しおいちゃんを炉端に吊るして燻製にする話

びば かにばりずむ
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きのこづ @Kinoko3416

ちろちろと虚空を舐める炎が揺れるたび、夜の暗闇が淡く橙に照らされる。燻された古木の独特のにおいに満ちた古民家の囲炉裏に、また炭をくべて梁から吊り下げられた「それ」に目をやる。

2015-04-23 17:02:58
きのこづ @Kinoko3416

陽と潮風に晒され色の抜けた髪がふわりと垂れ下がり、逆さまの顔は力なく、虚ろな瞳は揺れる炎を写すだけで二度とあの波に洗われたガラス玉のような美しい光をたたえてきょろきょろと動くことはない。

2015-04-23 17:06:42
きのこづ @Kinoko3416

長く細い腕は細い縄で一糸まとわぬ身体に括りつけられ、よく筋肉がつきしなやかで長い脚は重力の理に反して天井に向かっている。その足首には青い痣も痛々しく、太い荒縄がしっかりと結ばれ、天井の梁へと伸びていた。

2015-04-23 17:09:20
きのこづ @Kinoko3416

厳冬のこの地域では、それこそ冬は分厚い氷と吹雪に閉ざされ、まばらにしかない民家はそれこそ孤立してしまう。そのため、冬になる前に食料を溜め込むのが習わしだ。 その一つに、燻製がある。

2015-04-23 17:11:30
きのこづ @Kinoko3416

といっても、香木でしっかりと風味をつけるものではなく、囲炉裏の上に吊るし、そこから立ち昇る煙で燻し、乾燥させるといった簡単なものだ。

2015-04-23 17:12:13
きのこづ @Kinoko3416

そう、まさに彼女は今、ぼくの目の前で燻され、乾き、燻製にならんとしている。

2015-04-23 17:13:10
きのこづ @Kinoko3416

今年は何もかもが不作だった。米も野菜もほぼ全滅と言っていいほどの収穫量。山の幸も全くあてにならず、そのせいで獣たちも痩せ細り食えたものではなかった。 特に、他地域と隔絶したこの集落ではその影響が大きかった。ついに貧しい家からは餓死者が出始め、ひどい飢餓感と絶望が集落に満ちた。

2015-04-23 17:16:47
きのこづ @Kinoko3416

そして、ついに禁忌を犯す者が出た。

2015-04-23 17:17:19
きのこづ @Kinoko3416

集落の外れの家で、その子供が風邪をこじらせて死んだ。栄養失調で免疫がおちていたのだろう。あっという間だった。葬式が終わり、翌日、改めて見舞いに行った者が見たのは、我が子を食らう父母だった。

2015-04-23 17:18:55
きのこづ @Kinoko3416

彼はその狂った光景に我を忘れ、手近にあった鉞でその父母だったものを滅多打ちにした。返り血にまみれてすすり泣く彼を他の村民が見つけるまで、そう長くはかからなかった。

2015-04-23 17:20:36
きのこづ @Kinoko3416

すぐに寄り合いが開かれたが、彼は不問になった。誰もがこの狂った状況にマトモな判断を下せる頭は持ち合わせていなかった。彼は即日開放され、翌日、自宅の梁で首を吊って死んだ。

2015-04-23 17:23:24
きのこづ @Kinoko3416

たまたまそれを見つけたのはぼくだったが、梁から荒縄でぶら下げられた彼の姿は、まるで毎年この時期にみな家の囲炉裏に吊るす鮭や動物の肉のようだと思った。

2015-04-23 17:24:46
きのこづ @Kinoko3416

それから、植えた村民たちの間では同じような事件が度々起こった。もう、昨日まで井戸端で噂話に花を咲かせた仲でも、明日には空腹を満たすだけの物言わぬ肉となった。父は子を絞め殺して夕餉の汁にし、母は己の肉を削いで子に与えた。

