- motoyaKITO
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やっとこれだけまとめられた…刃の向きに関して具体的な理由知りたかったからこれ聞けたのはホントにすっきりした! pic.twitter.com/SLFfUr3sZN
2015-06-22 00:11:16補足的指摘
@su_kokko すいません。どのような説明があったのかわかりませんが、太刀と打刀は派生が違います。もともと携行の為に佩用されていた太刀が時代とともに使用されなくなり、逆に腰刀や刺刀といった帯刀されていた短い刀がだんだんと長大になり太刀のポジションにとって代わりました。
2015-06-22 03:35:17仙台市民31歳。神聖童貞。在野派。 林崎流を中心に調査しています。諸事情によりリプライ・メッセージは読みません。中世文化研究/武道文化研究/居合文化研究/古武道/居合/柔術/剣術/林崎新夢想流/一宮流/田宮流/無楽流/片山伯耆流/関口流
@su_kokko 「一遍上人絵伝」からの引用です。太刀が佩用された中世の風俗を見ることが出来ます。中央のふたりのうち左側は佩用状態から、右側は太刀を返して抜きかけようとしています。刀を返して抜く方法が当時からあったことが分かります。 pic.twitter.com/3P0rSXQKI0
2015-06-22 03:55:03@su_kokko そもそも武士は四六時中甲冑を着込んでいるわけではなく、むしろ甲冑で武装する機会は少ないと言えます。それに対して市中闘争、略奪、暴行の機会に常時晒されており、この太刀を返して構える座姿勢が後の居合へと繋がっています。 pic.twitter.com/fW4zNwcOjS
2015-06-22 04:13:43@su_kokko 刀を返して帯刀することを一般的に天神差しと呼びます。この写真(幕末の仙台藩の武士)やリンクした動画のように刀を返して抜く方法も江戸期から存在します。 youtu.be/XUjUUe-tV5c pic.twitter.com/Yfm2fGKF93
2015-06-22 04:29:11@nakamura1301 @su_kokko 先に引用した座っている武士の絵を見ると、後向きの武士の左腰に赤い紐が見えます。一般的に鞘に掛けるようにしますが、もともとは鞘の先(鐺)に付けた犬招に通したと言われています。 犬まねき weblio.jp/content/%E7%8A…
2015-06-22 05:52:10@nakamura1301 @su_kokko 近世になって犬招が省略されることで鞘に掛けられるようになります。これが幕末の写真を見ると、鞘にぐるぐる巻きにする例も見られます。邪魔だったんでしょうね。近世は短かった下緒も近代に入って長くなり邪魔なので袴に結ばれるようになります。
2015-06-22 06:10:18イラストの意図説明
@kawamurakeishin リプライありがとうございます。ご指摘いただき、勉強になりました。太刀と打刀は派生が違うことは存じております。図の拙さから誤解を招いてしまい、大変失礼いたしました。貴重な資料画像も添付して頂き、非常に分かりやすい解説でした。ありがとうございます。
2015-06-22 05:01:38@kawamurakeishin 私が今回の図でお伝えしたかったことは、一般的に言われている「太刀は刃を上に向けておくもの、刀は刃を下に向けておくもの」という通説の由来について、実際に用いられていた時代背景や使用状況を踏まえてこのような流れからそのように用いられるようになった、
2015-06-22 05:03:30@kawamurakeishin という説明を座学にて聞かせていただき、かねてから疑問であったことが分かりやすく、そして納得のいく形で説明していただけたため、自分の中での理解を深めると共に情報を整理し、かつ他に疑問に思っている人への解説になればと思い図を描いたという経緯です。
2015-06-22 05:04:58@kawamurakeishin これらの解説はこれが唯一の理由であると断じているのではなく、このような通説が出来ていった由来の一つが戦場での使用状況、そして使用状況の変遷にあるのではという推測であることをご理解ください。太刀であっても刃を上にした状態で佩刀する、あるいは
2015-06-22 05:08:43@kawamurakeishin 刀であっても刃を下にした状態で差す、ということも当然あったであろうことは私も理解しています。こうでなければいけない、こうであるべきだ、という固まった持論を展開するつもりは勿論ありません。図においての言葉が足りず、不快な思いをさせてしまったことを
2015-06-22 05:10:24@kawamurakeishin お詫びいたします。私もつい先日刀剣に興味を持ち始め、少しずつ勉強を初めてきているただの初心者に過ぎません。今回は居合道場の講師の方からお話を伺ったため、ある程度確証のある説だと私が判断した上で、あのように図解させていただきました。
2015-06-22 05:11:56@kawamurakeishin 貴重な資料や解説をいただき、ありがとうございました。まだ未熟ではありますが、今後も一層勉強して日本刀への知識や見解を柔軟に広げていきたいと思っております。それでは、早朝のリプライ失礼いたしました。
2015-06-22 05:13:12後記
昨日の覚書メモについてリプライもらったけど、太刀でも刃を上に、あるいは刀でも刃を下にして身につけるという状況は確かに会ったと思うし、それは特殊なことでもなかったと思う。後の覚書で書くつもりだったんだけど、日本刀って当時の人達にしてみると、現代人の私達が考えてるよりずっと身近にある
2015-06-22 05:52:04ものだと思うのね。それこそ乗用車や、ボールペンや、スマホなんかと同じくらい。それだけ傍にあればいろんな場面で使われるだろうし、一つの使い方しか出来ないんじゃ使い勝手悪すぎるもんな。今でこそ美術品として大事に保管されてるけど、当時はただの道具だったわけだ。
2015-06-22 05:53:44もしかしたら資料にないってだけで、背中にしょって使ってた人もいるかもだし(忍者みたいに)、普段は釣竿として使われていたかもしれないし(長くて丈夫)、もしかしたら鞘を開けると中に徳川の埋蔵金のありかが記されていたのかもしれないし(糸井重里待ったなし)、そういうの考えるのが楽しいね。
2015-06-22 05:55:28あと流派によって刀の向きが違う、ということもあるみたい。だから昨日の覚書はあくまでこんな流れがあったらしいよーでも絶対じゃないよーってぐらいなもんで、使用状況を断定するものじゃないってことは理解してもらえると嬉しい。これはこういうもの!って決めつけるのは狭量だし面白くないもんね。
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