『ワイルド・スタイル』+HIPHOP講座「Back to 1983 in TOKYO-あの年、東京で何が起きたのか‐」のトーク部分が面白すぎたので思い出せる限りメモ。
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ばるぼらさん謹製のワイルドスタイルZINEがヤバすぎる!!!! 公開当時に掲載された色んな雑誌の記事から、出演者一行が来日した際のスケジュールまで書いてある!!! pic.twitter.com/ztFg6nGfO2
2015-04-15 21:10:10カズ葛井さんにサインもらった!!! #wildstyle #ワイルドスタイルで行こう pic.twitter.com/HbNpcgdwxj
2015-04-15 23:01:28ワイルド・スタイルのトーク、ご来場頂いた方々ありがとうございましたー。質問役だったのですが話が面白すぎてほとんどただの聞き役になってしまった。でも葛井さんご本人の記憶が鮮明だったから余計なこと言わなくてよかったですよねたぶん
2015-04-15 23:36:53『ワイルド・スタイル』+HIPHOP講座「Back to 1983 in TOKYO-あの年、東京で何が起きたのか‐」のトーク部分が面白すぎたので思い出せる限りメモ。
2015-04-16 00:28:5183年当時「TATTOO[刺青]あり」のアソシイトプロデューサーとしてニューヨークの映画祭に参加していた葛井さんがその次に公開された「ワイルド・スタイル」に偶然出会い、客層含め見たこともないカルチャーと熱気に圧倒されたこと。
2015-04-16 00:30:39その場でTATTOOの出資者であったダイエー?大映?(大映はとっくに潰れてる?気がする)のお偉いさん達にワイルドスタイルの買い付けを熱烈にプッシュ。葛井さんが言うならと購入が決まり、日本公開のプロモーションプロデューサーとして雇われることに。
2015-04-16 00:33:03プロモーションのために出演者を来日させることを考え出資者を探していたところ、同時期にニューヨーク展を企画していた西武が池袋と渋谷のデパートで開催するイベントにクルーが出演することを条件に出資に合意。
2015-04-16 00:34:27当時、宝島社から雑誌を発売するなどブレイクダンスやグラフィティは視覚に訴えるが、スクラッチングとラップは実際に音を聴かせなければ宣伝が出来ないと考えた葛井さんは東芝を始めとするいくつかのレコード会社に掛け合うも相手にしてもらえなかった。
2015-04-16 00:38:28困った葛井さんは友達であったAV製作会社九鬼(KUKI)に相談し、当時九鬼が出していたヌード写真と卑猥な音声テープを合わせたパッケージに着目。ラップとグラフィティを掛け合わせたワイルドスタイル版を作成。
2015-04-16 00:39:35ただし発売元をAVと同じ九鬼にするわけにはいかず、別会社Bセラーズ(AVのAの次だからB?との荏開津さんコメントあり)より発売。Bセラーズの発売商品はこの一点のみ。
2015-04-16 00:42:01日本で作成されたこのパッケージは後のUS公開の際に現地でバカ売れ。というのもニューヨークでの配給は日本公開時にまだ決まっておらず、現地配給会社が先に公開された日本のプロモーションを参考にしたいということで葛井さんが例のテープやポスターを現地に逆輸入させていた。
2015-04-16 00:45:39そして、当時ニューヨークにあった葛井さんの事務所に置かれたテープの大量在庫の運び屋としてアルバイトをしていたのが、後の名監督であるスパイク・リー。尚、九鬼製作のテープ現物はMOMAにも所蔵されている!極東のAV製作会社から世界の現代美術に!
2015-04-16 00:49:04こうしたことがクズイエンタープライズによるスパイク・リー初監督作品の配給や、ジム・ジャームッシュやコーエン兄弟との出会いに繋がったとのこと。ここで会場が大きくどよめく。
2015-04-16 00:50:26この後、クルー来日のためのオーディションや初飛行機でのドタバタ、モエシャンドン好きすぎ、デパートイベントに出たがらないエピソードと続くわけだけど、個人的にはここまでがかなりグッときた。
2015-04-16 01:00:30サウスブロンクスのストリートカルチャーが巨大な資本投下によって日本に紹介され、その礎が時を経てブレイクダンスブームや日本語ラップ以降のストリートカルチャーに再変換されているってのは凄く面白い。
2015-04-16 01:04:41ちなみにばるぼらさんのヤバい資料によると1983年はキースへリング、ウォーホール、バスキアの展示会が日本で開催された年でもあり、ある種ニューウェーブ的な流行のひとつにヒップホップ(当時この言葉は無かった)が置かれた可能性もあるのか?とかも思った。いや、無いか。
2015-04-16 01:06:28ただ、バブル前夜のこの時期でしかあり得ないことがワイルドスタイルのプロモーションという名目で行われていたというのは事実で、まったくの無名ラッパーやDJを一気に36人も来日させて東京だけでなく京都大阪にも回り、更にデパートでイベントをさせるなんて今じゃ考えられないよね。
2015-04-16 01:10:03あ、葛井さんが最後の方に語っていた、ワイルドスタイルは今のヒップホップのようなポーズではなく、まさに彼らの生活から生まれたスタイルであったと思うという話はヤバめでしたね。確かにそういう熱が映画にはあったし、いやほんと最高すぎ。
2015-04-16 01:14:42葛井さんのワイルドスタイル話が頭に残りすぎて寝れない。 千葉さんの感謝の言葉と、それに対する葛井さんの返答もかなりグッときた。
2015-04-16 03:07:11昨晩のワイルド・スタイル・トーク来ていただきありがとうございました。葛井ご夫妻はヒップホップを作った人たちのエピソードを話した際、彼らのナイーブさも強調しましたーー当時10代だった彼らが作り、前に戻ることはなかった世界に僕らは住んでいる。
2015-04-16 09:30:11