主日のミサの朗読箇所の勉強会「年間第14主日(B年)」

カトリック松戸教会で毎週木曜日に行われている「主日のミサの朗読箇所の勉強会」のまとめと感想(感想は出席者個人の見解
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海羊 @kaiyoh_michael

今週もフィリップ神父様の勉強会に参加しました。今日の内容は「年間第14主日」 次ツィートから感想 @catholicmatsudo

2015-07-04 01:17:36
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想1】 @catholicmatsudo テーマは「拒絶された預言者」 預言者は神の使いだが、必ず反対する人たちもいる。何故なら預言者から発せられる御言葉は決して容易なものばかりではないから。受け入れられなければ預言者にとって失敗

2015-07-04 01:47:02
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想2】 @catholicmatsudo 預言者は、自らなるものではなく神によって指名される」モノ。 その点については第1朗読に詳細がある。

2015-07-04 02:08:10
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想3】 @catholicmatsudo 第1朗読では、神は自分を受け入れない者達にも預言者を送る。預言者はよって指名される。故に力が神から与えられる霊が私の中に入り…」だから、人々がそれを拒もうとも預言者は人々の中にいる

2015-07-04 02:26:04
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想4】 @catholicmatsudo 「自分たちの間に預言者がいた事を知るだろう」 神は自分を拒む者たちにも預言者を送ってくださる。受け入れるか、受け入れないかは私たち次第

2015-07-04 04:15:22
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想5】 @catholicmatsudo 第2朗読は宣教には成功続きだった聖パウロも病を患い聖パウロは「サタンの使いを離れ去らせてください」と3度主に願う「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さのなかでこそ発揮されるのだ」と神は応える

2015-07-04 17:35:39
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想6】 @catholicmatsudo 神様から「力は弱さの中でこそ発揮される」と答えられた聖パウロは「キリストの力が私のうちに宿るようにむしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りにしましょう」と訴える。

2015-07-04 17:36:01
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想7】 @catholicmatsudo行き詰りの状態にあってもキリストのために満足している。何故なら、弱い時こそ強いからです。」それは「誇る者は主を誇れ」ということ。弱さ・侮辱・窮乏・迫害、様々な困難の中でもキリストは側にいる

2015-07-04 15:03:25
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想8】 @catholicmatsudo 聖パウロが3度祈ったのは「三位一体の神」への祈りを言っている。

2015-07-04 15:09:40
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想9】 @catholicmatsudo 福音朗読では、ご自分の故郷ナザレに帰り宣教活動をするがナザレの人々の多くはそれを受け入れない。何故ならイエス様が「大工の子」であることを知っているから。彼らにとってはあくまで無学な大工の子

2015-07-04 16:00:39
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想10】 @catholicmatsudo イエス様は「つまずかれ(理解されようとされず)」ごくわずかな人の病を癒されただけでその他は何も奇跡を行うことが出来なかった。それは人々の信仰が足りなかったから。

2015-07-04 16:12:49
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想11】 @catholicmatsudo 預言者(イエス様)を受け入れないという事は信仰が足りないから。人々の中の常識(前提)の中だけでモノを見ているから。その目は神様を観ず、人を見ている。回心していない」から。

2015-07-04 16:17:36
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想12】 @catholicmatsudo預言者が敬われないのは、自分の故郷・親戚や家族の間だけである」イエス様は言われた。ちなみにこの箇所の詳細はルカ福音書4:16-30にある。まさに福音を宣言されるシーンだが人々は受けいれない

2015-07-04 16:25:28
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想13】 @catholicmatsudo しかし、そんな人々には神様は預言者やイエス様を送ってくださっている。「自分たちの間に預言者がいた事を知るだろう(第1朗読エゼキエル2:5)神様はチャンスを与えてくださっているのだ

2015-07-04 16:35:26
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想14】 @catholicmatsudo 分かち合いでは、私たちが先入観なく人を受け入れているだろうかという話がされました。例えば、私たちは外国人や様々な前歴だけを見てその人を見ずレッテルを貼ってしまいその人を排除していないだろうか?

2015-07-04 16:55:16
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想15】 @catholicmatsudo 例えば、教会に来た人がもし「例えば前科があり刑務所から出てきた人」と知った時、私たちは目の前にいるその人だけを見てコミュニティのなかに受け入れる事が出来るだろうか?

2015-07-04 17:00:32
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想16】 @catholicmatsudo 日本は外国人には不思議な国だと感じると思う。それは異文化を排除する文化だからだと思うという意見も出された。そういう事を我々は行っていないだろうか

2015-07-04 17:03:53
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想17】 @catholicmatsudo 様々な前提の前に「本質」を見失っていないだろうか。私達は神様の救いを無視していないだろうか?

2015-07-04 17:05:46
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想18】 @catholicmatsudo 「信じる事」は「神を信頼して自分を委ねていく事」。目の前にある本質に目を向け、「主の平和(お互いが人の尊厳を尊重する状態)」がなされるように生きていけたらと思いました。

2015-07-04 17:10:17
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想19】 @catholicmatsudo また、神父様から「預言者は誰ですか」という問いがありました。神父様は「ミサの閉祭の時に派遣の祝福があります。みなさん1人1人が預言者です。洗礼の時に私たちはその役目をおいました」と…

2015-07-04 17:12:37
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想20】 @catholicmatsudo 「預言者に相応しい力はない」と思いましたが…神父様は重ねて「霊が私の中に入り、私を自分の足で立たせた(エゼキエル2:2)」とあります。神様は聖パウロの仰るように弱いものに力を授けてくれます」と

2015-07-04 17:36:55
海羊 @kaiyoh_michael

【フィリップ神父様の勉強会「年間第14日」感想21】 @catholicmatsudo 以上、改めて「信仰の難しさ」、そして、「その責任」を感じた勉強会となりました。

2015-07-04 17:23:57