《東電原発事故への対応の違いは、知識の差と価値観の違いによるものだった》

自己ツイートのまとめです。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「臨界しないとメルトダウンしないと思い込んでいた」「当時何を書いたか覚えていない」と2011年3月12日とその直後について言い張るキクマコ。 菊池誠教授の3/12メルトダウン発言と,小出助教からの訂正メールの存在を巡るやりとり togetter.com/li/197084

2015-02-28 23:21:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

今、思い返すと、 2011年3月11日時点の原発と原発事故に関する私と妻の知識は、 最低でも大阪大学教授の菊池誠氏よりも豊富で正しかった。 なのに私は、菊池誠氏ら物理系の科学者や、高校の理科の教員に対して、 私よりも知識が豊富だと、思い込んでいた。 メルトダウンを私達は理解してた

2015-02-28 23:25:08
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

高校の国語教員である私や、高等教育を受けていない妻よりも、 理科系の高等教育を受けていたり、理科の高等教育の教員である人たちは、原発に関する知識が大いに違いないと思い込んでいた。 完璧に間違いだった。 原発の技術と知識は、その先に拡張性がない、行き止まりのものだ。 知る人は少ない

2015-02-28 23:27:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原子力発電所を設計し、作り、運転し続けるには、 様々な分野の技術がある事が期待される。 ただし、期待されるだけだ。 例えば、東電福島第一原発1号機の運転開始時には、 コンピュータソフトでいうと「バグ取り」に当たるような作業が終わっていなかったので、 運転しながらの改良になった。

2015-02-28 23:30:15
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

東電福島第一原発1号機は、 いわば「試作品なのに商品化してしまった」ようなプラントで、 あちこちを運転開始後複雑に工事しなおして、 当初の設計とは似ても似つかぬものに成っていた。 などという話は、原発作業現場経験者や、反原発運動の勉強会では常識に属する話だった。

2015-02-28 23:32:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

しかし、理系の大学で、原発に直接かかわりがない専門を履修した学生が、 既に建設が終わっている老朽原発のプラントの様子を知る機会など、 冷静に考えると、あるわけがない。 原発の廃炉問題にでも関係するのでなければ、大学の理科の教員も知る必要がない。 彼らは、「知識がない一般人」だった

2015-02-28 23:35:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「知識がない一般人」である、大学の理系教員の一部には、 しかし2011年3月12日までの間に、「事故原発から放射性物質が放出されたので危険」という情報は行き渡っていたようだ。 そういう情報なら、メディア関係者の間にも行き渡っていたので、 知識の有無と危険性の認知は無関係だ。

2015-02-28 23:42:24
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ただし、「危険性の認知」の詳細な部分は、知識の有無に左右される。 高校の理科の教員や、大学の理系の教員のなかには、 本気で「100ミリシーベルトまで健康影響は出ない」と信じ込んでいる人が多くても、 驚くには値しない。 その辺はやはり、「知識がない一般人」と同じだ。

2015-02-28 23:45:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故による健康影響は、どんなものなのか。 あるいは、放射線外部被曝による健康影響はどの程度のものなのか。 さらには、内部被曝でどんな健康被害が起きるのか。 以上の3つは、こちらから過去の事実を調べに行かないと、 教科書には書かれていない話だ。 積極的に調べない人にはわからない

2015-02-28 23:47:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

例えば、私は中学と高校の国語の教員免許を持っているが、 免許を取るのにも、授業をするのにも、 自力で万葉仮名を読解する能力を身につける必要はなかった。 興味がある個人が、調べて身につけようとすることは可能だろうが、 私はあまり万葉仮名の自力読解には興味がない。 そういうものだ。

2015-02-28 23:50:57
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

代わりに私は、 現代文の中で、理科に隣接する分野の評論の読解には、興味がある。 大学入試センター試験や、小論文入試の課題文や、私立大学の一般入試などにもよく出題される種類の文章だからだ。 経済学に隣接する評論文も同様だ。 大学できっかけをみつける「専門」とはそういう狭い範囲だ。

2015-02-28 23:54:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私は大学卒業後、 理科隣接分野の評論文として、高木仁三郎氏の文章を読んだ。 仕事で自らが担当する高校生の卒業後の職場である原子力発電所について、 詳しく知りたいと考えた。 だから、関係する書籍を読んだ。それらの書籍には、文章だけでなく、地図や写真も掲載されていた。

2015-03-01 00:00:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

経済隣接分野の評論文の延長で、 鎌田慧氏の『自動車絶望工場』を読んだ。 同じ筆者の『日本の原発地帯』も読んだ。 結局、個人的な知識が311前にどう積み重ねられていたのか、 という話に過ぎない。

2015-03-01 00:05:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私の妻は、高等教育こそ受けていないが、 文章理解能力なら、文系大学卒業生よりも上だ。 しかも、理科の知識に関しては、私よりも広く深い。 さらに、妻は生まれたときから原発立地地元で生活して、 周囲に原発関係者がたくさんいた。 私とは少し性質は違うが、個人的な知識の積み重ねだ。

2015-03-01 00:07:57
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

何より、過去に起きていた原発の事故や事故隠しに関して、 私も妻も、他人事では済まない切迫感をもっていた。 2002年に明るみに出た、各電力会社の事故隠し。 その中には、「偶然過酷事故に至らなかった」レベルの危険なものも含まれていた。 それに危機感を抱いていたかどうか、だ。

2015-03-01 00:13:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ここまでの部分で言うと、 理系の安齋育郎氏や、文系の清水修二氏も、 私と殆ど違いはない。 鎌田慧氏は、全く同じと言っても良いほど私の立場に近い。 しかし実際に事故が発生して、 住民が被曝することを避けられない状況が目の前に現れて、 その先には知識の積み重ねではない乖離が発生した。

2015-03-01 00:24:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私にとって重要だったのは、 住民を可能な限り被曝させないようにして、被曝の害から守ること。 安齋育郎氏にとって重要なのは、国民の心の安定。 清水修二氏にとって重要なのは、地域社会の存続。 鎌田慧氏にとって重要なのは、民主的政府の実現。 これは、価値観の違いの問題なのだ。

2015-03-01 00:28:50
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

まとめる。 原発事故後の対応について。 理科系といわれる人の多くは、実際の原発に関する知識が不足していて、適切な話が(ウソも含めて)できなかった。 知識がある人の間では、価値観によって、対応が分かれた。 被曝防護を最優先課題においた人からの情報発信は、ごくごく少数になった。

2015-03-01 00:36:12
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

他人の価値観についてまで、どうこう言う権限は、私にはないのだろう。 しかし、住民に被曝を回避させることは、個人の価値観の問題だけではなく、 核施設を設置し運用している社会においては、 中央政府、地方政府、テレビ・新聞などのメディア、そして「知識人」の義務ではないのか?

2015-03-01 00:59:38