#鳳翔の艦娘講座 番外編 酸素魚雷に纏わるエトセトラ

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鳳翔 @Housyou_kankore

さて、話は変わりまして。 前回の冬の有明イベント海域、通称C87では、1/24サイズの九三式酸素魚雷の模型?が頒布されたとか。 実際に手に取られた方もいらっしゃるのでしょうか。 excel.zuya.jp/C87_CM/ こちらのサイトのサークルさんですね。

2015-01-06 23:14:46
鳳翔 @Housyou_kankore

この酸素魚雷。艦これゲーム中でも駆逐艦の皆さんを中心としまして、やはり憧れの的のようです。 …では、史実では如何様な物だったのでしょうかしら。 それではお付き合い下さい。本日の #鳳翔の艦娘講座 は番外編とさせて頂きまして、「酸素魚雷に纏わるエトセトラ」です。

2015-01-06 23:16:53
鳳翔 @Housyou_kankore

まずこれを語るには、酸素魚雷がどんな物かと云う物を、少し歴史を紐解いてみましょう。 第一次世界大戦が終わった後、日本は軍縮条約により艦艇保有数を厳しく制限されます。 これにより、特に戦艦や空母保有数で英米に大きく水をあけられる結果になりました。

2015-01-06 23:18:39
鳳翔 @Housyou_kankore

そこで、「量より質」と云う形で個艦の能力を上げて行く事、また各個の装備火器の質を上げていく事、これらを重視していく形になります。 その典型例が、今度吹雪ちゃんに改二のお話が出ました「特型駆逐艦(吹雪型駆逐艦)」であり、零戦であり、と云う感じになっていく訳ですね。

2015-01-06 23:20:49
鳳翔 @Housyou_kankore

その「質の向上」については駆逐艦そのものもそうですが、搭載火器、つまりは魚雷にも目を向けられる事になります。 当時、世界各国は「より射程が長く、より破壊力が大きい魚雷」を求めて開発を行っていました。 実は、各国共に酸素魚雷の開発を行っていたのです。

2015-01-06 23:22:28
鳳翔 @Housyou_kankore

当時の魚雷は、石油、又はアルコールを燃料としまして、空気を利用した酸化剤を加熱室に吹き込み点火燃焼、この燃焼ガスでエンジンを回して推進力を得ると云う構造でした。 この構造の場合、燃料を十分に燃焼させるには、燃料に対しておよそ14倍程度の空気量が必要となります。

2015-01-06 23:24:08
鳳翔 @Housyou_kankore

ところが、普通の空気は空気中に含まれる21%程度の酸素が燃焼に役立つのみでして、残りの79%は全く不必要な窒素・二酸化炭素・その他の混合気でした。 ここで気が付いた方は流石です。この酸化剤の空気を酸素のみにしてしまえば、酸化剤の容積は従来の1/5で済んじゃう訳です。

2015-01-06 23:25:54
鳳翔 @Housyou_kankore

残りの4/5は、燃料増し増しにするもよし、炸薬増し増しにするもよし、欲張って両方増やすも良し。 燃料を増やせば射程が増え、炸薬を増やせば破壊力が増す。 両方増やせばどちらもパワーアップ。完成すれば実に夢の様な魚雷が出来る。 ・・・筈、でした。

2015-01-06 23:27:27
日下部 @kusakabe0530

@Housyou_kankore しかも、酸素のみだと全て燃焼して窒素等の不燃気体が海面に現れて航跡が見える事もなくなると言う一石二鳥な感じですね。(^^

2015-01-06 23:28:51
鳳翔 @Housyou_kankore

こうして各国はその夢に向かって開発を行っていくのですが、やがて頓挫する事になります。 と云いますのも、酸素は燃料と化合するとたちまち爆発を起こしてしまうほど敏感なため取り扱いが難しく、実験中に爆発事故を起こす何て事も多発したそうでして。

2015-01-06 23:29:27
鳳翔 @Housyou_kankore

英国では一旦実用化に成功をした物の、搭載した艦で爆発事故を起こしたため、破棄されて居ます。 …パンジャンドラムを実用化していた国にしては、慎重ですよね(くすくす)。

2015-01-06 23:30:43
鳳翔 @Housyou_kankore

さて、では日本では、と云いますと。 日本でも同じ様に開発が行われて居ましたが、1916年(大正5年)に燃焼実験中爆発事故を起こしまして、一旦開発は中止をされます。 しかしながら先程申し上げました通り、軍縮の関係で必要に迫られる形になってしまいます。

