ウテナからユリ熊嵐に通低する世界観についての思考と考察と思い込みについて。

幾原作品に対するとりあえずの理解を自分の脳味噌の整理のため徒然なるまま書き連ねた文章の未整理なまとめであります。
39
戸田 @9889141

①ウテナからユリ熊まで、幾原監督の物語は「透明な者たち=暁生のいう“世界”」が中心であった。透明な者を挟んで上に大衆に羨望される者(理念としての王子様、勝利者である暁生、それを目指す生徒会の連中及びウテナ)下に透明な者からあぶれた者(サネトシ&キガ、根室&黒薔薇)

2015-04-07 05:05:20
戸田 @9889141

② 透明な者にとって王子様たちは権力を持った特別な人「選んでくれる者」であるため、自分が選ばれる可能性を基に憧れ、現状に耐えている。(故に自分達の中から特別になろうとする者が出た場合には嫉妬心から猛烈な嵐となるだろう)

2015-04-07 05:09:12
戸田 @9889141

③透明な者の下位にある透明からあぶれたものにはキガと黒薔薇の 二種ある。キガは自分達を飢えさせた透明な者たちへ復讐するが、黒薔薇の生徒はアンシーに矛先を向ける。黒薔薇の生徒は自らを透明な者としていて周りの生徒達には関心がない。

2015-04-07 05:10:11
戸田 @9889141

④黒薔薇と他の生徒の差は、他の生徒は自分がいつか選ばれる可能性を信じて現状を耐えるのに対し、若葉達は自分が選ばれないことを知ってしまった事にある。透明な者達を軽蔑しながら自らも透明でしかあれない事へのルサンチマンを抱えている。…

2015-04-07 05:12:04
戸田 @9889141

⑤…故に行動するわけだから彼らは透明であることに耐えられなくなった者とするのはそう間違いでも無いと思う。

2015-04-07 05:13:20
戸田 @9889141

⑥脱線、ここまで書いて「すごく酒鬼薔薇っぽい!」と思い黒薔薇って酒鬼薔薇から取ったんじゃね?と日付を調べたら神戸事件は97/5/27でウテナ開始は97/4/2、9話が放送されるかどうかの頃。うーん、微妙。

2015-04-07 05:14:13
戸田 @9889141

⑦彼らがアンシーを狙うのはアンシーが勝利者の獲得物だから賞品を亡くす事で勝利者を無くそうと言うことか、或いは彼らにとってアンシーが「理由もなく選ばれているように見える」からか。少なくとも百万本の剣(これは透明な者達だが)はアンシーが王子様を「独り占めした」事で彼女を襲っている。

2015-04-07 05:15:26
戸田 @9889141

⑧整理すると、生徒会の連中は過去のトラウマを基にした上昇志向で、黒薔薇は勝利者へのトラウマを基にするルサンチマンと分けられる。

2015-04-07 05:16:27
戸田 @9889141

⑨暁生は勝利者の権力をもつがニヒリズムに陥って透明な者たち=世界を憎んでいる(大衆の要求に応えきれず疲れはて、自分を守ろうとした妹はぶっ刺され…)

2015-04-07 05:17:16
戸田 @9889141

⑩ここで透明な者達について語りたい。アンシーが貫かれたことについて監督は「アンシーはかつて社会のモラルに裁かれたんだろうね。(略)逆に世界中の人々は、そのモラルによって自分達は救済されるべきだと言い続けているわけ。」

2015-04-07 05:18:53
戸田 @9889141

⑪「デュエリストって言うのは、その辺の事に薄々気づいてる人達のことなんだね。この現実世界にはモラルによる救済はないってことに気がついてる。」と続く。 pic.twitter.com/osFBmpIGCS

2015-04-07 05:22:38
拡大
戸田 @9889141

⑫ちなみにセーラームーンSのインタビューでも幾原監督はウラヌスたちが抱える脅えについて「脅えって言うのは、モラルに背いてる者だけが感じるいつか来る裁きの日の予感」「モラル(道徳)に裁かれる予感の恐怖」と語っている。

