《「私とあなたは違う人間だ」という確認》

自己ツイートをまとめました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

当たり前なのかもしれないけれど、 チェルノブイリ原発事故の後の被曝による健康被害を色々と学習した人の多くは、 東電福島第一原発が独自に抱えた問題や、事故の個別の特徴については、あまりたくさん学習していないように見える。 私の立ち位置は、共有できる人がごく少ないものかもしれない。

2015-01-23 23:04:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さらに加えて、 テレビ局や新聞記者が、視聴者や購読者に知らせずに、自社の社員に退避命令を出したという事実と、 福島県庁が意図的に被曝防護を妨害したという事実まで加えると、 すんなり共有できる人など、一握りかもしれない。 @karitoshi2011

2015-01-23 23:07:08
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

100万人単位(あるいは1千万人単位)の国民に害が及ぶかもしれない事実を 放置してきた東伝原発事故後の状況を考えるなら、 海外の交渉が難しそうな組織につかまった2人の民間人を、政策を変えてまで救出するような政府ではない、 というのは自明の話に思える @karitoshi2011

2015-01-23 23:10:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「近代日本政府」は、国民を切り捨てる、棄民政策が基本にある。 「国家にとって都合が悪い国民」は切り捨てる。 これは、近代国家の概念でもある「国民国家」を否定したありようだ。 制度が存在しても、この国の政治手法は、近代になっていない。 国民も、弱者切捨てに参加して、それを許容する。

2015-01-23 23:17:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「国民を大事にしない姿勢を公にする近代国家」など、 言語矛盾もはなはだしいので、 日本は、実質的には近代国家ではない。 国民を守らないことについて、一番損害を受けるのは当然国民だが、 それを国民が選挙で許容する以上、他国にも国際機関にも手出しできない。

2015-01-23 23:20:54
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

日本国民は、他の国に比べても、自国が母語としてる言葉の読み書きに関しては、 習得率が高いはすなのだが、 言葉の読み書きを使って自らの身を守ろうという意思は、 他ならない文字の読み書きを習得する学校という場所で叩き潰されるので、 身を守る道具として言葉を活用できるとは気がつかない。

2015-01-23 23:25:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

自らの意思や感想を正直に言葉で表現しようとすると、 最悪の場合、自殺にまで追い込むのが日本の学校だ。 そこまで辛い思いをするくらいなら、正直に言葉を使わないほうが良い。 学校から離れるという選択肢は、日本では、「保護者」である家族によって消去される事が多い。

2015-01-23 23:28:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

日本という国家の中で、 少数派に属するという事は、 もしかしたら棄てられる民になる事を意味するかもしれない。 日本政府は時折、示威行動として、一部の民を意図的に冷遇する。 それによって、他の国民を従わせるためだ。 「恐怖に脅えるくらいなら、おこぼれをもらうほうが良いだろう」と。

2015-01-23 23:32:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

日本政府に棄てられないためには。 まずは、政府の方針に従う意思表示をする。 できれば政府と同調して、多少理不尽かもしれないことに参加する。 共犯者であるという自覚を見せると、政府は、利権回路の一部に入れてくれる。 かも知れない。 実際には、多数に分配すれば利権は減る。

2015-01-23 23:36:12
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

国に見捨てられないために。 そう考える人たちうによる、 積極的に政府の方針に賛同する競争が発生する。 過剰適応というべきかもしれない。 実際には利権構造に組み込んでもらえるかどうかもわからないけれど、 政府に反対するよりは、おこぼれがくる可能性が増えると考える人が多発する。

2015-01-23 23:38:52
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

日本政府の方針に過剰t慶応する人たちにとっては、 政府に反対し、冷遇され、場合によっては見捨てられるかもしれない、政府への異議申し立てをする人たちの感覚が理解しにくい。 どう考えても、日本政府に反対するのは、苦しいし損だと感じる。 苦しく損な生き方を選ぶのは、理解に苦しむ。

2015-01-23 23:42:41
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

日本政府の方針に反対するのは、苦しいし損な生き方のはずだと考える人たちは、自分たちなりに推測する。政府に反対する人たちは、実はどこかから代価を得ているのではないか、と。 しかし、そんな代価など、存在しない。 政府の方針だろうが、理不尽だと自分が感じるものに賛同できないだけだ。

2015-01-23 23:47:57
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

自国の政府の政策に異を唱えるの事ができるのは、 人権の一部でもあるし、民主主義の基本だ。 私はそう学習したし、私自身がそう感じている。 だから、私は、必要だと感じたら、日本政府の方針に反論する。 そのほうが、私自身がすっきりするからだ。 それで、多少収入が減ったとしても、だ。

2015-01-23 23:55:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私の考えに「なに理屈こねてんだか、わからない」という人がいるのは、 むしろ、当然だろう。 私は私で、他の人と全く同じという事はありえない。 これもまた、近代社会の常識の一つだ。 私とあなたは、完全に同一という事はありえない。 だから、爆弾や銃で殺しあう前に、違いを認め合おう。

2015-01-23 23:58:29