フリッチョフ・シュオンの言葉

@Frithjof_Schuon のツイートをまとめました。
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フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

現代の心理学が提示する人間のイメージは、断片的であり、そのうえ卑賤である。真実を言えば、人間はあたかも動物性と神性の間で宙吊りにされているようなものだ。実際には、現代の思想-哲学的であれ科学的であれ-が認めるのは動物性のみである。-『人間の変容』序言

2012-11-22 19:31:06
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

個人的な祈りの目的は、ただ特定の恩恵を得ることだけにあるのではない。魂の浄化のためでもある。祈りは、心理的もつれをほどく、言い方を換えれば、無意識の内に氷結したものを溶かし、多くの隠された毒を一掃する。-「祈りの諸様相」

2012-11-22 20:06:41
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

第一に、愛は魂から幻想と欲望を取り除く。したがって、世界から有害なものを除く。愛は真空を創り出し、神がそこを満たす。満たすことで神は神自身を与えるのだ。聖人とは神に道を開いたこの真空のことである。-「愛の概念の複雑性」

2012-11-22 20:12:04
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

真実を言えば、人と神的実在を隔てるのは薄い壁にすぎない。神は無限に人に近い。しかし、人は無限に神から遠い。人間にとっては、この壁は山である。-「知恵の階段」

2012-11-22 20:17:50
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

神を知るとは神を愛することである。神を愛さないならば神を知っているということにはならない。-「預言的実体の神秘」

2012-11-22 20:21:19
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

賢者にとっては、星、花、すべてが形而上的な意味で無限なるものの証である。-「思想と文明」

2012-11-22 20:24:04
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

地にいる不信仰者は見たものだけを信じる。天にいる信仰者は信じるものをみな見る。-「啓示を拒むのか受け入れるのか」

2012-11-22 20:27:08
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

相対主義は絶対性のすべての要素を相対性へと還元することで、完全に非論理的な例外を設ける。すなわち、この還元それ自体。根本的に、相対主義は、「真理は存在しない」ということがあたかも真理であるという主張か、「相対的な真理しかない」という絶対的な真理の主張から成る。-「相対主義の矛盾」

2012-11-22 20:41:58
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

聖なるものとは、世界という周縁への天的中心の投影、また、ものの流れの中への「不動の動者」の投影である。これを具体的に感じることは、聖なるものの感覚を持つことであり、それによって、崇拝、敬神、服従の能力を所有することである。-「聖なるものの感覚」

2012-11-22 20:58:20
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

人は祈る。祈りが人を作る。聖人とは彼自身が祈りとなった存在である。祈りは地と天が出会う場である。-「霊徳」

2012-11-22 21:03:07
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

人生とは、現在の瞬間から死に至るまで、徐々に狭まっていく道である。この道の終わりに死があり、神に、したがって永遠に出会う。これらの現実はすべて、祈りの中、聖なる現前の時なき活動の中に、すでに存在している。-「祈りの諸様相」

2012-11-22 21:40:12
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

私たちは十字架を免れえない、存在を免れえないように。存在する全てのものの根底に、十字架がある。自我とは神から離れる下向きの道である。十字架はこの道の中断だ。-「十字架」

2012-11-22 21:57:17
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

「永遠哲学」の最も直接的な教義的表現は疑いなく、アートマー、マーヤー、Tat tvam asi(汝がそれである)という諸概念を持つアドヴァイタ・ヴェーダンタである。しかし、この教義は様々な形態ですべての偉大な宗教のエゾテリスムの中に―散発的にせよ―見出される。―「ヴェーダンタ」

2012-11-22 22:03:27
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

神を想うこと。頭の中では、聖なる存在は雪のようなものだ。心―実存の本質―の中では、それは火のようだ。清新、純粋、平和、熱情、愛情、至福。百合と薔薇。-「霊徳」

2012-11-22 22:13:33
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

世は我々を散らし、エゴは我々を抑圧する。神は我々を集め、解き放つ。神は慰め、神は救い。-「二つのテーマについて」

2012-11-23 19:10:30
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

幸福になるためには、人は中心を持たねばならない。中心とは、何ものにもまして、一なるものの確信である。もっとも悲惨なことは中心を失うこと、それによって、周縁へと流されること。人になるとは中心にあることであり、中心であることである。-「幸福」

2012-11-23 19:15:45
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

知それ自体、相対的なものでしかありえないと主張することは、人間の無知が絶対的なものであるということと同じである。―「正統と知性」

2012-11-23 19:19:41
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

信仰それ自体は我々の思考から生じるのではない。信仰は思考より前に、我々より前にすらある。信仰において、我々は時間の外にいるのだ。-「信仰とは「しかり」と言うこと」

2012-11-23 19:23:21
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

真理なしの信仰は異端である。信仰なしの知性は偽善である。徳のない働きはうぬぼれであり、働きのない徳はむなしい。-「真理と信仰、働きと徳」

2012-11-23 19:32:11
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

徳を神から切り離すとうぬぼれになる。ちょうど美を神から切り離すと偶像となるように。神に結びついた徳は聖性になる。ちょうど神に結び付いた美が秘跡になるように。-「真の修道の諸原理」

2012-11-23 19:38:08
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

唯一の真理があるのだから、唯一の啓示、唯一の伝統だけが可能であると結論せねばならないだろうか? これにはこう答える。まず、真理と啓示はまったく同等ではない語である。なぜなら真理は形を超えており、他方、啓示もしくは伝統は形から成り、形の世界に属するからである。-「啓示の多様性」

2012-11-25 19:50:33
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

「物質主義と反知性主義の決定的な誤りは、私たちの生の日々の経験が、測りがたいほどに、人間の智の発達の下にあるということを見落としていることだ。もし物質主義者が正しいのであれば、この智は解釈に困るほどの贅沢である。-「永遠哲学」

2012-11-25 19:52:37
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

十字架は聖なる裂け目であり、それを通って無限から慈愛が流れ込む。二つの次元が交差する十字架の中心は、見捨てることの神秘である。それは、魂が自らを失う時、「もはやない」「いまだない」、「霊的瞬間」である。-「十字架」

2012-11-25 19:59:51
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

阿弥陀とは釈迦仏の光と命である。南無阿弥陀仏と唱えることによって、念仏者は慈悲の金色の光の中に入る。彼はその名の神聖な光の中で安息を得て、完全な帰依、完全な報恩でもってその光に溶け込む。-「祈りの諸様態」

2012-11-27 20:11:31
フリッチョフ・シュオン @Frithjof_Schuon

人間の本性には三つの次元がある。意志、愛、智。それぞれが二つの相補的様態に分かれる。自制と行動、平安と熱情、区別と一致。-「知恵の階段」

2012-11-27 20:16:54
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