2015-01-06 23:33:04
鳳翔 @Housyou_kankore

この時白羽の矢が立ったのが、大八木 静雄(おおやぎ しずお)さんと云う御方です。 大八木さんは海軍に於いて魚雷実験部員として勤務していまして、1926年に海軍の技術大尉として英国に渡り、魚雷メーカーホワイトヘッド社で調査・研究を行います。 日本に戻った後、

2015-01-06 23:35:36
鳳翔 @Housyou_kankore

あら、切れちゃいましたね。 日本に戻った後、1929年から再開された酸素魚雷の開発中心メンバーとして活躍をしまして、1933年に試作第1号を完成。 1936年には実用可能な酸素魚雷の開発に成功をします。

2015-01-06 23:37:00
鳳翔 @Housyou_kankore

どのようにして酸素化合時の爆発の問題を回避したか、ですが。 当初は普通の空気を送気して燃焼させた後、徐々に酸素量を増やすと云う順次混合方式に於いて問題を解決します。

2015-01-06 23:39:34
鳳翔 @Housyou_kankore

こうして海軍に制式採用をされた際、試作第一号が皇紀2593年に完成をしたので、下二桁を取りまして「九三式酸素魚雷」と名付けられた訳です。 さて、では実際の所どの程度の性能差があったのでしょうか。 ちょっと性能比較をしてみましょうか。

2015-01-06 23:40:32
鳳翔 @Housyou_kankore

当時アメリカではマーク15と呼ばれる魚雷が一般的に使用をされていました。 此方は通常の空気魚雷で、1935年に制式化されています。 直径533mm、炸薬量374kg、速力45ノット、射程5500m、と云う感じです。

2015-01-06 23:41:56
鳳翔 @Housyou_kankore

対して、九三式酸素魚雷、一番最初に作られた1型と呼ばれるものは。 直径610mm、炸薬量500kg、速力50ノット、射程20000m(速力型) 速力40ノット、射程30000m(射程型) と、炸薬量・射程を比較しても圧倒的でした。

2015-01-06 23:43:46
鳳翔 @Housyou_kankore

こうして実用化をされた酸素魚雷。後に改良も加えられて、駆逐艦では白露型から標準装備として備えられていきます。 これで水雷戦隊は縦横無尽の活躍を! ・・・とは、なかなか行きませんでした。

2015-01-06 23:46:59
鳳翔 @Housyou_kankore

当初酸素魚雷は信管が過敏すぎて、艦が起こす波でも自爆してしまう事があるなどの問題点がありまして、この問題点はスラバヤ沖海戦で判明をします。 これは信管を改良したり魚雷の頭の形を変更する等の改良によって改善をされます。

2015-01-06 23:48:31
鳳翔 @Housyou_kankore

それにより、第一次ソロモン海戦やルンガ沖海戦ではその真価が発揮をされて行く訳です。 ですが、太平洋戦争は蓋を開けてみると、その魚雷を用いた戦術と云う物と実際の戦闘の進行は合致をせず、結果としてそれ程活躍できたとは云いがたい結果になっています。

2015-01-06 23:50:02
鳳翔 @Housyou_kankore

何故でしょうね?そこも紐解きましょう。 元々海軍は対米戦略として、「漸減邀撃作戦」と云うのを想定していました。 これは、大雑把に云いますと「敵の艦隊を補助戦力により戦力をそぎ落として、最終的に戦艦を基幹とした艦隊により打撃・撃破する」と云うものでした。

2015-01-06 23:53:07
鳳翔 @Housyou_kankore

それに用いられる「補助戦力」が、潜水艦で有り、水雷戦隊で有り、航空戦力で有り、と云うお話です。 元々この構想は、日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を打ち破った際の秋山参謀が立案した作戦を下敷きにして居ます。

2015-01-06 23:54:38
鳳翔 @Housyou_kankore

これにおいて、その水雷戦隊が放つ必殺の魚雷が先程から説明しています酸素魚雷な訳ですね。 敵水雷隊の射程より遙か遠距離から、点では無く面状に魚雷を投射し、撃破する。そう云う想定で重雷装巡洋艦の大井さん、北上さんも軽巡から改装をされていた訳ですね。

2015-01-06 23:56:15
鳳翔 @Housyou_kankore

ところが、この構想を根本からひっくり返してしまう出来事が発生をしてしまいます。 まず一つは、当初そもそも想定していたアメリカ艦隊との全力戦闘自体が発生をしませんでした。 これは、真珠湾攻撃により米軍主力を序盤で壊滅させてしまったため、生起しようが無かった訳ですね。

2015-01-06 23:58:25