天叢雲剣譚【2-4】

天叢雲剣譚【2-4】。打ちひしがれた叢雲が思い出すもの。
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天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「大規模作戦?」 「ええ。東南アジア方面の輸送路確保が目的だそうよ。段階的に作戦を進めて、最終的にペルシャ湾近辺の資源確保。まあ順当ね」 机の前で唸っている彼女はばさりと書類の束を机へと叩きつける。その表情は浮かばない。 「何か不安なの?」 「不安というか……うん、不安だわ」

2015-05-29 23:07:04
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「貴女がそう思うなんて珍しいわね。変なモノでも食べたの?」 「失礼ね! これでも作戦の度に胃がキリキリ痛むんだから! 薬が手放せないのよ」 「あら、意外に小心者なのね」 「これでも全員生還をモットーにしてるのよ? 少しは労って欲しいわ」 彼女は頬を膨らませてぷりぷりと怒っている。

2015-05-29 23:14:46
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

彼女の名は雨野ミク。この潮岬鎮守府のれっきとした提督である。今は気の抜けた声でぶつくさ言っているが、海に出ればその表情は一変する。彼女の迅速な状況判断、的確な指示にかかれば絶望的な状況もオセロのようにひっくり返るのだ。日本にある数多の鎮守府の中で五本の指に入ると言われている。

2015-05-29 23:17:54
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

だがそんな彼女も陸の上に戻れば、街の中を歩く女性と何ら変わらない。艦娘と話に花を咲かせることもあれば、料理の指導をしたりと、その類を見ない多彩な才能を活かして、コミュニケーションを取っている。決して賢いというわけではないが、その能力の高さで艦娘からの評価は高い。もちろん私含めて。

2015-05-29 23:25:42
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「はいはい。それでどうするの?」 「ん? いつも通りよ。やることやって、作戦を成功させる。もちろん全員でね」 雨野提督は拳をパシッと反対の掌に打ち付ける。表情は自信に満ち溢れていた。それは決して慢心ではなく、そう感じさせる何かが彼女にはあった。 「貴女らしいわね。安心できるわ」

2015-05-29 23:35:11
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。ありがたく受け取っちゃおう」 雨野提督は頬に両手を当てて、嬉しそうに身体を左右に振っている。何処かの女子高生みたいな反応に思わず笑みが零れた。 「そうしなさい。それで作戦のことでみんなに伝えておくことはない?」 「あ、そうだったわ」

2015-05-29 23:38:39
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

今度は手を縦にポンと掌に打ち付けると、目の前に山積みにされていた資料の中から一組の束を取り出して手早くパラパラとめくる。 「五日後に私たちは潮岬を出て、佐世保鎮守府に向かうことになっているわ。そこで本営の艦隊と合流して、二日後には東南アジア方面にある敵泊地の殲滅にあたるそうよ」

2015-05-29 23:45:58
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

雨野提督はそれをすらすらと淀みなく読み上げると、資料を私に向けて差し出した。私はそれを受け取り、ざっと目を通す。おおよそ彼女が言った通りだが、ある一文が私の目に留まった。 「……未知の深海棲艦がいる?」 視線を向けると雨野提督はくるりと自身が座っているを窓の方向へと回転させる。

2015-05-29 23:49:14
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「そうらしいわ。しかも敵泊地、陸上型のね」 「陸上型。海上にいないってこと?」 「ええ。どういう理屈なのかはわからないけれど基地の上に腰を落ち着けて、艦載機や馬鹿でかい砲で攻撃してくるそうよ。本営の話では何種類か確認されているみたいだけれど、今回がどれなのかは偵察部隊の結果次第」

2015-05-29 23:56:01
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「……つまり、偵察が失敗に終われば、ぶっつけ本番の勝負をしないといけない。ってわけね」 私がそう返すと雨野提督は再び椅子を反転させて、満足げに頷いた。 「そういうこと。相変わらず理解が早くて助かるわ、叢雲。」 「この生活も長いもの。嫌でも物事を悪い方に考えてしまう癖がつくわよ」

2015-05-30 00:02:39
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「……万全を期す、って意味では悪くないわ。だけどネガティブにネガティブを重ねると、良いはずの未来が急に悪くなるなんてこともあるんだから」 「……どういうこと?」 「これね、好きな作品の受け売りなんだけどね。未来はレールのようなもの。最善のものから最悪なものまで等しく伸びている」

