州崎海軍航空隊の食生活について

戦争末期の州崎海軍航空隊の食糧事情がどのように改善されたのかという話。 ……そういうのもありなんだ。
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司史生@停滞中 @tsukasafumio

この前読んだ旧制高校の同窓会誌に載っていた、州崎海軍航空隊の主計長に任命された予備士官の話が面白かった。戦争末期の州崎航空隊では国内でありながら栄養失調者が続出し対処を求められる。食料は足りているはずだが、調べると古参兵が多くよそるので新兵には充分にまわらないのだ。

2015-05-31 23:16:22
司史生@停滞中 @tsukasafumio

そのうち地元の網本から、今年は魚を納入できないと通告があった。聞くと召集や勤労動員のため大謀網をかける人手がいないという。そこで網を借り受け航空隊の人員で設置することになった。これが大当たり。一時は獲物で膨れ上がった網が千切れないように網を切る騒ぎになった。

2015-05-31 23:21:13
司史生@停滞中 @tsukasafumio

大量の魚が連日水揚げされて航空隊の食糧事情は改善されたが、あまった魚を腐らせるのは勿体ない。たまたま焼津の水産加工会社が地元に作っていた缶詰工場が休業状態と聞きつけ、接収して缶詰を作りはじめた。

2015-05-31 23:23:23
司史生@停滞中 @tsukasafumio

こうなるとすっかり調子に乗って、漁船を借り受けてマグロ漁に手を出す。これまた大漁。折角だから大臣におすそ分けしようと築地に漁船をつけたら、魚河岸はたちまち人だかり。「この大きいのだけ三枚に下ろしてください。後は全て東京市民に差し上げます」

2015-05-31 23:28:44
司史生@停滞中 @tsukasafumio

一番いいところは直接届けて米内海軍大臣の酒の肴になり、残りは海軍省にとどけたら「美味しい鮨でした」と礼を言われたそうな。 そういうわけで航空隊の話なのに、漁労と水産加工の話だけなのであった。

2015-05-31 23:30:46