天叢雲剣譚【2-2】

天叢雲剣譚【2-2】です。鶴木に潮岬鎮守府最初の提督、雨野提督について聞かれた叢雲――その真意は。
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天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「この鎮守府最初の提督、雨野さんについて教えてもらえないかしら?」 鶴木の質問に身体が凍りつき、時間が止まったような錯覚を覚える。 「……どうしてそんなことを聞くのよ」 なるべく平静を装い、逆に質問を投げかけた。少し声が上ずったような気がするが、そんなことは気にしていられない。

2015-04-25 21:18:26
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「どうして、ねぇ。それはもちろん興味があるから、に尽きるわね」 「アンタにあの人は関係ないはずよ。それを」 しかし私の言葉は鶴木に遮られる。 「関係ない、ということはないわ。私は仮にも雨野提督の後任。この艦隊をここまで育て上げたノウハウ、知りたいじゃない? それにね」 「……」

2015-04-25 21:24:55
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「どうしてここを捨てたのか、とても興味があるわ」 鎮守府を捨てた――その言葉が心臓に突き刺さる。 「それで貴女は何か知らないの? 雨野提督が鎮守府を去った理由を」 鶴木はニヤリと笑いながら私を見つめる。それはさながら獲物を見つけた蛇。身体が竦むような眼光を警戒しつつ答える。

2015-04-25 21:33:17
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「さあ、私は知らないわ」 嘘偽りないその答え――私はなぜ、雨野提督がここからいなくなったのか、知らない。そう――知らないのだ。鶴木は納得していない様子で、 「ふうん……じゃあいいわ。けれど初期艦でもあるはずの貴女にも、何も話していないとはねぇ」 「それは、どういうことよ」

2015-04-25 21:41:22
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「鶴木のものを含んだ言い方に私は食って掛かる。鶴木があの人のことを知っているはずがないのだ。 「あー、誤解させたようだけど私自体、もちろん雨野提督とは会ったことないわ。だけどもここの提督として、知らされていることならある。もちろん貴女が知らないこともね。……聞きたい?」

2015-04-25 21:55:36
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

鶴木はそうニコニコと悪戯っぽく笑いながら聞いてくる。その言葉に、誘惑に、すぐさま絡め取られそうになる。……このままでは鶴木の思うつぼだ。大丈夫、私以上に、雨野提督のことを知っている人はいない――。その自信を胸にはっきりと告げる。 「……別に。アンタに聞かなくとも――」

2015-04-25 22:03:47
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

だが鶴木はそれさえも見透かしていたのか、再び執務用の椅子に腰掛けると腕を組んでこう言った。 「……そう、じゃあここから先はただの私の独り言よ。聞くも聞かないも貴女の自由」 「意地でも聞かせたいのね」 「別にそういうわけじゃないわ。ただ貴女が知っておいた方が良いって思っただけよ」

2015-04-25 22:13:43
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「余計なお世話ね。それじゃ、私は戻るわ」 再びドアノブに手を掛ける。しかし私の背中に容赦なく、鶴木の言葉が鋭利な刃物となって投げられた。 「鎮守府を捨て、挙句に敵側に情報を漏洩した許しがたき裏切り者――、雨野提督は今、大本営ではそう呼ばれているわ」 「何……です、って」

2015-04-25 22:22:57
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

雨野提督が私たちを裏切っていた――? そんなはずがない、あの人が、そんなことをするはずがない――。 硬直した私に、鶴木はさらに話を続ける。 「雨野提督は大本営で評価は高かったわ。辺境にある潮岬鎮守府で過去最高の評価を叩きだし、いくつもの作戦を成功させた――そこまでは良かったわ」

2015-04-25 22:34:05
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

それは私も知っていることだった。現にそのメンバーだった私は、今でもそれを鮮明に覚えている。 「そして東南アジア方面への海上輸送経路を確保する、大本営が設営されて以来、最も大きな作戦の直前に雨野提督は姿を消した――。司令部はパニックに陥ったらしいわ。作戦の要が消えたんですもの」

2015-04-25 22:42:52
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

そうだ、あの人は私たちが作戦に参加するために、別鎮守府に向かう前日の晩の出来事だった。あの人は何も告げず、忽然と姿を消した。 「作戦の要がいなくなったからといって、司令部は作戦実行を取りやめるわけにはいかなかった。そして作戦は行われた訳だけど……結果は知っているわよね?」

