永田鉄山の総力戦志向の話とか

侵略以外の道(軽武装通商国家「小日本主義」という案)とか、永田鉄山の総力戦志向は軍事官僚的な面があるとか、総力戦が「どういう戦闘様相になるか」の認識の統一がとれていなかったのかもしれないとか。
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高嶺 順 @takanejun

どんなに日本の侵略性を言っても、それは全て当時の世界ルールに則っての事ですので、それは欧米批判でしかない。先の大戦は間違っていた。と批判する人はつまり、戦争を(欧米の植民地支配を免れる方法など)しなくても良い道があったと言ってる。けどその答えは聞こえない。

2015-03-14 15:20:13
司史生@減量中 @tsukasafumio

石橋湛山は経済分析を通して軽武装通商国家の「小日本主義」という答を大正時代に出していたわけですが  > 戦争を(欧米の植民地支配を免れる方法など)しなくても良い道があったと言ってる。けどその答えは聞こえない。

2015-03-14 15:38:25
司史生@減量中 @tsukasafumio

一次大戦の転換を抜きにして欧米の植民地支配とまとめるのは、大戦がもたらした総力戦の解決を求めて満蒙の資源支配にのめりこんだ当時の日本陸軍よりも雑駁な議論になってしまうのではないか。

2015-03-14 15:43:44
司史生@減量中 @tsukasafumio

そいが良いか悪いかは別として一次大戦後の日本は、朝鮮台湾南洋南樺太関東州を領有する植民地帝国を形成していた。勝ち組列強国として国際協調体制を維持するのが、本来の国策であった。この時代に欧米植民地支配ガーというのは、現状打破したい軍部や亜細亜主義者のロジックであった。

2015-03-14 15:57:08
司史生@減量中 @tsukasafumio

資源の安定供給を目指す軍部の総力戦志向と反欧米の亜細亜主義が結託し、欧米勢力を排除し大陸の資源市場を独占しようとした結果、中国のナショナリズムの敵は日本として一本化された。その結果が現在の日中関係である。

2015-03-14 16:04:28
原田 実 @gishigaku

蒋介石政権がアメリカとドイツの二股膏薬だったことはあまり知られてないですね。ラーベはナチス党南京副支部長だったのに(もっとも日本も三国同盟結びながら日ソ不可侵条約を維持しようとしたけど) @tsukasafumio @SagamiNoriaki

2015-03-14 18:30:59
司史生@減量中 @tsukasafumio

ハリマンを満鉄経営に引き込んで日米結託で中国利権に食い込み、日本が極東におけるアメリカ利権の番犬として振舞うのが正しい生き残り方法だったんだろう。産業は軒並み米資本の傘下に入ったろうが、三百万人も死なずに済んだはずだ。

2015-03-14 16:13:44
¡Barringa llena, corazón contento! @m_m1941

@tsukasafumio どこかのタイミングで国共内戦が起き、日米も絡んで泥沼化していたとは思いますけど、それでも「対米戦」は避けられますからね。

2015-03-14 16:17:27
司史生@減量中 @tsukasafumio

だが柳条湖の線路に爆弾仕掛ける米海兵隊と言う嫌な絵面が思い浮かんだ。

2015-03-14 16:21:35
名無し整備兵 @seibihei

永田の総力戦志向も、「どこと戦争するから」じゃ必ずしもなくて、「とにかく次に戦争になったら総力戦だから」で始めてしまったような

2015-03-14 16:11:42
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 前提条件考えず環境整備に邁進っていうのは、軍事官僚としての性格なんでしょうかね。皇道派は「勝てるソ連との戦争だけ考える」と間違った絞込みしてましたが。

2015-03-14 16:18:32
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio WW1の物量と日本の現状を比べてショックを受けたとかもありそうです。基本的に「ケンカ売られないよう最強を目指す」のはリアリストの軍事官僚として自然な発想ですが、そこにブレーキをかけられるシステムではなかったのが問題だったのでしょう

2015-03-14 16:27:53
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei やはりそこは政軍関係の問題ということになりますね。

2015-03-14 16:30:19
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 軍事官僚もその他の官僚も、専門性を高くできて複雑な問題への対応が可能になる一方、全体最適がどこかにいく危険性が… 政治家の方もよほど高度なブレーンがいないと手綱握れないでしょうが

2015-03-14 16:38:06
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 1930年代については、敗者の国体がつぶれるとこまで行き着いた、一次大戦の総力戦に対する政治家と軍事官僚の温度差が大きすぎたのかもしれませんね。ただ「次の戦争」を考えるには、政治も軍事も中国軍閥への対処で余裕が無かったのかも。

2015-03-14 16:42:33
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio あるいは、その中国軍閥への対処で「こんなもんだろう」と思ってしまった部分があったのかも。その駆け引きに慣れた故にナショナリズムの動向を見誤ったとか、動員した経済をつぎ込む先とか。

2015-03-14 16:54:28
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 中国内戦に対するちぐはぐな対応を見るとそうかもしれません。政界や三宅坂への情報も、軍事顧問とか大陸浪人とか「現場」のポジショントークに引っ掻き回され続けた感じがしますし。

2015-03-14 17:01:39
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 総力戦にしても、「どういう戦闘様相になるか」が、軍人の間でも認識の統一が取れていなかったのかも。ノモンハンまでは、ソ連を主敵としつつも、機械化への態度には温度差あったでしょうし

2015-03-14 17:10:54
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 欧州と違って1920年代の極東赤軍の増強まで大規模な近代的軍隊が大陸にいませんでしたから、戦闘様相の予想は難しかったでしょうね。機械化と言ってもインフラの未熟な大陸で何をどうすればいいのか。意見がそろうのは航空戦備の拡充ぐらいで。

2015-03-14 17:17:02
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio しかも機械化を進めるには「大陸では手に入らない」石油が必要になり、自給自足態勢での総力戦を諦めるか、石油の出る南方を手に入れるかの2択になってしまうという…

2015-03-14 17:21:42
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 無理ゲーですよね。永田あたり石油をめぐる自家撞着は最初からわかってたと思うのですが、まず大陸で入手できる資源からという考えだったのかなあ。

2015-03-14 17:27:37
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 大陸で取れる資源のリストアップしていたので、永田本人は可能性と限界を分かっていたはずです。「当初は」ということだったとしたら、日本による資源囲いこみが諸外国に与える警戒心を過小評価していたことになりそう

2015-03-14 17:40:01
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 産油地域まで視野に含めるのはもう「次の戦争」の段階という認識だったかもしれませんね。川田稔先生が永田の後継者とみなす武藤章に石油の問題のお鉢が回ってきたわけですが。

2015-03-14 17:48:19
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei しかし1920年代の極東ソ連軍の充実は、今になって考えると決定的でしたね。石原の初期の戦略構想すら瓦解してしまった。現在の中国の軍備増強にも言えるでしょうが、軍拡競争で追いつかない相手に焦って奇計に手を出した結果は教訓ですね。

2015-03-14 17:21:52
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 全くですね。そこで対抗するために、現状変革派のドイツと組んでしまったという失敗も…。現状で利益を得ていた日本が、国民感情を含む国内政治の事情で現状変革派に乗っ取られたのも、いい教訓です

2015-03-14 17:29:30