12小節進行の童謡アラカルト(奇妙な12小節進行)

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kentarotakahashi @kentarotakahash

チューリップ(さいたさいた、の童謡)のアレンジをしてるんだが、これって、12小節進行だったのな。この曲歌って育った日本人は、実はブルーズの12進行耐性が強いのかもしれん。

2015-05-22 14:56:42
kentarotakahashi @kentarotakahash

というのも、二十世紀初頭に作曲されたブルーズ作品には、作曲家がブルーズの12小節に違和感を抱き、四苦八苦した跡が見て取れるからだ。それは白人の作曲家、黒人の作曲家を問わず。

2015-05-22 15:04:10
kentarotakahashi @kentarotakahash

W・C・ハンディの「メンフィス・ブルーズ」も「セントルイス・ブルーズ」も、あるいは、それより早い1908年にニューオルリンズの白人作曲家、アントニオ・マッジオが発表した「アイヴ・ガット・ザ・ブルーズ」も純粋な12小節進行ではない。12小節進行と16小節進行が組合わさっている。

2015-05-22 15:14:14
kentarotakahashi @kentarotakahash

これはフォークロアから拾い上げた12小節のブルーズに、作曲家から展開を書き加えたが、12小節では上手く作れずに、12+16のような形式になってしまったのだと考えられる。白人、黒人を問わず、大多数のアメリカ人にとって、12小節進行は辻褄の合わない感覚を残すものだったのだろう。

2015-05-22 15:14:31
kentarotakahashi @kentarotakahash

サイタ サイタ チューリップ ノ ハナガ ナランダ ナランダ アカ シロ キイロ ドノ ハナミテモ キレイダナ まさしく、20世紀初頭のアメリカで「奇妙だ」とされた12小節の3行詩の形式だ。これを子供の頃から歌ってれば、ブルーズの12小節進行に違和感などないはず。

2015-05-22 15:19:04
kentarotakahashi @kentarotakahash

しかも、ブルーズの場合は12小節で一回りするが、次の一回りに踏み出す直前、12小節目にドミナントのコードを入れる。ここでV→Iの重力を利用して、13小節目は次の一巡りのアタマだ、と意識づけする訳だ。ところが「チューリップ」の場合は12小節目はトニックに戻る。

2015-05-22 15:23:36
kentarotakahashi @kentarotakahash

「チューリップ」は12小節目でトニックに解決。二番のアタマになる13小節目もトニックだから、I→Iの何の重力も働かない状態だが、日本人は違和感なく、13小節目で二番を歌い始める。これが違和感なくできる感覚があることは、結構デカイかもしれない。

2015-05-22 15:26:34
kentarotakahashi @kentarotakahash

II→V→Iみたいな重力を使わないで、コードステイしたまま、次の展開に踏み出す箇所があると、僕は作曲家の技アリを感じることが多いのだが、ひょっとすると、そういうのも日本人的感覚なのかもしれない。

2015-05-22 15:44:21
もうれつ先生 @discusao

youtube.com/watch?v=cbkP0r… Arthur Collins の"He Done Me Wrong"(1904)。サビがついたりしてるが、いちおう12小節のバラッド。

2015-05-25 20:35:35
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もうれつ先生 @discusao

唱歌「チューリップ」は、以前は誰が作ったか不詳だったのが作詞:近藤宮子/作曲:井上武士で確定したようですね。1932年昭和7年『エホンショウカ ナツノマキ-絵本唱歌 夏の巻-(上)』が初出のよう。

2015-05-26 22:15:58

↓井上武士のもう一つの12小節の曲「うぐいす」(作詞:林柳波)。林&井上コンビは「うみ」(うみはひろいなおおきいな)の作詞・作曲で知られる。

もうれつ先生 @discusao

同年、「電車ごっこ」(作詞:井上赳/作曲:信時潔♫運転手は君だ♪1932年昭和7年3月『新訂尋常小学唱歌(一)』)も12小節の童謡。 井上赳は下総皖一作曲で、やっぱり12小節の「花火」(♫ドンとなった花火だきれいだな♪1941年昭和16年)を作詞している。

2015-05-26 22:20:01
もうれつ先生 @discusao

youtube.com/watch?v=f6azdj… 作詞:加部厳夫/作曲:不詳・19世紀後半ドイツ 「霞か雲か」(1883年明治16年3月『小学唱歌集(二)』) 古めの12小節の唱歌

2015-05-26 22:21:24
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もうれつ先生 @discusao

古めの12小節の唱歌 作詞作曲不詳 四季の月(1884年明治17年3月『小学唱歌集(三)』) 作詞:石原和三郎/作曲:納所弁次郎 おつきさま(1900年1明治33年9月『幼年唱歌(初の上)』)

