2015年5月25日の地震での反省

しばらく大きな地震の揺れがなかったことで、今日の地震から自分自身の中に油断があったことを再確認させられ、しかも教壇に立っている間の地震遭遇ともなり、さらに反省を重ねた呟きを、自戒のためにもまとめた次第であります。
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地震の後に

5月25日14時28分、マグニチュード5.5(暫定値)、埼玉県北部、深さ56km(暫定値)を震源とする地震が発生した。(気象庁発表)

このとき、まとめ主は東京工業大学大岡山キャンパスで講義中であった。目黒区は震度3で、比較的揺れは軽微であったが、揺れと同時に一斉に携帯電話から緊急地震速報のアラーム音が鳴り響く事態となった。以下は、講義を終えた後に、色々と反省をしたつぶやき。

以下は気象庁の地震情報のページから該当地震の情報 ↓

http://www.google.org/publicalerts/alert?aid=a58a5622d4aa716b&hl=ja&gl=JP&source=web

http://www.jma.go.jp/jp/quake/20150525154513387-010000.html

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

講義終了。調布に戻ります。

2015-05-25 15:06:49
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

いやあ、講義中に緊急速報が鳴ると焦りますなあ。40人近くの携帯が一斉に鳴るので、あれは動転しますよ。自分一人だったらなんとでもなるのが、不覚にも。

2015-05-25 15:08:11
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

学生諸君も慌てずに着席してくれていたので、何事もなく鎮静まで待機。教員としては、緊急速報が停止するまで棒立ちしているしかなかった。これは反省点。

2015-05-25 15:09:57
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

そういう体験としては、何事もなかったのが幸い。緊急速報にも慌てず対処できる心構えが絶対に必要だと思った。こういう訓練も必要になるな、と痛感。

2015-05-25 15:11:52
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

建物内の体感だと震度4くらいの地震かと予想したが、茨城で震度5弱までいってましたか。

2015-05-25 15:22:34

今回の地震に基づく反省点

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

いやまあ、今日の地震で動転してしまったもうひとつの理由は、ちょうどマテオ・リッチの『坤輿万国全図』を話していて、「この地図を持っているのは宮城県。。。」と言った瞬間に緊急速報が鳴ったから。これは正直驚いた。何かこう、深層心理が突き動かされたような感じ。

2015-05-25 16:28:32

 → 『坤輿万国全図』を所蔵しているのは宮城県図書館です、と言おうとしていた瞬間に地震が来た。そこで「宮城県」の語が。

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

そういえば、東日本大震災以後、大きな余震の時に講義をしたことは偶々無かったなあ。しかも、今日は非常勤先での遭遇だったから、揺れが収まったあとの避難誘導路をシミュレートするのに勘が働かなかった。本館前の芝生に行けばよいのは分かるが、そこまで階段か?等々。これも反省点

2015-05-25 15:50:37
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

一人の時に遭遇する地震と、指示出しする責任者の立場として遭遇する地震は、全く意識、感じ方が違う。これも反省点

2015-05-25 15:56:15
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

個人的な感覚だけに留まる反省点としては、やはり震災トラウマは自分の中にも燻っていそうだったこと。これは、地震の規模とタイミングが悪かったら暴発してたかもしれないなあ。

2015-05-25 16:54:48
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今日の地震の反省点 ・緊急地震速報の教室内での一斉鳴動は、とにかく動転する。 ・警報鳴動中は声が通らないから、安全確保のための視認を重視した方が良さそう。 ・避難路を即座にシミュレーションすること。 ・沈静化したら、ツイッターで震源、震度を確認すると次の行動の判断材料になる。

2015-05-25 16:48:40

教壇に立つ者としての反省

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

そういえば、石巻で学習支援をしているときにも何度か地震には遭遇していた。でも、そのとき子供たちは数名だから車に乗せられると思えたし、常日頃から避難ルートを考えて高台への誘導体制を組んでいるので、それほど慌てはしなかった。やはり、普段の意識の違いがそういうところに出るんだなあ。

2015-05-25 18:46:46
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今日は大学だったから良かったが、もしこれが大人一人、児童数十名の小学校の教室内だったらどうしていただろう。そんなことを考えさせられもした。ましてや、東日本対震災の時には、避難した後に何度も余震が襲い、津波まで来た。教師自身が動転を収め、子供たちのパニックをも静められただろうか。

2015-05-25 17:06:19
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

教壇に立ちながら地震に遭遇した体験。当事者として、やはり色々考えさせられますよ。重ねて反省すると、この視点から学校防災を考えたり批判しないと、何を言っても机上の空論のような気がする。

2015-05-25 18:31:31
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

そういう体験を実際にしてみないと分からない場面は確かにある。何事も紙一重で命運が別れてしまう残酷さを、再び垣間見てしまった今日の地震。 あの震災の時に助かった学校関係者の皆さん、そして残念ながらお亡くなりになってしまった方々にも等しく、あらためて想いを致したい。

2015-05-25 17:15:05

おまけ

調布の研究室に戻った後。

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

調布の7階はさほど揺れなかったようで、研究室内部の崩壊はなかった。

2015-05-25 17:49:43
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

ちなみにうちの実家の震災直後の一室の様子を、保険のために撮った写真の一枚。派手に転倒してましたなあ。今眺め直してみると。でも、これでもまだかわいいもんでした。 pic.twitter.com/3uWVpnA9Ix

2015-05-25 18:03:22
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