ヴィシー政府について
このツイートでしまんちゅさんがツイートしてくれました感謝。
一応は対外的に「フランス政府」なんで「国家主席」がおり、軍人で第一次世界大戦で名を馳せた英雄フィリップ・ペタン元帥が就任した。
2015-04-21 12:54:36ペタンは第二次世界大戦時はスペイン大使としてマドリードに赴任していた。しかしWW〓開戦となると「電撃戦」でドイツにフランスは追い立てられる。
2015-04-21 12:57:00そんな中でフランス首相レノーはペタンを副首相で呼び戻す(国の英雄なんで軍に意見が言いやすかった)ペタンは1940年5月18日に帰国するもドイツの勢いは止まらず、6月9日にはレノーへ和平交渉を提案している。
2015-04-21 13:00:48政府はパリから南西に約200kmトゥールに6月10日。更にそこから300km南西のボルドーに移転して「徹底抗戦」するも11日にはパリを「無防備都市」と宣言し、14日無血占領される。
2015-04-21 13:02:17「本日、戦闘を停止せざるを得なくなったことを、皆さんに告げなくてはならないのは、私にとって胸か張り裂けそうな思いです。」17日国民に向けたペタンのメッセージ
2015-04-21 13:04:48フランスはドイツの武力に屈したという面はあるが、抗戦するよりは政府機能を残し、ほぼ無傷だった海軍と海外植民地を有した「主権国家」としての道を選択した。
2015-04-21 13:06:17フランスなき1940年のヨーロッパで、ドイツに対抗できるのはイギリスだけになった。早めに軍門に降っておけば海軍と海外植民地でドイツ勝利の暁にはフランスが「国として生き残れる」考えもあった。
2015-04-21 13:09:12ドイツとしてもフランスという大国全土を占領するのは軍事的、経済的な負担は大きく、ロンドンにある亡命政権が「徹底抗戦」を叫ばない為には、現地にある政権に統治させるの方がいい(こちらが正統な政府というアピール)
2015-04-21 13:16:32ドゴール等の自由フランス軍のレジスタンスはあったが、まだ国内では下火だった(国民の厭世気分は元々高く1939年9月WW〓開戦時もドイツによるポーランド侵攻へ介入することにも消極的だった)
2015-04-21 13:23:211940年6月22日 ヒトラーは‘わざわざ’第一次世界大戦で休戦条約が結ばれた食堂車を展示から引き出しフランスとの調印式を行った。
2015-04-21 13:28:38「我々の敗北は、精神的な気の緩みから生じたものである。だが我々はフランスを再建しなくてはならない。フランスを占領した者と、フランスの動向を注視している諸外国に対し、フランスが威厳に満ちて平静を保っている姿を示さなくてはならない。」
2015-04-21 13:31:117月2日ボルドーからヴィシーに政府は移転。5日ペタンに全権を委任する決議が議会で採択された。(賛成569反対80棄権17)
2015-04-21 13:33:03イギリスに海軍力で劣るドイツは戦艦等を有するフランス海軍は魅力的だったが「無理強い」するとイギリスに寝返ってしまうので要求はしなかった。
2015-04-21 13:36:12しかしフランスの海軍力がドイツに渡れば、ヨーロッパの海軍バランスが一変してしまう。これにはイギリスが看過できなくなった。
2015-04-21 13:38:03