灰土地域全域を支配するのは、人類帝国と名乗る巨大な連合帝国だ。かつて人類帝国が覇権を勝ち取った大戦以降大きな戦争は起こっておらず、小国同士の小競り合いこそ頻繁に起こっているものの、人類帝国はしばらくの平穏な時代を過ごしている。しかし、それで眠りにつくというわけではない。 1
2015-07-01 20:06:50次の戦争に備えいかに強力な兵士を作るか……それを生み出す研究は途切れることはない。虚兵計画と呼ばれる最強の兵士を求める研究。その施設が帝都の外周の影のほうに大きく横たわっていた。白いセラミックプレートの無機質な外壁をした四角い建物だ。四角い穴のような窓が点々と開いている。 2
2015-07-01 20:10:10ルーデベルメ工廠という組織が研究を行う。静かな建物内は灰色の影で満たされていた。ゴウンゴウンと機械の作動音が響く。最新式エレベーターの音だ。狭いエレベーター内には二人の男女がいた。男のほうは腰が曲がった若い研究者である。髪がぼさぼさでちぐはぐな歯並びをしている。 3
2015-07-01 20:14:08女性は黒いスーツにタイトスカート姿である。名前をエリセという。政府から出向いて実験の成果を確認しに来たのだ。人類帝国は研究の全てをルーデベルメに一任していた。エリセは隣の研究者よりも若く、大学を出て職に就いたばかりであった。両手で書類を抱え、その一枚に目を通している。 4
2015-07-01 20:17:14虚兵計画……その可能性の一つ、電動人間の開発についての書類だ。電気の力で人間のポテンシャルを何倍にも引き出すというのだ。本当にそんなことが可能なのであろうか。エリセは隣の研究者に気になったことを質問しようとしたが、エレベーターはちょうどそこで止まった。 5
2015-07-01 20:20:03エレベーターを出ると、小さく区切られた実験室がガラス越しに見える、直線の通路が伸びていた。白い清潔な空間だ。エリセは研究者に先導されてその通路を歩く。ちらちらとガラスの向こうを見てみると、様々な実験器具や診察台のようなものがやはり白い清潔な空間に並んでいる。 6
2015-07-01 20:23:24白い部屋では水色の検査服を着た実験志望者たちが何人も検査を受けていた。実験は主に志望者を募って行われる。この施設では他にもさまざまな人体実験が行われているのだ。報酬は残りの人生を自由に生きられるほど支払われるが、危険も多い。最悪は失敗して安楽死だ。 7
2015-07-01 20:26:13エリセはこの施設に来るといつも重い気持ちになる。この施設の門を叩くのは人生に失敗し後が無くなった者たちばかりなのだ。昔は罪人などで実験をしていたが、彼らが力を手に入れ暴走する危険などを考慮し一般公募となった。それに同意を得ない改造は冤罪のときの裁判が怖い。 8
2015-07-01 20:29:02目的の電動人間を開発する実験室の扉を開いた。そこではすでに実験の準備が進められていた。五人の白衣を着た技師たちが、椅子に座った一人の被験者を取り囲んで装置をセットしている。装置の陰から被験者の顔が覗く。エリセはぎょっとした。被験者は……まだ若い青年だったのだ。 9
2015-07-01 20:32:07青年はエリセに気付くと、はにかんで笑った。青年はエリセと同年代のようだった。上半身は裸で、いくつもコードが貼り付けられている。コードは椅子から四方に伸びて周辺の機械と繋がれていた。白衣の技師たちは機械に表示される数値などをボードにメモしている。 10
2015-07-01 20:34:57離れたところで研究者に小声で青年について聞いてみた。どうやら金もなく街をぶらついていたところをスカウトされ、莫大な報酬と今後の研究に伴う援助を見返りに承諾したようだ。これは強制ではないし、脅迫のような行為も行われないものだ。しかし青年には選択肢はなかった。 11
2015-07-01 20:37:53エリセは気の毒になって、研究者に許可を取り青年と少し話をすることにした。同じ年代だというのに、エリセは大学を出て政府の官職という華々しい道を歩んでいる。青年の歩む道とはかけ離れた世界。初めは同じひとつの命だったのに。エリセは青年に怖くないか聞いてみることにした。 12
2015-07-01 20:43:54青年は笑って答える。「こんな僕でも役に立ててお金ももらえる。素晴らしいことじゃないですか」 エリセはそれを聞いてただ黙るしかなかった。「実験が成功したらしたいことはある?」 「ギターを弾きたいです。ギターを弾いて、色んなひとに聞いてもらいたいです」 13
2015-07-01 20:47:05「時間だ」 研究者が会話を遮る。すぐに実験が始まった。青年は椅子にベルトで固定され、舌を噛まないよう口にマウスピースをくわえさせられた。薬品が腕に3本ほど注射され、準備は整った。これから通電を開始するのだ。失敗すれば感電死だ。他の全員が椅子から離れる。 14
2015-07-01 20:50:37研究者は手にしたリモコンの二つのスイッチを同時に押す。すると、エリセは一瞬ばちっという音と僅かな空気の振動を感じた。青年は悲鳴を上げることなく一瞬で気絶した。少し焦げ臭いにおいがする。エリセは不安で口を開けたままだった。研究者たちは冷静に処理を続ける。 15
2015-07-01 20:54:37しばらくの沈黙の後青年は目を覚ました。実験は成功だという。ベルトを解き、身体に貼りついたコードを2本残して取り外す。研究者が試しに鉄パイプを青年に手渡す。すると、青年はそれをたやすく折り曲げ、誇らしそうにしたのであった。歓声を上げる研究者。エリセだけが悲哀を感じていた。 16
2015-07-01 20:57:55(そんな力が無くたって、ギターは弾けるのに。本当に、誰かの命を危険にさらして追い求めるべき力なの……?) エリセの無言の問いには、答える者が誰もいない。ただ彼女の脳裏に大きな疑問を残して消えた。これも、彼女の仕事なのだ。ただレポートに実験成功と書けばいいのだ。 17
2015-07-01 21:00:56研究室を後にしたエリセは研究者からいくつかの書類を手渡された。研究者は実験の結果と研究の進捗をエリセに報告する。「今回の実験は成功ですな。ただ、課題も多い。試作型の電動人間はまだ常に電源と接続する必要がありますな」 「えっ、電気がなければ……」 18
2015-07-01 21:04:02「死にはすまい。ただ、栄養失調のように気絶してしまう。携帯できる、大電力を発生させるジェネレーターの研究が不可欠ですな。これはまだ理論段階で……」 エリセは酷く悲しくなった……けれども、実験に成功し誇らしげな顔を見せる青年の喜びがどうしても忘れられなかった。 19
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