「さまざまな試合」形稽古と試合稽古からみる日本剣術の歴史3

「形稽古と試合稽古から見る、日本の剣術剣道の歴史2」は形稽古と試合稽古についてでしたが、今回は実際に江戸時代におこなわれていた、色々な形式の試合稽古の例です。 ここでいう試合は他流試合ではなく、同門内での稽古の一種です。 あまりWEB上に古い剣術の話が見られないので、浅学ですが、色々な史料や書籍を元に、剣術の発展について自分の認識を書いています。 参考資料や勉強になりそうな本等は最後に紹介しようと思っています。
6

日本の剣術に存在したさまざまな試合形式

みんみんぜみ @inuchochin

twitter.com/inuchochin/sta…で書いたとおり、形稽古と(剣道的な)試合稽古の間には多数の稽古方法が存在しました。打方・打太刀(攻撃側)と仕太刀・入身(攻撃側に勝つ側)が決まっている条件下で試合をする形式も多かったようです。

2015-02-15 00:38:02
みんみんぜみ @inuchochin

唐突に始まる形稽古と試合稽古から見る日本の剣術剣道の歴史 2.試合稽古

2015-02-14 13:42:48
みんみんぜみ @inuchochin

また、他には形稽古の延長で、攻撃側の攻めが限定されない・寸止めしない、などの稽古が古くから試合稽古法としてあったようです。

2015-02-15 00:39:28
みんみんぜみ @inuchochin

これら試合稽古の例としては、加賀藩の中條流(富田流)におけるトサバキ(攻め手が長い袋竹刀で自由に撃ちかかり、守り手が小太刀の袋竹刀でそれを防ぎながら勝つ)やシンノシンカゲ流の丸橋(素手、又は小太刀を持った守り手がシナイで自由に撃ってくる攻め手に対して身を守りつつ接近する)、

2015-02-15 00:40:34
みんみんぜみ @inuchochin

松本藩のジベン流の非打(打太刀はシナイで自由に打ちかかり、仕太刀はそれを防ぎつつ刃引の真剣を相手の脇の下へ摺りつける)などの他に、槍術や長刀における入身試合(長い槍を持って自由に突いてくる突き手に対して、防具を着用して短い槍や長刀を持った側が近寄って勝つ)というような、

2015-02-15 00:42:51
みんみんぜみ @inuchochin

試合も一般的に行われていたようです。 これに対して、新陰流系の流派では限定条件の稽古以外に、古くから手袋と面金を付けた状態での試合稽古が行われていたようです。仙台藩佐川新陰流の記録にそういったものがあります。(仙台藩新陰流の防具の絵) pic.twitter.com/mkEEA4ZL3Z

2015-02-15 00:46:49
拡大
みんみんぜみ @inuchochin

元禄(1688~1704)頃の長刀対槍の稽古の様子。槍側は防具を付けず、長刀側のみ防具を付けているので、長刀側の入り身の稽古(試合)だと思われます。 pic.twitter.com/joAoC0E2Vq

2015-02-19 00:55:29
拡大
みんみんぜみ @inuchochin

互角稽古 互角稽古とは剣道の用語で、どちらかがどちらかに稽古を付けてもらうのではなく、勝負する気持ちでおこなう稽古です。 互角稽古とは-コトバンク kotobank.jp/word/%E4%BA%92…

2015-02-19 00:55:43
みんみんぜみ @inuchochin

先ほどまで説明した試合形式は、武器の長さが違う、とか攻撃側と防御側に分かれているなど、条件や想定が非対称です。 これに対して互角稽古は同じ条件で勝負するもので、武道の試合と言えばこちらの方がイメージが近いかもしれません。

2015-02-19 00:56:00
みんみんぜみ @inuchochin

元々武術武芸というのはお互いに同じ条件で試合をするとは限らないものです。相手を確実に倒そう、制圧しよう、と思えば相手より長い武器を使ったり、不意を打ったりするのが当然です。そうなってくると、技を身につけるにあたっての稽古方法も、互いに同等の条件でする必要はありません。

2015-02-19 00:56:27
みんみんぜみ @inuchochin

これに対して、互角稽古は果し合いや決闘のイメージに近いかもしれません。宮本武蔵の逸話からもわかるように、戦国時代末から江戸時代初期の剣豪も他流試合をおこなっていたようです。この頃の試合の様子を書いたものとして、新陰流四天王、疋田豊五郎が書いた他流試合の記録が細川藩に伝わっています

2015-02-19 00:56:59
みんみんぜみ @inuchochin

また、夕雲流(新陰流系の流派)で有名な真理谷円四郎(江戸時代半ば)は頑丈な防具が登場する直前に活躍した剣豪ですが、他流試合1000勝だったとも言われています。

2015-02-19 00:57:19

真里谷円四朗(1660-1742)
相抜けで有名な針ヶ谷一雲の弟子です。

みんみんぜみ @inuchochin

ただ、真理谷円四郎もとても柔らかい袋シナイを使用していたと言われており、この頃の互角試合は現代剣道のように激しく打ち合ったり、強烈な突きなどは使用されていなかったと思われます。このように、

2015-02-19 00:57:23
みんみんぜみ @inuchochin

シンカゲ流系では、元々防具を使わず、もしくは簡素な防具のみで袋撓で稽古していたようですが、やはり激しく稽古すれば怪我は防げません。怪我を防ぐために防具を使用し改良し始めた流派で有名なのが直心影流です。この流派では怪我を防ぐために頑丈な面・小手・胴を使用するようになったようです。

2015-02-15 00:47:56

※直心正統流の高橋弾正左衛門が防具を使用しはじめ、その孫弟子の直心影流長沼国郷(1688-1767)が防具を完成させたようです。

みんみんぜみ @inuchochin

まとめ 江戸時代初期~江戸時代中期にかけて、非対称限定条件の試合稽古や簡素な防具での互角条件の試合稽古をする中から防具の改良が始まったと思われます。(ちなみにまだこの頃は現代風の竹刀は存在せず、袋シナイを使用している)

2015-02-15 00:59:06

第一回はこちら
「袋シナイ」形稽古と試合稽古から見る、日本の剣術剣道の歴史1

まとめ 「袋シナイ」形稽古と試合稽古から見る、日本の剣術剣道の歴史1 一般的に「竹刀が発明される前は木刀による形稽古のみだった」という話をよく見聞きします。時代劇でも、江戸時代の稽古風景は防具も付けず木刀同士で試合をしていたりします。 そういう話や稽古風景は本当にだったのか?というと、相当怪しいようです。 あまりWEB上にそういった古い剣術の話が見られないので、浅学ですが、色々な史料や書籍を元に、剣術の発展について自分の認識を書いてみました。 参考資料や勉強になりそうな本等は最後に紹介しようと思っています。 6357 pv 40 8 users 1

第二回はこちら
「試合稽古」形稽古と試合稽古から見る、日本の剣術剣道の歴史2 http://togetter.com/li/783869