- fussoo_moe
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たまにミリタリー同人誌なんぞを作っています。おっかないので時事問題とかはスルーして同人誌の販促とミリタリー関係しかつぶやきません(予定)
海兵74期の方と少しだけお話する機会を得たが、北号から帰ってきた「大淀」で乗艦実習の後、少尉候補生で「葛城」に乗艦、6月に「葛城」から降りて少尉任官と同時に波号潜水艦(多分、潜高小)要員として潜水学校に入校して終戦という経歴の方でした。
2015-05-27 20:14:12海兵74期:昭和20年3月30日卒業(wikipediaより)
北号から帰ってきた「大淀」は全体にホッとした雰囲気が漂っていた、生徒は格納庫を改造した司令部施設を居住区としてハンモック暮らし、乗艦実習終了後に配属希望を聞かれたので「特攻隊」と答えたら「それはわかっとる、次に希望するものは?」と聞かれ「大きなフネ」と答えたら「葛城」になった。
2015-05-27 20:18:22「葛城」では高角砲分隊(第一分隊)で左舷二番高角砲受け持ち。5月1日のB-29による呉空襲で実戦を経験、伊勢型の対空射撃も目撃、飛行甲板上に機銃弾がバラバラ落ちてくるが、艦長宮崎俊男大佐は艦橋直下の甲板上に籐椅子を出してパイプを加え悠然としていた(何それカッコイイ)
2015-05-27 20:25:15@masatoshi_san 指揮官は部下の前で落ち着いたトコを見せないといけない、あれはそういう光景だった。艦長偉かった。とのこと。
2015-05-27 20:26:39初級士官だから艦載艇の指揮もする。もっとも本来の艦載艇は三つ子島に繋留された時点でどっかに取り上げられたので、上陸は「千鳥丸」という民間の渡し船を徴用して使ってた。艦載艇より大きいので艦に直付け出来ず三つ子島の桟橋に付けるのがちょっと格好悪いが一度に大人数を運べるので便利だった。
2015-05-27 20:30:43上陸前の下士官兵を前に訓辞もする。「サックは忘れるな」と言ったが、当時「サック」が何か知らなかった(笑)とか、そのまま何かでパクリたいエピソードである。
2015-05-27 20:33:13※サック……避妊具のこと。コンドーム
昭和20年でも4月29の天長節は酒保開けで昼間から宴会。兵学校では「こういう時は一升瓶を下げて部下のいる兵員居住区に行って一緒に飲むべし」と教わったのでマニュアルどうり、一升瓶持って出かけたらみんな大喜び。葛城の居住区は椅子や机は撤去されてるので、車座で茶碗酒。
2015-05-27 20:37:11みんなが次々に注いでくるが、兵学校出のお子様なので実質初めての飲酒。早々に酔っぱらって部下に担がれて士官候補生の区画に運ばれるはめになったが、酒を持ってきた上官を酔い潰して他の分隊に見せびらかしながら運んでゆくのが兵隊の名誉らしく部下のウケはよかった。
2015-05-27 20:40:45「葛城」を降りて潜水艦学校に行ったら兵学校の上級生がここでも上級生でぶん殴られる日々再び。後で同期に聞いたら特攻隊でも航空隊でもそうだったらしい。もっと「葛城」の乗っていたかった、とのこと。
2015-05-27 20:44:15@masatoshi_sanちなみに乗ってたら7月の空襲で戦死したかも知れないのでは?という質問には、同期で大淀や天城で戦死したのもいるよ、とあっけらかんと返されてました。
2015-05-27 20:46:02ちなみに戦後に撮影された「葛城」の居住区。難燃化のために木製の調度品はなくアンペラの上にごろ寝というワイルドな住環境だが、車座で茶碗酒とかは異様に似合う感じではある。 pic.twitter.com/iKhya0FnpF
2015-05-27 20:49:20