大連甘井子埠頭の川崎車輌製電気機関車と満州港湾整備史にかんする延々と続くつぶやき (過去からのまとめ)
今日は国会図書館で資料調査。日中貿易促進議員連盟の資料集と「建設途上にある大羅津」を査収できたのが収穫であった。社史関係はあまり目新しいものはなかった。
2011-07-09 18:30:31社宅で思い出したのだが、大連甘井子区には「日本的房子」という旧満鉄幹部社宅がまだ残っている。当時、甘井子站北側は高級住宅地(山の手)だったらしい。たぶん、「参事」「職員」「雇員」で福利厚生に雲泥の差があったはず。
2011-11-19 17:08:20ググッて調べる港頭地帯。第57次作戦展開した甘井子埠頭は電機2両(前と変わらず)と桟橋電車が桟橋上に数両放置プレー状態。撮らないかw
2011-12-23 23:15:44そういう意味で、「貨車」研究といいながらも、満州港湾整備、満鉄人事制度まで言及したら立派な中国関係論文になりかねない。趣味の延長の筈だったのに。あのとき、甘井子站で川崎製電機を見たのが間違いだったのかw
2012-01-14 14:03:04何を血迷ったかこんなタグを付けるとかあたまおかしすぎw
こんなものを書き込んで何を召喚する気だったんだw
@SY1698 初めまして! 祖母から私のひいお祖父さんの話を聞いてネットで調べたらツイッターのが出てきたのでフォローさせて頂きました!(笑)←いきなりすみません
2012-04-09 09:38:56@sai_light さて、どこでつぶやいていたでしょうか(色々調べているのがあるので忘れてしまっているかもしれません、すみません)
2012-04-09 23:57:11@sai_light そのタグでしたかすっかり忘れていましたすみません。自分一人で細々と調べていたのですが、まさかご親族からこのような形で...奇遇です。
2012-04-10 07:27:01@sai_light 当時の刊行書籍や紳士録に写真がありましたよ。一番鮮明なのが「建設途上にある大羅津」。我ながら何を調べているんでしょうね。
2012-04-10 07:49:34@SY1698 びっくりですw まさか曾祖父の名前をツイッターで見つけるなんて(笑) 私は祖母から聞いた話だけなのであまり詳しくはないですけど満州の方で軍港を設立したとかいう話を聞きました^^
2012-04-10 17:29:01@sai_light 自分もびっくりしました。ご連絡ありがとうございます。文献を読む限り、建設に携わっていたのは大連、北朝鮮羅津の2つ、あと遼寧省壷廬島にも関わっていた可能性があります。戦時中に東京に戻り関連会社で役員を務めていたところまで判明しています。
2012-04-10 19:34:08@sai_light さんにはその後 色々と貴重な情報をいただき感謝しております (こんなことばかりつぶやいてて何考えてんだと思われるでしょうが...)
同様に満州港湾整備史を川崎車輌の電機と満鉄社員(桑原利英氏)から追いかけてきたのも自分だけ。富士車輌製タンク車から対中輸出史を論じ、大秦線から100t重貨車を検証したアホも自分くらいなものだw
2012-04-12 07:58:58もし2009年12月に、大連泉水石灰石露天鉱の窄軌がフル稼働していれば、自分は甘井子站に行かず、電機も見ずに空港に直行したはずだ。必然、こんな深入りなどしなかった。
2012-04-13 00:05:59f.hatena.ne.jp/SY1698/2012041… 「建設途上にある大羅津」より。上段右から2人目が満鉄羅津建設事務所長桑原利英氏。← 著作権保護期間超過済。
2012-04-14 18:10:41あっ「著作権保護期間超過済」と書いたのは、「葫蘆島築港方策」が満鉄、「建設途上にある大羅津」が羅津商工会と団体名義だから(50年超過しているのでパブリックドメインとなっている)。
2012-04-14 18:35:59近年満洲国時代の建築物は急速に減少しています...
てか長春大の横の、同じ建国大学跡地に立ってる、かいほーぐん空軍の大学にも遺構はあったんだろうか。何回か見る機会があったけど、いろんな意味で怖くてキョロキョロできなかったよw
2012-04-17 22:49:47@nagathuki 近年急激に満州時代の遺構は減っていますね。満鉄社宅なんて大連甘井子近辺にしか残っていないのかもしれないと思ったこの頃。長春にはその手の「社宅」残っていましたか?
2012-04-18 00:33:06@SY1698 でも、減ってると思います。新京神社の鳥居跡の石柱を取り壊してるところ(幼稚園拡充のためらしいです)にたまたま通りかかったときは、時代の流れで別に悪くもないのに、なんかもう切なかったです。大連だと星が浦のほうにあった古い建築はもうなくなってしまったんでしょうか…
2012-04-18 00:42:53@nagathuki 星が浦のあたりまで足を運んでいませんが、目立ってそういう建物はなかったように思いました。甘井子站北側には「日本的房子」だって案内してもらったんですが。それ以外まとまってはなかったですねー。
2012-04-18 00:57:47@SY1698 星が浦のあたりは一軒家(おそらく別荘として当初建ったもの?)の老房子が多くあった気がします。一軒で二三世帯住んでそうな感じのとこから、お金持ちの家っぽい手入れされたとこもあるようでした。アパート型の社宅は市内中心部にはもうなさそうっぽいっすね。甘井子行ってみたい…
2012-04-18 01:06:45