2015-04-25 22:52:56
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

思い出したくもない、あの時のこと。あの人を欠いた私たちが活躍できることなく――。 「それだけならまだ勝てる見込みがあった。たった一人を失っただけで失敗するような薄っぺらい陣営ではないはず。なら、どうして作戦は失敗したのか――どこに矛先が向くかなんて容易に想像できるでしょう?」

2015-04-25 23:05:15
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

そこから先は聞かなくてもわかる。わかってしまう。こんな時ほど、自分の頭を呪うことは無い。 「そしてもう一つ。その後、司令部でまことしやかに流れた噂、敵側に作戦情報が筒抜けだったのではないか、ということ。実際に戦った他の提督たちはそれを如実に感じたそうよ。まあ、わかるわよね?」

2015-04-25 23:16:00
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「だからと言って、アンタはそれを鵜呑みにしているの?」 必死に動揺を隠したつもりだったが無残にも声に現れている。その衝撃はまさに頭を鈍器で殴られたのと等しかった。 「そうねぇ、確証がないことを鵜呑みにするつもりはないけれど、私としてはこのままであってくれた方が助かるわ。だって」

2015-04-25 23:23:52
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

ニヤリと口角を吊り上げて、不敵に笑う鶴木。次に出た言葉は信じられないものだった。 「その方がこの鎮守府の評価も上がりやすいじゃない。希望者もなく、プレッシャーさえも与えられない潮岬鎮守府……気楽にやりながらも上を目指す。素敵じゃない? だから……」 「ふざけないでッ!」

2015-04-25 23:31:13
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

言い終えぬうちに私の身体は勝手に動いていた。鶴木の整えられた胸元を机越しに乱暴に掴む。 「私たちの思い出を、私たちの大事な人を、そんなことのために使わないで! 聞いているだけで反吐が出るわ!」 そう捲し立てても鶴木は一向に気にする素振りを見せない。むしろ余裕さえ窺える。

2015-04-25 23:37:45
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「……上官をそんな風に扱っていいのかしらねぇ? せっかくのチャンスでもあるのに」 「何がよ!」 「わからないのかしら? 私の地位が上がれば本営に近づく。そうすれば雨野提督のこともわかるかもしれない。それにこの鎮守府への評価も上がる……悪い話ではないとは思うのだけれど?」

2015-04-25 23:45:47
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

雨野提督のことがわかるかもしれない――その言葉に、手に込められていた力がストンと抜け落ちる。鶴木はクシャクシャになった胸元を直しながら、 「まあ考えておいて頂戴。目的は違えどもやるべきことは同じなんだから。仲良くとはいかなくても協力すれば難しいことではないはずよ」

2015-04-25 23:57:55
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

鶴木は椅子にもたれ掛って私に告げる。確かに鶴木の言う通り、鎮守府の名を再び上げて大本営に近づけば、雨野提督のこともわかるかもしれない。それは私にとってとても魅力的なことだが、このまま鶴木の口車に乗って近づいても何ら意味はない。どうせやるなら――自分の手で見つけ出してみせる!

2015-04-26 00:08:36
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「ふざけないで欲しいわ。誰がアンタなんかと」 鶴木は思惑が外れたのか表情を曇らせてつまらなさそうに言った。 「そう、残念だわ」 「そういうことよ。それじゃ、今度こそ失礼するわ」 鶴木に背を向け、視線を感じながら執務室を退室する。その視線は今までのと違って奇妙な熱さを持っていた。

2015-04-26 00:16:11
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

バタンと執務室の扉を閉め、そのままもたれかかる。こう、一触即発の雰囲気は苦手だ。 「はぁ……疲れたわ」 ずるずるともたれかかったままその場に座り込む。戦闘での疲労とは全く違うそれを全身が感じ取っていた。しかしこの程度で座り込んでいるわけにはいかない。 「待ってて、雨野提督」

2015-04-26 00:23:40
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

決めた目標。必ず貴女に辿り着いてみせる。そして、貴女の汚名を絶対にそそぐ。それまで待っててよね。 「……よし!」 このまま立ち止まってても何も始まらない。私は気合を入れて立ち上がると、演習場の方へと歩を進めた。 ――これが全ての始まりだったと知らずに。

2015-04-26 00:26:07
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

潮岬鎮守府の叢雲【2-3】へ続く

2015-04-26 00:31:44