歴史上の小狐丸についての考察5/31更新

『刀剣と歴史』第91号に記された「小狐丸の刀二振りあり」という記事を契機に4月から歴史上の小狐丸について調べ始めました。考察方向は藤原摂関家の野太刀小狐がメインです。歴史上の小狐の実体、作刀者、名称の由来、鞘の装飾とかあります。小狐丸関連で宗近にもちょっとだけ触れていますが、自分がツイッターで呟いたメモとお世話になっているころくさんのツイートをまとめるだけなのでとても雑なものです。時期の早いツイートにミスとかあります。
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幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

摂家の小狐について私の疑問は ・作刀者はいったい誰なのか ・どういう経由で藤原師輔のもとに伝わったのか ・『保元物語』を語る琵琶法師の小狐宗近作説はどこから来たのか ・南北朝に近衛家から九条家に移ったあとどう紛失されたのか ・九条道孝が語った紛失のタイミングがおかしい です

2015-05-31 00:30:55

九条殿(藤原師輔)野剣=摂家の小狐前提で、古記録フルテキストDBで「九条 野剣」で検索したら、『殿暦』の元永1年10月26日の条より前の小狐の記録を発見しました。現時点で見つかった一番早い時期の記録は『中右記』寛治6年(1092)2月6日条となります。

幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

そうか、公卿たちの日記から小狐についての記述を探すにキーワードは「小狐」だけじゃなかったか…十一世紀末において、すでに小狐が師輔様の野剣として貴族社会で認知されていたなら「九条殿野剣(御剣)」も重要なキーワードだよな

2015-04-24 15:04:57
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

前に呟いたのですが、十一世紀末においてすでに小狐が師輔の野剣として貴族社会で認知されていたのであれば、「九条殿 野剣(御剣)」も重要なキーワードとのことで、古記録フルテキストDBで「九条 野剣」で検索したら、『殿暦』の元永1年10月26日の条より前の小狐の記録を発見しました。

2015-05-31 09:45:56
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

九条殿(藤原師輔)野剣=摂家の小狐前提で、公卿日記にある一番早い記録は『中右記』寛治6年(1092)2月6日の条、中納言藤原忠実が春日祭上卿として奈良へ下向するとき、小狐と思われる師輔の野剣を佩用したと。 「中納言殿令帯九条殿(藤原師輔)野釼給云々」

2015-05-31 09:51:08
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

次に『殿暦』康和5年(1103)7月24日の条、藤原忠実が奈良に下向 「余装束<薄色指貫、白單、同下袴、無出衣、〉着剣、〈野剣、〉件剣九条殿(藤原師輔)御剣也、取笏・紅扇、有絵」 元永元年(1118年)10月26日の条より前の小狐の記録が見つかってよかった...

2015-05-31 10:00:00

松平春嶽の「真雪草紙」に見られる摂家の小狐が九条家より紛失のタイミングについての疑問と仮設。

名刀幻想辞典の管理人にこの件について問い合わせましたが、保元の乱以後に近衛家に移ったらしい小狐がそれ以前のものと同一のものかどうかもわかりませんとのご返答です。

幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

藤原家の小狐の行方は「関白が鷹司冬平だった時に紛失」と「建仁寺大統庵にあったが紛失」 、二つの記録がある。 前者の出典は「後照念院装束抄」、作者は関白鷹司冬平ご本人(1275年~1327年2月11日)。信憑性は極めて高いと思われる。冬平が関白になったのは延慶四年(1311)。

2015-04-15 20:06:30
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

後者の出典は享保四年己亥二月十二日江戸幕府の老中久世大和守より越前福井の城主松平吉邦への、安波賀の春日神社にあった小狐丸についての照会の書。 久世大和守はいったいどこから「藤原摂家の小狐という太刀は建仁寺大統庵にあったが紛失」ということを聞いたか知りたい。

2015-04-15 20:20:10
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

松平春嶽の「真雪草紙」に記された九条道孝の話によると、九条家による相続の証である小狐丸が盗まれたのは「鎌倉時代以前の昔」...それこそタイミングおかしくない?鎌倉時代後期に小狐はまだ近衛家のもとにあったのだが...

