモノのこと 多分だけどドイツ語の「医者」にあたるArtzなんかも語源は一緒だと思う

2014-12-27 17:52:53

英Art
独Kunst

…その語源はラテン語のArsまでさかのぼるが
思想としては、「技術」を意味するギリシア語の『τεχνη』(テクネー)から来ている

テクネーからは「人工技術」を意味するTechnologyや
特殊な技巧を示すTechnique等の語が生まれている

また
Architectureと言うと『Arche-(根源、一、主)』たるTechneを持つモノという意味あいになる
Ar-と来る語は
Arkos(円、弧)を思わせる
円なるものは完全な形であり
自然が作っていながら、どことなく人工的な作為性をにおわせる
つまりArsにはそもそもArche/ArkosとしてのTechneという痕跡が見て取れる

人為的にして完全(あるいはそれを目指す)なもの。
Artにこめられたものには未だなお、ギリシアの自然哲学思想の影が残っているのかもしれない。

協力:上海帰りの髭ダンス(‏@Dancing_Whisker)様

難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

だからどっちかってと柳宗義あたりが言う「職人の技」要素との共通点のほうがある ところが、「美」とかいう感性的な価値が世の中に出てきてから、話は微妙に別方向にシフトしていく だいたい、デカルトかカントのせいなんだけどね。

2014-12-27 17:54:36
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

それまで「美」とかいう感性が扱うモノは考察や価値の対象にならんかった 正確には、あったけど、一旦中世キリスト教がやってきて、全部語っちゃダメにしちゃった それは神の作り与えたもうたモノなんだから、人間の曖昧な価値で語っちゃだめですよー、という。

2014-12-27 17:55:49
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

デカルトさんやカントさんがでてきて変わったこと… デカルトの有名なひと言 『良識(Bon sens)は万人に均等に配分されている』

2014-12-27 18:01:49
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまり デカルトは、「人間のものを見る目ってのはみんな同じように持ってるぞ」って言っちゃった センスは人間が確かなものとして持っている これを言ったことで、それ以降人間の主観が見るモノが不正確とも限らない、正しくなるかもしれないって線が見えてきた

2014-12-27 18:02:48
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

それが、感性を考える、「美」などの人間たちのあいだの「価値」について考えることの有意義性をバックアップした そこで、カントが決着を放つ――実践理性批判にて、こいつが 『趣味判断(感性の判断)と理性の判断は別』と、でっかい事言っちゃったわけです

2014-12-27 18:04:18
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

まだまだこのころは今の「アート」が出てきたとは言い難いけど カントは確かにそれに繋がる考えを出した

2014-12-27 18:04:49
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

時代がちょい下って、ベートーベンとかが死んで、ロマン主義とかやってきたころ この辺で向こうの人たちは「個性」が大事だとか言い出した つまり「作り手の個性がバロメータ」になっていった

2014-12-27 18:05:53
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

それとともに、「作品って誰のものだ?その作った人のものだろう」って発想も強くなっていった 作品とはなにか、の考えが変わっていく瞬間だ とうぜん、それを「枠づける」ところで、「アート」をほかのものと分ける動きも出てきたのだ

2014-12-27 18:06:50
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