2015-05-30 00:12:40
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「へぇ。それで?」 「だけどそれは良い方から悪い方へ順番に並んでいるわけじゃない。最善が最悪のものの横にあることもある。揺れ動く未来は軽いボールのようなもので、少しの風、行動でも隣のレールに移ってしまう。それほど不安定なものなのよ」 「それなら、迂闊に行動しない方がいいじゃない」

2015-05-30 00:16:36
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

私がそう聞くと、雨野提督はふるふると首を横に振った。 「そうじゃないわ。少しの風、行動で動くってことは、それだけ変わりやすいってことよ。どれだけ絶望的な状況でも、ちょっとした行動で最善に動くかもしれないのよ?」 「でもそれだと、最善から最悪に転がることもあるじゃない」

2015-05-30 00:20:48
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

私が小首を傾げて尋ねると、雨野提督はきょとんとした顔でぼそりと呟いた。 「……それもそうね」 思わず膝から力が抜けそうになる。何とか踏ん張り、雨野に詰め寄った。 「あのねえ! 貴女が言ったことを要約すればそういことになるのよ!?」 「考えたことも無かったわ」 「はぁ……まったく」

2015-05-30 00:24:25
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

溜息混じりに呟く。こうやってポジティブにしか考えられないのが彼女の良いところではある。がしかし、これが何度も続くと秘書艦をやっている身としては少々身体が持たないのだ。 「たはー……すっかり失念していたわ」 「まあ、ポジティブなのはいいことよ。だけど楽観的すぎるのも考え物ね」

2015-05-30 00:31:54
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「いやはや、叢雲の言うとおりで……」 コツンと自分で自分の頭を叩く雨野提督。そういうところがまた彼女らしい。 「私としてはちゃんと指揮さえ執ってくれればそれでいいわ。全員が帰ってこれるならね。もちろん貴女もだけれど」 「大丈夫よ。ちゃんと全員、私が鎮守府で出迎えてあげるから」

2015-05-30 00:32:04
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「……そうね」 普段と変わらない彼女の言葉と表情。だがその一片に影があるような気がしてならなかった。それは些細なものだったが何処か胸の奥で引っ掛かるものがあった。 「どうしたの? そんな思いつめた顔して」 雨野提督に話しかけられ、ハッと我に返る。彼女は首を傾げて私を見つめていた。

2015-05-30 00:39:49
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「そんなに変だったかしら?」 そう恍けてみせるが疑いの籠った視線は消えない。素直にそれを伝える、という考えも浮かんだが、それは得策ではないだろう。だが……。 「ええ。すごく深刻な顔してた」 秘書艦である私が彼女を困らせるわけにはいかない。それが大事な作戦の直前ならなおさらだ。

2015-05-30 00:41:02
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「気のせいよ。貴女の指揮だもの、何を恐れることがあるというのかしら」 「それなら、いいのだけれど」 雨野提督は納得していない様子だったが、それ以上の追及をしてこなかった。しかしこのとき、私は取り返しのつかない、大きな過ちを犯していたのだ。後悔してもしきれない、大きな過ちを――。

2015-05-30 00:47:03
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

艦娘も眠りにつく夜更け。私は明日に控えた出発の準備を終えて、自分の部屋へと向う途中、執務室の扉の隙間から光が漏れているのに気付いた。 「まだ起きているのかしら」 音をたてない様にそっと扉を開けて中を覗き込む。すると山のような書類を机に積んで作業に勤しんでいる雨野提督の姿があった。

2015-05-30 00:47:42
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「あら、叢雲じゃない。まだ起きてたの?」 「それはこっちのセリフよ。貴女も一緒に向かうのに、こんなことをしてていいの?」 彼女も私たちと同様に、早朝には佐世保に向かう手はずになっている。こんな時間まで起きていれば支障が出かねない。部屋の時計を見ると時刻はすでに日付を越えていた。

2015-05-30 00:56:45
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「大丈夫よ。ちょっと睡眠時間が減ったぐらいでどうということは無いわ。私より自分の心配をなさい」 雨野提督は資料から目を離すことなく答えた。このままでは埒が明かないので、つかつかと彼女のそばまで歩み寄る。 「そうだけど……寝不足で指示を間違えるとか、みっともないことはしないでよね」

2015-05-30 01:03:31
天叢雲剣譚 @sio_murakumo

「大丈夫大丈夫。私のことなんて放っておいて先に寝なさい」 はぁ、とため息交じりに呟く。こういう返事のときは、彼女は梃子でも動かないことを私は知っていた。私は諦めと呆れを込めて、 「別に無理強いはしないわ。ただ身体の負担だけは考えておいてよね」 「わかったわ。……そうだ、叢雲?」

2015-05-30 01:04:29