インターネットで発達した共感文化「わかる」の危うさ

共感できるかどうかを重視する風潮を感じるこの頃。 「わかる」の危うさについて、捕捉できたツイートをまとめました。 (意見をある程度個人ごとに並べているので時系列ばらばらです。)
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雨宮まみ @mamiamamiya

ずっと気になってるんだけど、最近エッセイって共感できるかできないかだけで読まれているようなところがあって、その風潮がものすごくいや

2015-03-31 18:17:25
雨宮まみ @mamiamamiya

@mamiamamiya 共感は人の心をつかむ大事な要素だけど、少しでも自分からずれると「違う」となるんだったら、読めないものが多すぎると思う。でも、共感ベースのエッセイの方が求められるし、共感を頼りにしないエッセイは減少してると感じてる

2015-03-31 18:19:19
雨宮まみ @mamiamamiya

@mamiamamiya 「雨宮さんってこれからどういう立ち位置に行くつもりなんですか〜?」って聞いてくるやな奴いるけど、要するに共感ベースの世界でお前は結婚/未婚、非モテ/モテ、貧乏/リッチ、どれを選んでどういう層の共感を得て商売してくの? と聞きたいわけだよね

2015-03-31 18:21:50
雨宮まみ @mamiamamiya

@mamiamamiya 自分の不自由に対するストレスを晴らしたい、やりきれない気持ちをなんとかしたい、そういう切実な気持ちで読まれるものになったからだと言うこともできるし、一概に悪いことだとは言えないけれど、人間はコンテンツじゃないから変わるわけで、同じ共感を供給し続けられない

2015-03-31 18:27:00

 

yuco @yuco

自分には到底できない・なれないような豊かな生活や冒険的な生活やあるいはインテリだったりモテモテだったりする人の生活を描くエッセイとか、結構好きだったしそういう人のブログも読んでいたけど、ああいうのは上から目線とか言って不快に思う人が多いのかもしれないなあ。

2015-04-01 00:36:33
yuco @yuco

自分の人生でできることは限られているからこそ、絶対ああはなれないという人の生活を文章でも覗き見するのって楽しいと思うんだけどなあ。その人を叩いたり否定しても自分の生活がよくなるわけでもないし。

2015-04-01 00:37:59
yuco @yuco

ブログを書いて、twitter検索などで感想を見るときも、ここ数年とくに「わかる」とか「共感」的なコメントが多いなあと思っていた。他人の意見として受け取るよりも、「自分が言語化する手間をかけられないから、他の人が書いたもので自分の気持ちにしっくり来るものをSNSで紹介する」的な。

2015-04-01 00:46:07
yuco @yuco

昔は誰か気に入った人のブログを、その人のキャラクターを把握した上で継続して読んでいたと思うが、最近はSNSでたまたま流れてきた1エントリが自分の気持ちにしっくり来ると思ったら、それを書いた人がどんな人か興味もないけど自分の気持ちとしてフォロワーに紹介する、的な感じ。

2015-04-01 00:49:31
yuco @yuco

「他人の書いたものも自分の気持ち」というのと、「自分の当たり判定が広い」というのに共通する何かを感じる。 twilog.org/yuco/date-1501… 以前このへんでちょっと触れた。RTした西森路代さんの「そんなことしてたら世の中自分だらけやで・・・。」というコメントが好きw

2015-04-01 00:59:26
yuco @yuco

自分のスマホやパソコンの画面で読むものは、紙よりもパーソナルに受け取りやすいのかもしれない。自分の気持ちが書いてある、とか、自分のことが書いてある、とか。

2015-04-01 01:00:43

 

r i o n @ri_on0044

「ずっと思っていたけど上手く言葉にできなかった事」を「誰かが言葉にしてくれた」から「共感する」という感覚はよく分かる。ただ、「だからこの人は私(と完全に同じ事を考える人間)だ」と結論づけてしまうのが問題。

2015-04-02 09:11:31
r i o n @ri_on0044

「共感した」=「この言葉を言った人は私(と同じ)だ」と結論づける事を繰り返す事で、「自分自身」は強固になっていくけれど、「他人」と出会う事はどんどん難しくなる。自分と他人の間にある違和感、気持ち悪さ、理解不能な事と「出会えなくなる」。そしてそういう存在を「嫌い、憎むようになる」。

2015-04-02 09:16:42
r i o n @ri_on0044

自分と他人は圧倒的に違うからこそ面白いんだけどな。でもそう言えるようになるまでに、散々他人を嫌い、憎んできた人間がここにいるので、他人の事を言えた立場ではない。

2015-04-02 09:22:09
r i o n @ri_on0044

「これは私のことだ」と感じられる作品や、誰かの言葉との出会いは素敵だと思う。でもそこから「私のことはこの人が言ってくれる」→「私のことはこの人が考えてくれる」→「だから私は私について考えなくても、この人に任せればいいのだ」となるのが怖い。「私について考えられるのは私だけである」。

2015-04-02 09:56:22

 

kofka @ayammin

私はあなたではないから、あなたの期待する通りに発言することはできないし、あなたの考えを代弁することもできないのですよということをご理解いただけないことは結構、多い。

2015-04-02 12:14:56
kofka @ayammin

私が書いたり話したりできるのは、自分の思うことや考えることだけ。もし仮にそれが他の方の思いと一致したり共感いただけるとしたら、それは嬉しいことだけど、そこに誰かの代弁者としての役割を求められても困るのです…。

2015-04-02 12:15:43
kofka @ayammin

「Aさん最高!こんな素敵な人に初めて出逢った!一生付いていく!」 →「Aさんなら当然こんな時こうするよね?私わかるの!」 →「なんでこうしないの?Aさんなら絶対そうするはずなのに、どうしちゃったの?」 →「もうあなたは私の知ってるAさんじゃない!みんな聞いて!Aさんて酷い人よ!」

2013-11-29 18:04:33
kofka @ayammin

こういうパターン twitter.com/ayammin/status… は、ネタみたいに見えるけど結構よくあるわけで。

2015-04-02 12:17:20
kofka @ayammin

自分の代弁者としての役割を誰かに勝手に求めて 「あなたの意見は素晴らしい!」と手放し絶賛し、急に距離を詰めて溺愛してくる方ほど、何か一点でも自分の意にそぐわないことを言うと、その意見を変えるよう執拗に要求し、応じないと突如激しい人格攻撃や誹謗中傷に転じてくるんですよね…

2015-04-02 12:21:10
kofka @ayammin

たとえば、ある人の福祉分野の考え方には大筋同意するけれど、その人の政治分野の考え方には全く同意できない、といったことはよくあること。ツイッターなんかでは特にそういうのが可視化されてくると思う。そこでフォローを外すのも自由だし、あえてそのままにしておくのも悪くない。

2015-04-02 12:31:11
kofka @ayammin

ある分野での考え方が根本的に違う人とは、「考え方が根本的に違う」という事実をお互いに許容できてさえいれば、考え方が違うことそのものは付き合う上で何の支障もないのだけどね。(もちろん許容できない例もある)

2015-04-02 12:31:41
桂木裕【心の中の召喚獣】 @mayakima

「共感」の周囲で最近とくに思うことは、「他者の意見に対しての選択肢が全身全霊の共感と全身全霊の反感しかない」の「しかない」ことの怖さ。これも、いわゆる0か100かしかない思考パターンの顕著な現れ方なのではないか。

2015-04-02 09:21:00