@ut_ken さんによる江戸時代の武士の役割とかの解説

@ut_ken さんによる江戸時代の武士の役割とかの解説
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ut_ken @ut_ken

江戸幕府と幕藩体制が「経済発展するほど崩壊していく」という構造について、かなり単純化して説明。

2015-05-14 18:00:15
ut_ken @ut_ken

まずスタート時点で、大量の(人口の5%ぐらい)武士は自前の土地や事業などと切り離して、幕府や大名の城下町に住まわせて、百姓は小規模な自作農の集団にしてしまい、どちらも独自の強力な力を持てないようにして、身分秩序とともに統制

2015-05-14 18:00:23
ut_ken @ut_ken

ところが経済発展すると、百姓は力をつけていき、色々な規制を乗り越えていき、成功したものは強力な経済力を持った地主になっていき、小作人を従えていく。また商人も経済的に力をつけていく。

2015-05-14 18:00:34
ut_ken @ut_ken

それに対し一般武士は、自前で農業も商業もできなし(せいぜい非公式のささやかな内職ぐらい)、税金の徴収などもできないので、経済発展に取り残されてて行く。身分では庶民より上位で統治者階級のはずなのに経済的にはどんどん困窮していく。

2015-05-14 18:01:02
ut_ken @ut_ken

そうした武士が人口の5%もいる。しかも多くはあまり仕事がない無駄な立場。幕府や大名はそれを養わなければならない。また、あくまで封建制の軍隊なので、有事の際には武士がそれぞで自前で軍役に応じることになるが、困窮するとそれができなくなる

2015-05-14 18:01:23
ut_ken @ut_ken

結果としてこの問題の解消として明治新政府で、武士身分は解体、軍隊は政府直属の近代軍隊となり、地主や商人はより経済的利益を稼げる社会構造になりまた参政権などを手に入れた (終)

2015-05-14 18:01:45
ut_ken @ut_ken

江戸幕府と幕藩体制が「経済発展するほど崩壊していく」という構造について、その原因について「大量の武士という無駄飯ぐらいを維持しているせい」と述べましたけど、では武士階級が無駄飯ぐらいかというとまったくそんなことはない。

2015-05-16 09:46:24
ut_ken @ut_ken

最近のどこぞの漫画もそうでしたけど、安直な反権力だと「武士なんてただの無駄飯ぐらい」とか言いますけど、なんだかんだ言って、公儀(政府)として働けるのは武士階級。

2015-05-16 09:46:33
ut_ken @ut_ken

特に訴訟の処理。江戸時代の村や町は自治の割合が多いが、それでももめごとがあった際に裁定するのは、権力と武力を持っている武士階級による公儀。権力や武力を独占するのは不当?それが社会全体に分割状態だったのが、戦国時代および中世全般の、村同士で武力抗争するのもザラな自力救済社会

2015-05-16 09:46:39
ut_ken @ut_ken

また、公儀の裁定なしでやっていけるかというとそんなことは全くない典型が、吉宗の時代一時期やった金公事(金銭の民事訴訟)すべての相対済令(公儀は訴訟を扱わないので当事者間の話し合いで解決)。金公事は本来は公儀が扱うものでないという事になっていて、やっていたのはあくまでサービス

2015-05-16 09:47:05
ut_ken @ut_ken

その金公事の大量の持ち込みで各奉行所が業務パンク状態になっていたので、吉宗は全面的な金公事の相対済令を出したが、結果としては金融・経済に支障が出まくり、金公事扱い再開の訴えが殺到して、結局取りやめた。

2015-05-16 09:47:16
ut_ken @ut_ken

また、金公事の件でもそうであるように、実は幕府や大名は、あくまで当時なりとはいえ、訴訟の対応など、政府としてはおおむね真面目に仕事をしてた。よく言われる「越訴(直訴)はそれ自体が死罪」というのも誤りで、実際は、訴えの側が筋が通っていたら受け入れて、処罰なしか軽い処罰

2015-05-16 09:47:24
ut_ken @ut_ken

だから某漫画が、昔の時代劇とちがうリアル寄りでやってるつもりなら根本的に変なところは、まるっきり昔の時代劇のノリで、武士階級の扱いが横暴に年貢を取り立てるだけで民衆のための仕事をまるでせず、民衆も当時常識的にやるような手続きに沿った訴訟とかを全く考えもしないこと

