戦後にあった?! 「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」の征途とは…

いわゆる「二航戦」「五航戦」で知られる4隻のネームが、意外なところに残っていました。 「提督の食卓」でも知られる有馬氏(@aruma_kanjiro)のツイートまとめです。
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有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」といえば、かつて日本海軍で活躍した正規空母。1941年12月8日、同じく正規空母「赤城」「加賀」を加えた6隻でハワイ真珠湾を攻撃したことで知られています。以降、「蒼龍」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」が共に轡を並べて征途に向かったことは無い筈なんですが…

2015-02-10 17:08:42
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

ひとつ訂正(またかよ) 真珠湾攻撃後「瑞鶴」「翔鶴」「蒼龍」「飛龍」が共に戦ったのがそういや1つありましたな。インド洋作戦。何で忘れてたんだろう(;´д`)

2015-02-10 20:26:23
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

……実は、あったのです。 それも太平洋戦争の終結から23年後、1968年(昭和43年)12月なんて時期に。

2015-02-10 17:09:20
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

物語の舞台は南極大陸。 艦隊の名前は「南極地域観測隊第9次越冬隊」。第9次隊の越冬隊長は、横浜国立大学から参加した村山雅美氏でした。村山氏は戦中、海軍士官として戦艦「長門」、空母「瑞鶴」に乗艦。戦後は商社に勤めながら第一次ヒマラヤ・マナスル登頂隊に参加した経歴を持つ人物です。

2015-02-10 17:09:50
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

彼が南極大陸に立ったのは、1956年に日本が初めて南極に送り込んだ第1次隊から。困難を極めた末に失敗に終わった第1次ヒマラヤ・マナスル登頂隊でしたが、極寒の高所で登頂隊を引っ張り続けたその経験を、当時の西堀栄三郎・第1次隊長に認められ、西堀隊長から直々に請われての参加でした

2015-02-10 17:10:27
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

時が下って1968年。村山氏は第9次越冬隊長として南極にいました。このときまでに第1次、第2次、第3次、第7次と4度の南極行きを果たしていた村山氏は、国立極地研究所の中でも最もベテランの観測隊員となっていました。

2015-02-10 17:11:13
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

この第9次隊では、ひとつの挑戦が行われることになります。それは、日本人初の南極点到達。昭和基地から2600km彼方の南極点まで、村山隊長率いる越冬隊が雪上車を用いて踏破するという一大冒険旅行でした。

2015-02-10 17:11:48
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

このとき参加した雪上車は、コマツが製作したKD60型雪上車4両。太陽熱を効率よく吸収するため全身を真っ黒に塗られた4両の雪上車は、遠く南極点を目指して9月24日に昭和基地を出発(先発隊)します。頭上にはためくのは日本国旗(日章旗)、それに旧海軍&海上自衛隊旗である旭日旗!

2015-02-10 17:12:45
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

真っ白な雪の大海原を、旭日旗をはためかせながら突き進んでいく4両の雪上車。いつしかこの4両には、非公式のニックネームが付けられる事になります。村山隊長が乗車する先頭の「瑞鶴」、以下「翔鶴」「飛龍」「蒼龍」……かつて太平洋を疾駆した4隻の空母が南極大陸の雪原に復活したのです。

2015-02-10 17:13:37
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

途中、KD603「蒼龍」は機関故障により放棄されてしまいますが、残るKD604「瑞鶴」、KD605「翔鶴」、KD606「飛龍」は1968年12月19日、無事に南極点へと到達。復路ではトラブルなく出発地へと帰りつき、雪上車艦隊は往復5200kmにも及ぶ大旅行を成し遂げたのでした。

2015-02-10 17:14:49
ユキカゼ @NAVY_ICHIHO

@aruma_kanjiro あったあった、日の丸と旭日旗掲げた村山隊!! pic.twitter.com/iC3JTl14wD

2015-02-10 20:47:58
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有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

KD604とKD605の両車は昨2014年に日本機械学界の機械遺産に認定され、KD604は東京・立川の国立極地研究所南極・北極科学館で、KD605は秋田県にかほ市の白瀬南極探検隊記念館で、それぞれ保存されています。いずれも気軽に見学できますのでおすすめです。

2015-02-10 17:15:39
有馬桓次郎 @aruma_kanjiro

そしてKD603「蒼龍」が放棄された地点は、南緯76度30分、東経42度02分。現在のドームふじ基地から北北東114km地点の氷床下2~3mに、今なお原形をとどめたまま眠っている、と伝えられています。(了)

2015-02-10 17:16:22
リンク Twitter ユキカゼ on Twitter “@aruma_kanjiro 国立極地研究所所蔵、小松KD604大型雪上車「瑞鶴」置いておきますね”