同性愛は「遊び」だ。

同性愛は「遊び」である。定義なき議論が氾濫しているが、理性的に検討すれば、都城市議の発言が理にかなっていたということがわかる。 年寄りの知恵を馬鹿にしてはいけない…!
5
鮭野郎 @salmon_econ

togetter.com/li/814788 について。 都城市議に「同性愛は遊びだ」としか考えられないと言われたのが相当期に食わなくて立腹している人たちが多いので、僕なりになぜ「遊び」と言われてしまったのか、代弁を試みたい。

2015-05-03 01:02:58
鮭野郎 @salmon_econ

そもそも「遊び」とは何だろうか。ブリタニカ大百科事典・日本語版を引いてみた。

2015-05-03 01:03:54
鮭野郎 @salmon_econ

【遊び】 身体的・精神的活動のうち食事,睡眠,呼吸,排泄など直接生存のための活動を除き,仕事と対立する概念である活動をいう。仕事は他の目的達成のための手段であり,仕事自体は苦痛であることも,また強制されることもある…

2015-05-03 01:04:17
鮭野郎 @salmon_econ

…それに対して遊びは活動自体が喜びや満足をもたらし,他から強制されず,自発的に行われ,通常まじめな目的や目標からの離脱が含まれている。

2015-05-03 01:04:23
鮭野郎 @salmon_econ

つまり、人間のあらゆる活動から生理的な活動を取り除き、その残りから更にまた別の目的を達成するための、多くの場合苦痛を伴う活動を取り除いたものが「遊び」と定義されている。

2015-05-03 01:05:53
鮭野郎 @salmon_econ

更に言い換えるなら、「人間の非生理的な活動であって、苦痛を伴わず、自発的に行われ、かつそれ自体が目的であるもの」が「遊び」と定義されるべきだろう。

2015-05-03 01:06:53
鮭野郎 @salmon_econ

トゥギャザーの議論の最大の失敗は、この「遊び」という言葉を定義するステップをスキップして、印象論で批判を始めた点である。

2015-05-03 01:07:53
鮭野郎 @salmon_econ

続けよう。問題とされているのは、異性愛は「遊び」ではない(≒仕事)だが、同性愛は「遊び」とされてしまった、という点である。 どちらも当事者にしてみればごく自然な欲求に従った結果であるのに、一方が「遊び」とはけしからん、というわけだ。

2015-05-03 01:10:49
鮭野郎 @salmon_econ

しかし、ここで僕なりに、なぜ異性愛、そして結婚が「仕事」に分類されるのか、ということを説明したい。 大前提として、異性愛は遊びだということは僕は認める立場だ。しかし、異性愛は結婚という仕事に必要だから推奨されるべきだ、ということもあわせて主張したい。

2015-05-03 01:14:42
鮭野郎 @salmon_econ

最初に。結婚とは、種を存続させる、という「別の目的」を持っている。子供を産むことが全く想定されていない結婚はそうそう存在しない。 なぜなら、子供が居ないなら、別に特定の異性と長期間共同生活をする必要がないからだ。 全ては、子供を教育し、経済的にそれを保護するための必然なのである。

2015-05-03 01:16:39
鮭野郎 @salmon_econ

ここで一つ引用を。『民族の運命―エストニア独ソ二大国のはざまで』という本の191pだ。 ”妻が木の下敷きになって死んからです…悲運に打ちのめされ…けれども、生後7ヶ月の幼児を抱え、そのままでは働きに出ることも出来なかったことから、彼は急いで新しい妻を探す必要に迫られていた。”

2015-05-03 01:19:20
鮭野郎 @salmon_econ

この後、この男はとなり村に出向き、2人の若い娘を抱えた老婆に直談判し、上の娘を嫁にもらう。娘は、事情を聴くと、その日のうちに結婚に同意した。

2015-05-03 01:22:06
鮭野郎 @salmon_econ

この結婚には、「子供を育てる」という「別の目的」が確実に存在した。それは状況的な強制とも言えるだろう。したがって、この結婚は「仕事」であった。

2015-05-03 01:23:36
鮭野郎 @salmon_econ

次に、現代の結婚についても検討してみよう。経済学者のG・ベッカーは、結婚のメリットを3つの視点から説明している。1つ目は、いわゆる性別役割分業によるメリットだ。

2015-05-03 01:26:12
鮭野郎 @salmon_econ

これは非常に単純な話だ。両方が個人で生活し、それぞれの家事雑事をこなすよりも、労働市場で競争力のある方が労働に従事し、ない方がすべての家事をこなす方が、所得が増大する可能性がある。もちろん例外もあるが、結婚することによって新たな選択が可能になるわけだ。

2015-05-03 01:28:02
鮭野郎 @salmon_econ

労働市場においては、就労可能時間が長く、残業が可能な人材が重宝され、多くの給与を得られる可能性が高いということは今更説明するまでもないだろう。

2015-05-03 01:28:43
鮭野郎 @salmon_econ

第2のメリットは、規模のメリットだ。家族の規模が拡大することで、家屋や電子機器などほぼすべての設備が共用化され、生計費が大幅に圧縮される。

2015-05-03 01:29:58
鮭野郎 @salmon_econ

第3のメリットは、精神的な満足である。愛する相手と一生一緒に入られるのだから、これ以上の満足はないはずだ。

2015-05-03 01:30:53
鮭野郎 @salmon_econ

…これらの(無論他にもあるが)メリットを勘案して人々は結婚という行動を採択するのだが、ここで見落としてはならないのが子供という存在である。異性愛を最大限追求すると、必然的に子供が出来てしまう、人間とはそういう生物だ。

2015-05-03 01:32:19
鮭野郎 @salmon_econ

そして、子供という労働力にもならない存在を育てていくためには、個人で労働し、家事もするという生活は不可能だ。メリット①の分業がここで必要となる。保育所が充実した現在でも、保育所等の様々なサービスを購入するための費用が必要であることは言うまでもない。メリット②が必要だ。

2015-05-03 01:34:08
鮭野郎 @salmon_econ

…このように、現代においても、メリット③のような「遊び」の部分は存在するものの、異性愛の必然的な結末を解決する「必要」としての「結婚」は何ら色褪せていないのだ。

2015-05-03 01:35:27
鮭野郎 @salmon_econ

ここで留意して頂きたいのは、多くの国家や企業が、結婚している夫婦や子を持っている夫婦に対して、多くの経済的な手当を与えているという事実である。 もしこのことに何の必要性も存在しなければ、それらは先刻「差別」「特権」として糾弾されていたことだろう。

2015-05-03 01:36:45
鮭野郎 @salmon_econ

ではここで、同性愛を見てみたい。簡単な話である。同性愛は、充足させても子供は生まれない。したがって、メリット①、②とも不要なのだ。残るのは③だけだが、これは異性愛においても「遊び」である。

2015-05-03 01:38:27
鮭野郎 @salmon_econ

子供という必要に迫られてもいない、迫られる予定もないのに同居し、共同生活を営んだところで、「他の目的」や「強制」がない限りは「遊び」であることを免れないだろう。 議員は直感的にこのことを見抜き、「遊びとしか考えられない」と言ったのではないか。

2015-05-03 01:39:59
鮭野郎 @salmon_econ

ここで養子の議論を持ち出す御仁もいらっしゃるだろうが、無駄だからやめたほうがいい。異性愛→出産のような必然ではなく養子は意思決定によって迎えるものだからそれを含めて「遊び」といえる。

2015-05-03 01:41:26