【民族教育は植民地主義から解放されなかった】

備忘録として
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弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

「朝鮮半島は日本の植民地から解放されたが、在日朝鮮人の民族教育は植民地主義から解放されなかった。」という言葉が、とても重い。板垣先生の意見書です。b.hatena.ne.jp/entry/doors.do…

2015-06-03 11:34:27
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件に提出した板垣意見書①「日本社会の中で民族教育が公的に保障されていないどころか、歴史的にはむしろ弾圧の対象となってきたため、民族教育を存続させることはそれ自体が政治的ないし社会的な運動としての性格を持たざるを得なかった」doors.doshisha.ac.jp/webopac/031001…

2015-06-03 10:25:41
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件に提出した板垣意見書②「運動なくして学校は維持できなかったし、現在保障されているような地位も獲得し得なかった。」「歴史的にその運動の要となってきたのが総連であるが、教育運動そのものは1955年に総連が結成される以前から広範に存在していたし、(続く

2015-06-03 10:29:41
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件に提出した板垣意見書③「さらにいえば1945年10月に結成された在日本朝鮮人連盟(朝連)によって組織化される以前から、植民地支配によって失われた物を取り戻そうとする民族教育が多様なかたちで全国的に展開されていた。」

2015-06-03 10:32:09
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件に提出した板垣意見書④「在日朝鮮人民衆の「下」からの運動は、学校の建設や運営に際して大きな力となってきており、単純に「上」からの動員や押しつけではこれほど広範で持続的な学校の展開は不可能であった。」

2015-06-03 10:34:43
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件に提出した板垣意見書⑤「第二は、そのこととも関わるが、書く朝鮮学校の運営に於いては、教職員、保護者を含む地域の同胞の自主的な人直が決定的な役割を占めているという点である。学校を建てるのも、維持するのも、修繕するのも、全て地域の同胞によっておこなわれている。」

2015-06-03 10:37:01
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件提出板垣意見書⑥「 教科書こそ全国で統一されているとはいえ、現場で使う教材などは教員が創意工夫で作成しているケースが多い。」「母親らの主に回でキムチ等を販売したりバザーを開催したりし、収益を学校に寄付する図書室の本も、自宅から持ち寄るなど、様々な手段で集めてきた

2015-06-03 10:48:09
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件板垣意見書⑦ 「そうした在日朝鮮人による手作りのローカル学校という印象が私には非常に強い。だからこそ市域の朝鮮学校の関係者にとって各学校は「自分たちの学校」という意識がたいへん強い。朝鮮学校のベースにこうした地域の自主性があることは以下の議論の前提としておきたい

2015-06-03 10:50:34
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件提出の板垣意見書⑧「「1935年の京都市における7~17歳の朝鮮人のうち男28.4%、女62.2%が不就学であった。そうした条項で京都の東九条、西陣、田中などの朝鮮人集住地区を中心に夜学や書堂などの簡易な教育施設が自主的に運営されていたケースがあった。」

2015-06-03 11:05:32
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件提出の板垣意見書⑨「「戦前の圧倒的な「日本」の存在の中で在日朝鮮人が細々とおこなっていたかかる夜学・書堂こそが日本列島における民族教育の源流である。ところが1935年頃になると、これらの教育運動ですら警察によって「民族的色彩濃厚」と判断され取り締まられた。」

2015-06-03 11:05:56
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

板垣意見書⑩「「特に朝鮮語の教育は厳しく弾圧された。(中略)こうして戦前の民族教育は「同化」の圧力の中、息を止められることになった。/このような民族教育弾圧の植民地的な背景があったからこそ、1945年8月~間もない時期に「国語講習書」と総称される多様な簡易教育施設が数多く作られた

2015-06-03 11:07:01
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

京都朝鮮学校襲撃事件提出の板垣意見書⑪「京都でも1945年に小学校の間借り、元協和会事務所、倉庫など多様な場所で28カ所開設されていたとの調査がある。同年には朝連の京都府本部も結成され、朝連による組織化が進められた。」

2015-06-03 11:11:48
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

京都朝鮮学校襲撃事件提出の板垣意見書⑫「これら一連の広範な動きは、植民地支配によって奪われていた民族教育の機会を、在日朝鮮人自らの手で取り戻す運動であったと位置づけることができよう。」

2015-06-03 11:11:58
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件に提出の板垣意見書⑬「ところが、1948年1月24日、文部省が「朝鮮人設立学校の取扱について」(1.24通達)を出し、学齢の朝鮮人児童生徒は公私立小中学校に就学させること、公私立小中学校では正規科目として朝鮮語等を教育できないこと、(続)」

2015-06-03 11:25:25
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

朝鮮学校襲撃事件提出板垣意見書⑭「学齢児童・生徒の教育は各種学校の設置を認めないことを都道府県知事に通達した。大阪、兵庫などではこれを受けて教育行政当局による朝鮮人学校の閉鎖措置が強行されたため阪神教育闘争として知られる大きな衝突があった。」

2015-06-03 11:26:19
弁護士 上瀧浩子 @sanngatuusagino

板垣意見書⑮京都では1949年「まず、10月1日未明に、陶化小学校内にあった京都第一朝連初等学校が強制閉鎖された。/結果的には1950年3月までに、殆どの朝鮮人学校が閉鎖されるに至った。朝鮮半島は日本の植民地から解放されたが、在日朝鮮人の民族教育は植民地主義から解放されなかった。

2015-06-03 11:27:46