フリージャーナリスト堀潤さんによる福島県いわき市薄磯地区の今【2015.03.02】
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今からいわき市へ。今日は当時10歳で津波で亡くなった鈴木姫花ちゃんのお父さんに1年ぶりに会いに。姫花ちゃんが生前に描いた薄磯の風景画をハンカチにし販売。収益を全て震災遺児等を支援する活動に寄付し続けてきた。写真は去年紹介した際のもの。 pic.twitter.com/kyesjiNsFM
2015-03-02 10:10:19先日南相馬を訪ねた際にお会いした「ベテランママの会」代表の番場さん。放射能に関する勉強会や冊子を製作するなどして地域で知識の共有をはかってきた。今回表彰へ。→県内団体を表彰 | 福島民報 minpo.jp/news/detail/20… pic.twitter.com/BYjuhBRMwZ
2015-03-02 10:25:27先日、地元を案内して下さった浪江町請戸出身で歌手の門馬よし彦さん。震災以来、避難所や仮設住宅をギター一本でまわって歌で避難生活を続ける皆さんを励ましてきた。素晴らしい唄声を取材中に聴かせて下さったので後ほどその模様を動画で公開します。 pic.twitter.com/249gv0MMZp
2015-03-02 10:38:21そして今日は広野町にも。震災、原発事故発生後も避難することなく入院するお年寄り達の治療とケアにあたり続けた高野病院へ。事務長高野己保さんに会いにいく。東京新聞の井上記者が書いた本を皆さんにもお勧めしたい。スーパーひたちで向かってます。 pic.twitter.com/NaQT7MQqxt
2015-03-02 10:46:31いわき市に到着。時折小雪が舞う寒さ。海岸一帯では新たな堤防の建設が進められている。昨年夏に取材に来た時よりも整地が進み、風景も刻々と変わる。この後、姫花ちゃんのお父さん、貴さんと落ち合う。 pic.twitter.com/eax6jagyCj
2015-03-02 13:01:53薄磯に続く海岸線。護岸工事や防潮堤の建設が終わり整然と。遠くに見えるのが塩屋埼灯台。姫花ちゃんが生前に描いた灯台だ。一歩一歩、復興に向けて。 pic.twitter.com/BkoSbYfHkx
2015-03-02 13:20:07いわき市平の沼の内。通り雨もやんで、青空。気持ちがよいなぁ。 pic.twitter.com/u1rZHlHsmL
2015-03-02 13:23:45いわき市薄磯の塩屋埼灯台前。ここが亡くなった姫花ちゃんが描いた震災前のいわきの景色。太陽を背にかもめが飛び、灯台に向かう人たちが笑って手をふっている。父親の貴さんは姫花ちゃんが描いたこの日常を再び取り戻すまで発信を続けたいと語る。 pic.twitter.com/MrjjcRoAPk
2015-03-02 15:20:351年前訪ねた際にはまだまだ壊れたコンクリ片などが積み上がっていたいわき市薄磯。貴さんの実家跡地もすっかり整地されている。当時は被災地を巡るバスツアーの観光客を見かけたが、貴さんに聞くと今は普通の観光として灯台を訪れる人が増えたという。 pic.twitter.com/E7E2aURfie
2015-03-02 15:30:51いわき市薄磯での取材を終えて、昨日全線が開通したばかりの常磐道で浪江町へ。途中、富岡、楢葉、大熊、双葉町を通過。所々に放射線の値を示す電光掲示板が。いわき〜浪江間の値は0.2〜5.0マイクロシーベルト前後の値。南北が繋がり大きな前進。 pic.twitter.com/zr1M2qnVOp
2015-03-02 21:05:31浪江インターで折り返し広野町の高野病院へ。震災、原発事故後避難することなく入院するお年寄りや精神病棟の患者の治療やケアにあたってきた。陸の孤島で命を守り続けた病院を切り盛りした事務長の高野己保さん。ようやく会えた。後日詳細報告します。 pic.twitter.com/0KFJDE0lE8
2015-03-02 21:15:13高野病院で事務長のお話を伺っていると様々な課題が。帰宅困難地域、住居制限地域などに近く避難生活を続ける家族の受け皿になり地域を支える医療機関でありながら、民間である故に公的支援がなかなか受けられないなどこの4年間での奮闘に頭が下がる。 pic.twitter.com/EsaviRVEOp
2015-03-02 21:23:52時速70㎞あまりで通過するだけですからね。そこに留まり続けるわけではありませんね。“@umi888umi: 堀さん平然と言ってますが5.0μSvってものすごい値ですよ?それ時間当たりの放射線量なんでそこに1年いたら国が定めている被ばく量基準の2倍以上を浴びることになる。 #クロス
2015-03-02 21:28:20取材を終えていわき市内に。高野病院の己保事務長と震災直前の取材からのご縁で今もずっと仲良くさせてもらっている東邦銀行の皆さんと、こちらも2006年の初取材からお世話になっている日本料理屋の「きむらや」さんへ。木村夫妻は楢葉からの避難。 pic.twitter.com/fGiDJKzCKg
2015-03-02 21:35:31続)楢葉から避難し、いわきで日本料理屋「きむらや」を再開させた木村夫妻は2006年にドイツW杯前にサッカー日本代表が合宿したJヴィレッジを取材した際に飛び込みでインタビューさせて頂いた仕出し屋さん。事故後もずっと応援してきたし、木村夫妻も局を辞めた僕をずっと応援してくれた。
2015-03-02 21:45:05続)そんな、きむらやの女将さんが用意してくれたタケノコご飯のおにぎり。「帰りの電車で食べてねー。東京に遊びに行く時には連絡するからねー!」って。いつもいつも訪ねる度にこちらが元気を頂いてしまい。感謝感謝で、おにぎりとても美味しいです。 pic.twitter.com/kXlWHVgsX1
2015-03-02 21:51:46おにぎりを食べ終え。。。デザートを。じむちょーが「これも食べて下さい!」といってわざわざ買ってきて下さった、広野町の銘菓。「みと家」の「恐竜卵(ラン)ど」をぱくりと!!んー!!サクッとした食感もあり美味しい!デザインも可愛いし。 pic.twitter.com/tMCesUwHy3
2015-03-02 22:01:37同じく広野町みと家さんの「かぼちゃん」。食べたら絶対美味しいんだろうな、というネーミングに魅了されつつも、太るし明日食べようかと、葛藤中。 pic.twitter.com/eSgRPHHAQv
2015-03-02 22:10:55「かぼちゃん」。想像通り、さっくりとしたパイ生地の中に包まれていたのはあっさりとした甘さのかぼちゃ味の餡。少し苦めのコーヒーと一緒に食べると香ばしい香りに変化してさらに美味しかったです。ごちそうさまでした。 pic.twitter.com/R7y6Jld5gK
2015-03-02 22:26:33いわき市で津波で亡くなった当時10歳の鈴木姫花ちゃんのハンカチ。生前に描いた薄磯の絵がプリントされています。父親の貴さんはこのハンカチを販売し、収益を災害遺児の支援にあてるため全額寄付しています。塩屋埼灯台麓の土産物屋で購入できます。 pic.twitter.com/FgfncdCpYw
2015-03-02 22:58:15上野駅に着きました!なぜか満腹。ではではまた明日!皆さんも1日お疲れ様でした!被災地の復興がしっかり進んでいきますように。おやすみなさい!
2015-03-02 23:18:55