映画『フューリー』で表された聖書の暗喩

フューリーには聖書の暗喩が込められているよという話
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ぼろ太 @futaba_AFB

フューリーを途中まで見ていたのですが、繰り返し出てくる血と十字架とか凄く宗教的な暗喩とかを感じるのですが、キリスト教はあんまり詳しくなくてよくわからないとです。 こんぱすさんが色々とつぶやいていたような

2015-05-18 00:41:30
ぼろ太 @futaba_AFB

天にまします我らの父よ。 ねがわくは御名をあがめさせたまえ。 御国を来たらせたまえ。 みこころの天になるごとく、 地にもなさせたまえ。 我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。 我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、 我らの罪をもゆるしたまえ。

2015-05-18 00:43:18
ぼろ太 @futaba_AFB

我らをこころみにあわせず、 悪より救いだしたまえ。 国とちからと栄えとは、 限りなくなんじのものなればなり。 アーメン。

2015-05-18 00:43:23
ぼろ太 @futaba_AFB

近所の幼稚園にあまり馴染めずに近くのプロテスタント系の教会の幼稚園に通っていたので、この主の祈りは毎日お祈りしていたのですけども、頻繁に出てくる祈りとか悪から救い給えとかは、戦場での非人間的な世界に陥ってしまうのから救って欲しいとかそういう話なのかしらん

2015-05-18 00:44:49
ぼろ太 @futaba_AFB

フューリーでの味方の歩兵は屍肉を漁るグールにしか見えないですもんね

2015-05-18 00:48:11
ぼろ太 @futaba_AFB

草原でのドイツ軍との戦闘は、戦車が通った後に死んでいるかのように横たわっていた歩兵が次々と立ち上がり戦っていく姿もなんだか暗喩っぽいですし

2015-05-18 00:49:42
こんぱすろーず @flowerclass

あー。あの牧草地で釘づけになった歩兵小隊が戦車の到着とともにやおらむくむく起き上がってくるシーンはキリストによる復活か治癒の奇跡へのアリュージョン。ありうる。「そこでイエスは中風病みのものに向かって言われた。「起きよ、床を上げて家に帰れ」すると彼は起き上がり家に帰っていった」

2015-05-18 21:36:16
こんぱすろーず @flowerclass

物語全体の構造はキリストの受難劇ですよね。十字路/十字架の上の死・戦車の脇腹に刺さる「ロンギヌスの槍」としてのパンツァーファウスト(この指摘を目にしたときは思わず声が出た)・ラストカットの圧倒的な磔刑のイメージ。キリストに見立てられているのが戦車なのか乗員なのかは判然としないけど

2015-05-18 21:38:26
こんぱすろーず @flowerclass

戦死した前任者の「血と肉」を新入りのノーマンが片付けさせられるのは教団への入信儀式としての聖餐のちょっとグロテスクなアレゴリーよね。血のしみついた雑巾をバケツに浸した途端に水が真っ赤に染まる映像のインパクト(水をワインに変じる奇跡!)

2015-05-18 21:39:45
こんぱすろーず @flowerclass

それから生き残ったノーマンがフューリーから抱えて降ろされるカットの構図がもろに「十字架降下」だったり、その直前のウォーダディの遺体との対面は「ピエタ」っぽかったり。ちとこじつけが過ぎるかもしれないが材木を載せて「丘」へ向かうフューリーの姿は「十字架の道行」を思わせたり。

2015-05-18 21:40:40
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi

@flowerclass 戦車と乗員を合わせて、召し出されたものの集いであるところの教会(キリスト教共同体)なのではないかと感じました。

2015-05-18 21:42:23
こんぱすろーず @flowerclass

キリストは人の子の罪を背負う神の仔羊として十字架に昇った。ではフューリーとその乗員が死を持って償った罪とはなんだったのか。それはどれだけ言葉を飾ったとして殺し、奪うものでしかない兵士としての原罪だったのかもしれない。ウォーダディたちはその罪に染まりすぎた。

