@takemita によるルーマン『リスクの社会学』講義

書評を書くために『リスクの社会学』を精読していたところツイッター上に他に同書を読んでいる者がおらず話し相手がいなくて寂しかった @takemita@frroots の四年前の発言にツッコんだのちに自分で解説します。 ※ご参考:ルーマン『リスクの社会学』誤訳箇所一覧 http://sociotakemita.blogspot.jp/2015/01/blog-post.html
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前スレ:2011年3月19日〜21日

「リスク社会論」、「確率論的推論」、「リスクの社会学」の位置。

まとめ 「リスク社会論」、「確率論的推論」、「リスクの社会学」の位置。 チェルノブイリの原発事故、1986年。 ウルリッヒ・ベック『危険社会』は1986年出版。 http://www.amazon.co.jp/dp/4588006096/datum-22 ニクラス・ルーマン『エコロジーのコミュニケーション』は1986年出版。 http://www.amazon.co.jp/dp/4787707086/datum-22 二クラス・ルーマン『リスクの社会学』は1991年出版。 http://www.amazon.co.jp/dp/3110178044/datum-22 15104 pv 127 55 users 4

KOMIYA Tomone @frroots

あと誤解が多そうだったのは、「リスク/危険」の区別が、出来事を観察するための区別ではなくて、人々がやっている観察を観察するための区別だということ。

2011-03-21 02:23:14

2015年2月6日

三谷武司 @takemita

.@frroots これ違うんじゃないですかね。ルーマンの議論だと、「「リスク/危険」の区別」は「出来事を観察するための区別」であって、「人々がやっている観察を観察するための区別」は、「(リスク/危険の区別)/(リスク/安全の区別)」でしょう。

2015-02-06 10:33:08
KOMIYA Tomone @frroots

@takemita 4年前の自分の考えが思い出せないのですが >「「リスク/危険」の区別」は「出来事を観察するための区別」 ここもうちょっと教えていただけますか。

2015-02-06 20:57:59
KOMIYA Tomone @frroots

「リスク/危険」の区別が「未来の損害が自己の決定に帰属されるか否か」の区別である(←この理解であってます?)なら、それは帰属実践の区別である、すなわち人々のおこなう観察の区別であるように思うのですが。

2015-02-06 20:58:59
三谷武司 @takemita

@frroots 「出来事の観察」と「観察の観察」が、一階の観察/二階の観察に対応しているということであれば、後者が用いる区別は必ず「区別の区別」でなければならないので、「リスク/危険」の区別は一階の観察(=「出来事の観察」)でしかありえない、というルーマン用語上の話です。

2015-02-06 22:11:53
三谷武司 @takemita

@frroots こちらに敷衍がありましたか。観察される出来事=未来の可能的損害です。未来の可能的損害を「リスク」として観察し、その根拠が損害の決定への帰属である場合、人はその観察を、決定への非帰属を根拠とする「危険」との区別において行っているわけです。

2015-02-06 22:30:51
三谷武司 @takemita

@frroots ゆえに「リスク/危険」の区別は、人が出来事を観察するために用いる区別であって、観察を観察するための区別ではありません。

2015-02-06 22:32:41
KOMIYA Tomone @frroots

@takemita 理解しました。「リスク/危険」の区別で私は「ルーマンによる区別=二次の観察」のことを指していたのですが、ならばそれが「区別の区別」であることがわかるよう正確に表現しないと、一次の観察としての「リスク/危険」の区別と区別がつかなくなってしまう、ということですね。

2015-02-06 22:45:37
三谷武司 @takemita

@frroots いや「リスク/危険」の区別は「二次」ではありません。「二次」であれば「区別A/区別B」の区別という形をとらなければならないところ、リスクも危険も区別ではないので。

2015-02-06 23:06:26
三谷武司 @takemita

@frroots 本の中でルーマンが「リスク/危険」を区別しているように見えるのは、実際には「そういや俺、リスクとか言うとき、危険との区別で言ってるよなあ」と思い出し、読者にも同じことを思い出させようとしているだけです。

2015-02-06 23:08:32
三谷武司 @takemita

@frroots もう一点補足しますと、小宮さんの「ルーマンによる区別=二次の観察」という書き方は不正確です。観察は指示であり、区別はその前提です。「リスク/危険の区別」は二次の観察で観察される区別ですが、二次の観察で用いられる区別ではありません。

2015-02-06 23:16:52
KOMIYA Tomone @frroots

@takemita ええ。だから「[人々がリスク/危険の区別を用いて出来事を観察していること(一次の観察)]の観察(二次の観察)」を表現するのであれば >「(リスク/危険の区別)/(リスク/安全の区別)」 と表記せよ、ということですよね?なんか違ってますか?

2015-02-06 23:23:21
KOMIYA Tomone @frroots

@takemita 4年前の自分が何を考えていたかまったく覚えていませんがw、その二次の観察を表現しようとして「リスク/危険の区別」という表現を使ってしまっているので、それは不適切だという趣旨のご指摘だと理解したのですが。

2015-02-06 23:24:52
三谷武司 @takemita

@frroots ええと、二次の観察で見える(指示される)のは「リスク/危険の区別」(あるいは「リスク/安全の区別」)、二次の観察で用いられるのは「(リスク/危険の区別)/(リスク/安全の区別)」ということです。

2015-02-06 23:31:37
三谷武司 @takemita

@frroots 小宮さんが「観察を表現する」というときに、その観察において「見えているもの」を書こうとしているのか、その観察において「用いられている区別」を書こうとしているのかが曖昧だというところに帰着する気がします。

2015-02-06 23:33:41
KOMIYA Tomone @frroots

@takemita ん、やっぱりちょっとわからなくなってきました。整理させて下さい。 人々がふだんの生活で出来事をリスクと理解したり危険と理解したりしている。これが一次の観察ですよね。ここで人々が「用いている」区別は「リスク/危険」だということでよいでしょうか。

2015-02-06 23:43:11
KOMIYA Tomone @frroots

@takemita 了解です。で、【人々が出来事をリスクと理解したり危険と理解したりすること】を観察者が観察するときに、観察者には【人々が「リスク/危険」という区別を用いていること】が見えている。「見えている」というのはこういう意味でよいでしょうか。

2015-02-06 23:46:53
KOMIYA Tomone @frroots

@takemita 了解です。で、次がよくわからないのですが、たとえば「人々はリスクと危険を区別してるね」と観察者が言っているときに、その観察者はどういう区別をしているか、というのが「観察者が用いている区別」とおっしゃっていることでしょうか。

2015-02-06 23:57:01
三谷武司 @takemita

@frroots むろん、そう考えるよりありません。

2015-02-07 00:03:44
KOMIYA Tomone @frroots

@takemita OKです。そうすると三谷さんが書かれた >「(リスク/危険の区別)/(リスク/安全の区別)」 という区別は、三谷さんがおこなっている三次の観察において「見えて」いる、ルーマンが二次の観察で「用いている」区別だということでしょうか。

2015-02-07 00:06:14