2015-04-23 17:27:41
きのこづ @Kinoko3416

この集落には、この辺の土地をまとめる地主の家があった。地主と言えども集落のために尽くし、集落とその民の危機には私財を投げうつ人間で、村民たちからはよく慕われていた。 彼には一人娘があった。彼女もそのあどけない美しさと素直な性格から、村民たちからよく可愛がられていた。

2015-04-23 17:31:58
きのこづ @Kinoko3416

この危機に際しても、彼らは備蓄した食料を村民に振る舞い、また、自ら集落の外からも食料をかき集めた。しかし、それでも力及ばす、彼自身も餓えによる栄養失調と疲労で倒れ、この世を去った。後にはその娘だけが残った。

2015-04-23 17:34:55
きのこづ @Kinoko3416

やはり、質素とはいえ彼女の普段の食事は他の村民より栄養に富んでいたのだろう。この時に及んでも、彼女だけはやせ細るわけでもなく、普段の健康的な体躯そのままであった。

2015-04-23 17:38:31
きのこづ @Kinoko3416

飢えて狂った村民たちにとって、未だ肉のおちない彼女の身体は、格好の標的だった。 彼女の父の訃報を聞き、嫌な予感を覚えたぼくはすぐに彼女の元に向かったが、遅かった。

2015-04-23 17:40:26
きのこづ @Kinoko3416

彼女は家の前の道に倒れていた。すぐそばには鋤の柄が転がり、きっと握力ももうなく一度殴って落としてしまったのだろう、丸腰の爺さんが倒れた彼女に覆いかぶさっていた。ぼくは、躊躇いもせずその爺さんを蹴り倒し、その骨と皮ばかりの頭を踏み潰した。

2015-04-23 17:44:05
きのこづ @Kinoko3416

爺さんの頭は乾いた昆虫を踏み潰すように簡単に赤いシミとなった。ぼくもきっとこの狂気に当てられていたのだろう、迷いはなかった。ただ、飛び散った赤と痙攣して跳ねる身体に、ああ、殺したのかとだけ思った。

2015-04-23 17:45:17
きのこづ @Kinoko3416

倒れ伏した彼女に駆け寄る。幸い息はあるようだ。数回声をかけるとすぐに彼女は目を覚ました。うんうん唸りながら数度頭を振る。と、一気に顔色が青ざめた。倒れる寸前のことを思い出したらしい。

2015-04-23 19:54:52
きのこづ @Kinoko3416

ハッとした様子で周りをきょろきょろと見回す彼女に、もう大丈夫だからと声をかけて手を擦る。冷たい。彼女の視線が一点で止まる。視線の先にあるのは、頭を砕かれて未だ血液を垂れ流して震え続ける爺さんの死体だ。

2015-04-23 20:01:21
きのこづ @Kinoko3416

彼女の視線とぼくの視線がゆっくりとぶつかる。彼女の震える瞳がぼくのシャツを濡らす返り血を写しこむ。 「殺したの?」 声が震えている。日も落ちかけて気温も下がってきたとはいえ、それは寒さのせいではないだろう。彼女はこの狂気の村においてもなお、未だ一般的な道徳を持ち合わせているのか。

2015-04-23 20:04:42
きのこづ @Kinoko3416

そうだよ、ぼくが殺した。 思ったよりぼくの声は低く、単調だった。一瞬、彼女の未だあどけなさの残る可愛い顔が恐怖に歪む。 「なぜ?」 なぜだろう?きみを助けたかったから? 本心である。しかし、それなら殺す必要もなかった。やはりぼくもこの空気に当てられている。

2015-04-23 20:07:52
きのこづ @Kinoko3416

少し彼女の緊張も解けたようだ。あまりこんなグロテスクな死体のそばで話すのも彼女に悪い。そう思い、とりあえずぼくたちは彼女の家に場所を移すことにした。

2015-04-23 20:12:28
きのこづ @Kinoko3416

線香と樟脳の入り混じった、あの葬式特有のにおいがした。彼女の父親はまだ焼かれることもなく、仏間に静かに横たわっていた。この状況では満足に葬式もあげてやることはできないのだろう。腐っていくのを眺めているばかりだ。それか、食らうか。

2015-04-23 20:15:35