2015-05-18 21:43:34
こんぱすろーず @flowerclass

一方兵士としての罪に染まりきっていないノーマンは生き延びることができた。しかしウォーダディたちの犠牲によって救済されたノーマンに安息の時はすぐには訪れない。それは物語の本筋とほとんど関係なく唐突に2回現れる白馬が象徴していると思われる。

2015-05-18 21:44:29
こんぱすろーず @flowerclass

ヨハネの黙示録には白馬が2度登場する。最初はいわゆる黙示録の四騎士の筆頭として、「勝利と栄光」をもたらすものとして現れる(そしてそのあとには災いと「死」が続く)。2度目は天から審判者として降りてくるキリストの乗馬として登場する。

2015-05-18 21:45:09
こんぱすろーず @flowerclass

これが冒頭とラストの白馬の登場シーンに相当するのではないか。つまりラストの白馬(一瞬足元だけしか映らない)は生き残った者に対する最後の審判の到来を表わす。英雄になったはずのノーマンが救急車に収容されるカットがどう見ても「連行される容疑者」にしか見えないことがこれで説明できる。

2015-05-18 21:46:05
こんぱすろーず @flowerclass

ノーマンにとっての「最後の審判」とは復員する、という経験そのものだ。戦場における殺伐とした「信仰」とはまったく異なる価値観を持った銃後の社会と対面しなければならない。そしてみずからの良心にも裁かれ続けることになる。

2015-05-18 21:46:54
こんぱすろーず @flowerclass

@u_kodachi ウォーダディ以下「家族」であることがたびたび描写されるクルーたちですが、信徒の共同体の最小単位としての教会の長もPaterであることを考えれば「教会」性もまた強調されていると思いました。

2015-05-18 21:58:14
ウチューじん・ささき @uchujin17

リツイートされていた「こんぱすろーず」さんの「Fury」評に刮目する。僕はあの映画を「何の救いもなく人がバタバタ死ぬ戦場の殺伐を描いた作品」と理解していたのだが、タイガー戦車との遭遇戦だとか終盤の擱座戦車篭城戦とかの突っ込みでは済まない、モヤモヤしたものを感じていた。

2015-05-19 11:27:34
ウチューじん・ささき @uchujin17

あの映画を観た直後に思ったことは「こんな時代に生まれなくて良かった」という感想だったのだが、それはまさに、現代の(それが地域限定の、かりそめの、虚飾に満ちたものであったとしても)平和は、二次大戦で悲惨な死を遂げた兵士や市民によって贖罪された上に成り立っていることを示唆する。

2015-05-19 11:31:55
ウチューじん・ささき @uchujin17

しかし、聖書になぞらえる解釈を適用するとすれば、戦車フューリーのクルーは戦争による犠牲に意味と救済を与えんがために、全く無意味な戦闘で最後を締めくくらなければならなかった、というアンビバレンツなことになる。その矛盾もまた映画のテーマの一つなのだろうか。考えさせられる。

2015-05-19 11:36:48
ぼろ太 @futaba_AFB

フューリー見れば見るほど、聖書をなぞらえてるんですねノーマンがKレーションを食べるシーンとか思いっきり聖体じゃないですか

2015-05-21 01:04:30
ぼろ太 @futaba_AFB

その前の救護所のシーンで輸血瓶が並んでいるのはワインを示してるんでしょうねぇ

2015-05-21 01:07:54
ぼろ太 @futaba_AFB

あれだけ聖書やキリスト教になぞらえるシーンがいっぱいで、登場人物もその話ばっかりしているのに聖書と切り離してみるのは逆に難しいような...

2015-05-21 01:11:00
ぼろ太 @futaba_AFB

クーンアンスは冒頭からウォーダディに犬だと言われ、救護所のシーンではノーマンにお前はいいやつだ俺たちとは違うといい、ノーマンだけが聖体のように見えるKレーションのパンを食べるシーンがあって水筒を持って行ったのは洗礼とかの意味かしらん?

2015-05-21 01:24:12
ぼろ太 @futaba_AFB

夜も遅いので救護所までのシーンで一旦停止しましたけども、本当にキリスト教と聖書がベースなんじゃないかなー

2015-05-21 01:25:16