2015-05-26 22:23:59
もうれつ先生 @discusao

youtube.com/watch?v=hlZdpL… 作詞:東くめ/作曲:瀧廉太郎 鳩ポッポ(1901年明治34年) 同コンビの「お正月」も12小節の曲。

2015-05-26 22:24:37
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「水あそび」も東くめ詞/瀧廉太郎曲の12小節曲
「惜時」(「花もみじ」とも)詞曲不詳(1900年明治33年『重音歌唱歌集(一)』)
「雲雀」詞曲不詳 ドイツ民謡(1901年明治34年『中学唱歌』)
「嗚呼玉杯」 矢野勘治詞/楠正一曲(1902年明治35年)

もうれつ先生 @discusao

作詞作曲不詳 月(♫でたでた月が~♪ 1910年明治43年7月『尋常小学読本唱歌』) 作詞:芳賀矢一/作曲:不詳 鎌倉(♫七里ヶ浜の磯伝い♪ 1910年明治43年7月同上)

2015-05-26 22:25:09
もうれつ先生 @discusao

youtube.com/watch?v=PcniDK… 作詞作曲不詳 池の鯉(1911年明治44年5月『尋常小学唱歌(一)』)

2015-05-26 22:25:34
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もうれつ先生 @discusao

1911年明治44年5月『尋常小学唱歌(一)』には12小節の唱歌がいくつか収録されている。 作不詳 鳩(♫ポッポッポ 鳩ポッポ♪ ) 作不詳 犬(♫外へ出る時とんで来て♪) 作不詳 かたつむり(♫でんでんむしむし♪) 作詞不詳/作曲:岡野貞一 桃太郎

2015-05-26 22:29:46
もうれつ先生 @discusao

youtube.com/watch?v=XGqNMb… 作詞:青木存義/作曲不詳 「菊の花」も1911年明治44年5月『尋常小学唱歌(一)』収録曲。もうあまり知られていない曲だが、動画にありました。

2015-05-26 22:32:45
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もうれつ先生 @discusao

youtube.com/watch?v=MgLjIv… 作詞:吉丸一昌/作曲:梁田貞 木の葉(1912年大正元年11月『幼年唱歌(二)』)

2015-05-26 22:33:37
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「ねんねのお里」中村雨雀詞/杉山長谷夫曲(大正元年)
最後のミの音は半終止というより邦楽の終わり方の応用というべきものでしょう。

さらにあの「カチューシャの唄」も12小節の曲でした(島村抱月・相馬御風詞/中山晋平曲 1914年大正3年)

もうれつ先生 @discusao

大正期になると「12小節の唱歌・童謡」界も北原白秋・野口雨情・中山晋平らの作品がメインとなる。 雨(♫雨が降ります雨が降る♪) 砂山 シャボン玉 肩たたき あの町この町 あめふり

2015-05-26 22:40:16

↑訂正・「肩たたき」は12小節ではありませんでした。

中山・野口らの他の12小節楽曲:
「俵はごろごろ」野口雨情詞/本居長世曲
「証城寺の狸囃子」野口雨情詞/中山晋平曲 は、サビ(負けるな負けるな~)以外のメインは12小節
「てるてる坊主」湯浅鏡村詞/中山晋平曲
「白頭鳥(ペタコ)」野口雨情詞/中山晋平曲

その他、比較的新しい12小節の童謡(非ブルーズ系12小節):
「グッド・バイ」佐藤義美詞/河村光陽曲(1934年)
「ふたあつ」まどみちお詞/山口保治曲(1936年)
「とんぼのめがね」額賀誠志詞/平井康三郎曲
「おつかいありさん」関根栄一詞/團伊玖磨曲(1950年)
「とけいのうた」筒井敬介詞/村上太朗曲(1953年)
「ことりのうた」与田準一詞/芥川也寸志曲(1954年)
「小さい秋見つけた」サトウハチロー詞/中田喜直曲(1955年)
「おはながわらった」保富康午詞/湯山昭(1962年)
「おべんとう」天野蝶詞/一宮道子曲
「あくしゅでこんにちは」まどみちお詞/渡辺茂曲
「あめふりくまのこ」鶴見正夫詞/湯山昭曲
「げんこつやまのたぬきさん」香山美子詞/小森昭宏曲
「あしたのあしたのまたあした」井出隆夫詞/渋谷毅曲
アルプスの少女ハイジ・テーマ曲「おしえて」岸田衿子詞/渡辺岳夫曲
「一年生になったら」まどみちお詞/山本直純曲
「はをみがきましょう」則武昭彦詞・曲

「小さい秋見つけた」「とけいのうた」のような4分の4の曲と、それ以外の4分の2とは明らかに系統が異なって、後者はわらべ歌や俚謡から明治末・大正期の12小節童謡につながる系譜のものといって良いのではなかろうか。無理矢理西洋音楽理論に合わせようとした明治前半の唱歌教育に対する反省(幼年唱歌という転換.明治33年ころ)や批判(大正期童謡運動やそれに先行する瀧廉太郎の試みなど)により唱歌の質に変化が起きたり童謡・わらべ唄といったカテゴリーが生まれることで12小節、特に4分の2拍子での12小節曲のスタイルが生まれ、ブルーズ受容期を過ぎてもこの様式の楽曲が残ったということではなかろうか。