2015-05-21 18:47:09
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小狐丸が九条家から紛失のタイミングについて 松平春嶽の「眞雪草紙」によると小狐が九条家から盗まれたのは「昔鎌倉以前歟...兄ノ子小狐丸を盗テ逃走す」と、平安末期から鎌倉初期に書かれた「玉葉」に小狐の記述はあるが、実際それを書いた九条兼実が小狐を所有したことはなかった→

2015-05-31 00:45:07
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

兼実が小狐に触れたのは直衣始の時でしたっけ?原文は「先例必用小狐、当時在前摂政(近衛基通)家」 つまり兼実は先例に従って小狐を使いたかったが、その小狐が前摂政近衛基通のもとにあって使えない、やむを得ず「海浦野劒」を用いたとのことです→

2015-05-31 00:51:16
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

あっ兼実が触れたのは直衣始じゃなくて春日詣の時でした。 小狐は藤原頼長の死後、近衛家に伝わって、摂家の他の者が氏長者摂政関白になっても小狐を使えなかった。近衛家の者だけが小狐を用いることができるとのことです。

2015-05-31 00:56:45
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小狐って頼長様死後すぐに近衛家に伝わったよね?『兵範記』に保元二年(1157)一月十二日に近衛基実が春日詣の時に佩用したとの記述があった。

2015-05-31 02:22:36
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

そして小狐は鎌倉末期の正安2年(1300)までに近衛家(近衛家平)のもとに小狐があって、南北朝の応安三年(1370)の四、五年前に九条家に移った(『後深心院関白記』)から、「眞雪草紙」が記したように小狐が鎌倉より前の時に九条家から盗まれたなんて(ヾノ・∀・`)ナイナイ

2015-05-31 02:24:19

村戸弥生氏の『遊戯から芸道へ―日本中世における芸能の変容』にある「小鍛治の生成」、小狐を宗近作とする最古の文献である『観智院本銘尽』は『保元物語』中の虚構としての小狐を継承したと。

幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

村戸弥生氏の『遊戯から芸道へ―日本中世における芸能の変容』にある「小鍛治の生成」を読ませて頂きました。相槌のモチーフを持つ狐の説話の部分も面白い。小狐丸に触れている部分をこれからメモします。

2015-05-30 23:29:26
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小鍛治の生成メモ1 ・『小鍛冶』は鍛冶による伝承の影響が特に強い。 ・能にでる太刀小狐を宗近作とした最古の資料である『観智院本銘尽』は小狐を一条天皇御宇に宗近が打った刀だと記したが、それは『保元物語』中の虚構としての小狐を継承した説で、摂関家伝来の実体としての小狐ではない。

2015-05-30 23:30:28
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小鍛治の生成2 ・名刀小狐の実体は昇進儀礼の場に帯される藤原摂関家相伝の儀杖用の野太刀で、『殿暦』『台記』等その時代の藤原摂関家の公卿の日記から確認できる。 ・小狐は『保元物語』に信西所持の太刀として出てくるがこれは虚構された記事である。

2015-05-30 23:33:07
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小鍛治の生成3 ・『銘尽』に『保元物語』の小狐が取り込まれたのは、漂泊民である琵琶法師と鍛冶が交流することで琵琶法師に語られていた虚構の小狐を鍛冶が伝承したためだと ・刀剣伝書編纂に同朋衆が関わったことから鍛冶や琵琶法師等漂泊民の抱え持つ伝承が伝書を通じて将軍大名公家へ流布する

2015-05-30 23:36:23
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小鍛治の生成メモ4 ・名剣、名工の名を語ることは名工集団にとって商売上の有利となるのでますます伝説化する。 ・「ある剣は、既に世上で有名になっている小狐の名前がつくだけで権威をもち、宗近作と言われるだけで絶大なる価値をもつようになっていたのである。」

2015-05-30 23:37:47
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小鍛治の生成メモ5 ・狐によって剣等の金属器がもとらされるモチーフは古くからある。 ・『吾妻鏡』に見られる余五将軍維茂の子、繁成が狐の化身の老翁から刀を授けられた話は鎌足が狐より鎌を授けられた話と関係があると思われる。

2015-05-30 23:38:25
幸たま@しばらく低浮上 @yukitama1999

小鍛治の生成メモ6 「石上神宮周辺にも『小鍛冶』同様相槌のモチーフをもつ小狐説話があるがそのような民間伝承説話、刀剣伝書のような文献、さらに相槌といった鍛冶の実際の身体モチーフなどが重層的に融合変形し観客に受け入れられるような形で能の台本へ取り入れられ『小鍛冶』は成立した。」

2015-05-30 23:39:20

鎌倉時代から南北朝までの摂家の「小狐」。渡部史之「藤原師輔の野剣「小狐」と摂関家」より

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