2015-04-07 05:23:22
戸田 @9889141

⑭AM「モラルが人を裁く?神じゃなくて?」幾原「神は人を裁かないですよ、そんなもんは(笑い)」←ここ大木蝶子っぽい。まあ空気が神だからなあ。

2015-04-07 05:25:11
戸田 @9889141

⑮透明な者達はモラルによって護られるべきだ=自分はいつか選ばれるべきだと思っており、逆に言えばモラルを守りモラルに縛られている。その窮屈さが自由を目指す者への嫉妬心として発現したのが透明な嵐、砕かれた破片、百万本の剣、ベルゼブルカーなど。

2015-04-07 05:25:50
戸田 @9889141

⑯ デュエリストはその大衆の奉じるモラルの欺瞞に気がついた者であり、自分のトラウマの克服のためにモラルに構ってられなくなった者(ここは黒薔薇も同じ)である。これが透明にならない、透明であれなくなった者であると(スキをあきらめない者とは同カテゴリーだがちょっと違う)

2015-04-07 05:30:32
戸田 @9889141

⑰ユリーカは透明な者達(鬼丸さん)を選んであげる暁生ポジではあるが存在が強烈ではない理由は、主には1クールだからだろうが、アイドルが雲の上から握手できるまで降りてきたように王子様(メディアに出る特別な勝利者)が成立しなくなったからかもしれない。

2015-04-07 05:36:51
戸田 @9889141

⑱黒薔薇たちからサネトシたちのターゲットの変化、勝利者への憎しみから透明な者たち同士の食い合いになったのも「俺たちは選ばれない」と言うことが共通認識になったためだろう。

2015-04-07 05:42:32
戸田 @9889141

ピンドラの晶馬は他者や社会が「自分達を許さない物」として視界から遮断していましたなあ。ピクトグラムはユリ熊で言う断絶の表現ですが晶馬にとっては迫害する側の記号と考えればこれも受け手にとっての「嵐」と言えましょう。

2015-04-07 10:38:47
戸田 @9889141

高倉家は作中驚くほど迫害されていない(或いはそれもリアルかもしれないが、刃牙ハウスみたいになっててもおかしくはない)理由の一つに晶馬達が「他者は自分を受け入れない」と強く思い込んでいる姿をフォーカスするためではないかと考える。

2015-04-07 10:45:30
戸田 @9889141

何度か書いてるがピンドラでは透明な者たちを視界に入れない・入らないものとして描いたため嵐=透明な側が振るう暴力が描けなかった(砕けた子供や20話の張り紙のような強烈な暴力描写はあるが振るう側=オマエラの顔は見えない)

2015-04-07 10:54:45
戸田 @9889141

だからピンドラが「君たちは自分を孤独と思ってるかしれないが結構チャンネルは開いてるぜ?」作品でユリ熊は「君はチャンネルを閉ざすのかい?」という作品だと言えるのじゃないか?…ま、一部を取り出して「メッセージ」とするなら。

2015-04-07 11:06:30
戸田 @9889141

自分はラストの撃ち子ちゃんに「デュエリストが生まれた!」と思った。モラルに付き合いきれなくなったという意味で。銀子達を見た瞬間から自分のいる場所が空疎になった。 自らを問わないですめばそれも良いが、問うてしまった限りもうそこには馴染めない。闘わないなら違和感を抱えて生きるしかない

2015-04-07 11:51:12
戸田 @9889141

⑲幾原作品が社会について描いてるかどうかといえば、主人公達のドラマの背景として明確に描かれている。…と、私は思っている。きみとぼくの関係に社会が関わらなくとも人間もキャラクターも社会=背景からは逃れられないので。しかし片一方の要素でばかり作品が語られると確かに違和感を覚える。

2015-04-07 21:38:59
戸田 @9889141

…実験映画だってスクリーンを使う限り「何も映ってないという記号の真っ白な背景」しか映せない、背景から自由ではあれない訳だしな(脱線)

2015-04-07 21:41:41