2015-05-16 09:48:02
ut_ken @ut_ken

問題はあくまで「武士が多すぎる」ということなのですが、武士を減らせばいいかといえば、そうでもない。まず、江戸時代の幕藩体制というのはあくまで「軍事政権」で、政府の仕組みもあくまで軍としての組織が基本。大量の武士はあくまで、平和が安定した後も有事の際の軍人としてキープされ続けていた

2015-05-16 09:48:21
ut_ken @ut_ken

だから吉宗の時代に荻生徂徠も「当世の武家政権は軍事政権なのに、経済発展・都市集住の弊害でそれを担う武士たちの経済力がどんどん困窮しているから、どうにかしないと」と危機と自分なりの改革案を将軍などに訴えていた

2015-05-16 09:48:30
ut_ken @ut_ken

また、元々戦国時代の内戦とそれ以前からの中世の自力救済社会で、社会に大量の武士(および武装した存在)がいた。そこから平和な統一国家に移行するのに、しゃまな社会階層は数十万~数百万単位で皆殺しとかできない以上、ソフトランディングさせざるを得ない

2015-05-16 09:48:53
ut_ken @ut_ken

兵農分離であいまいな立場を庶民にしたり、武士にも農民などになることを薦めたりで減らして、ようやく江戸時代の武士の数。むしろそれまでがどれだけの修羅の国だったんだよ…と。 (終)

2015-05-16 09:49:08
ut_ken @ut_ken

追加。また武士階級の特権性への庶民からの糾弾がさほどなかった要因として、武士の大半は経済的にはむしろ庶民階級より苦しかったこと。『武士の家計簿』でも詳しく述べられてますけど、一見禄高がたくさんあり豊かそうだが、武士としての立場で必須な出費も多いので、結果として使用人より苦しい

2015-05-16 09:54:18
ut_ken @ut_ken

この辺も「名誉と実利の分離」に結果的になっている。江戸時代以降の百姓一揆(集団による強訴)も、別に武士階級打倒・社会変革なんて全く考えてなくて、あくまで年貢や専売制などで受け入れられない政策の撤回を藩主などにもとめるためのもの

2015-05-16 09:56:48
ut_ken @ut_ken

twitter.com/ut_ken/status/… 日本だと、高度な知見が社会全体に共有されやすくなったのは、江戸時代に入って印刷出版物が大量に出回るようになってから。以前読んだ『神道とは何か』ではそのことによりそれ以前の、教養が子弟伝授という形式がすたれ

2015-05-13 15:12:17
ut_ken @ut_ken

@__salt_ そもそも学問的知見が社会全体で平均的に共有されるようになったのは、近代以降。一般人の知見とか言い出したら、古代ローマ・ギリシャ時代からして怪しいです。だから日本でも欧州でも中世では、行政でも教養の必要なことは僧侶階級が大きく肩代わり

2015-05-13 15:09:45
ut_ken @ut_ken

@__salt_ そもそも学問的知見が社会全体で平均的に共有されるようになったのは、近代以降。一般人の知見とか言い出したら、古代ローマ・ギリシャ時代からして怪しいです。だから日本でも欧州でも中世では、行政でも教養の必要なことは僧侶階級が大きく肩代わり

2015-05-13 15:09:45
ut_ken @ut_ken

また、新たな流派を立ち上げるのに自分の創作を秘伝と称するというやり方も通用しなくなったとあった。江戸時代は農業ノウハウなんかも中期に差し掛かる元禄時代ごろには、ベストセラー印刷出版物として出回って情報共有されるようになり、

2015-05-13 15:13:47
ut_ken @ut_ken

江戸時代前期の名僧、鈴木正三や祐天も一般向けの印刷出版によって、持論や自分の事跡を広めて多くの支持を集めた。

2015-05-13 15:15:18
ut_ken @ut_ken

この前、寺子屋について確認しようとして、ネット検索ですすぐ出てこず、本棚の資料も出てこなかったのが、本棚から見つかったので。「寺子屋」で実際に「寺」「僧侶」が教えてるのはどの程度か。「地図グラフ図解で一目でわかる江戸時代」でさらなる出典は「日本庶民教育史」

2015-05-13 16:35:25