19時に罠を張る時計仕掛けの蜘蛛セスランテラ【短編】

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――19時に罠を張る時計仕掛けの蜘蛛セスランテラ

2015-07-13 16:52:22
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ササメルは憤っていた。彼は定年退職して自然豊かな田舎の村に引っ越してきたばかりの資産家だ。憤怒の表情でベッドから上体を起こし、カーテンの隙間から洩れる朝日を浴びている。これで10日連続だ。ササメルを苛立たせる理由はただ一つ。昨晩から今朝までの記憶が無いのだ。 1

2015-07-13 17:01:14
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酒を飲み過ぎたわけではない。普通に夕飯を食べて、さぁ夜はこれからだ、と思った時である。そこからの記憶が無い。何かの病気であろうか。しかし、ササメルは毎朝決まって寝間着姿で、ベッドから起き上がるのだ。夢遊病? ササメルは理解できずに感情を怒りに変えるしかない。 2

2015-07-13 17:08:09
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怒りにまかせて飛び起きたササメルは、台所にどしどしと歩いていって冷蔵庫の蓋を開け、瓶入りの牛乳をラッパ飲みした。反射的に吐き出し、げほげほとむせる。妙に生温かく、酸っぱい。腐っている。おかしいはずだ。冷蔵庫の保冷が切れていた。「くそったれのルーデベルメ製品が!」 3

2015-07-13 17:13:18
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安心と信頼のルーデベルメ品質がササメルの脳を噴火させた。嵐のような勢いでササメルは村の診療所にかけ込み、離婚寸前の夫婦喧嘩のような勢いで症状を医者に説明した。医者はボンヤリとそれを聞いており、ときおり「ハァ、ハァ」というだけだ。ひと通りカルテに情報を書き込む。 4

2015-07-13 17:20:22
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ササメルの気が済んだ頃、ようやく村医者は話し始める。「それはセスランテラですな。間違いないですね」 「セスランテラ、何だそれは。聞いたこともないぞ」 「無理は無い話ですな。セスランテラはこの村の風土病のようなもの。おたくは最近引っ越してきたばかりでしょう」 5

2015-07-13 17:24:15
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「ふざけるな!」 ササメルは再び激高した。「この村で余生を過ごすと決めてから、1年だぞ! 1年調べた! 災害のリスクから、歴史、住民の質もだ! 風土病も調べたが無かったぞ! 嘘をつくな!」 村医者は落ちついて微笑んだ。「大丈夫、大丈夫です。害は少ないです」 6

2015-07-13 17:28:15
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「害ならある!」 「死なないんだから儲けもんですよ。セスランテラが何かご存じで? 蜘蛛ですよ。見えざる蜘蛛セスランテラ。遥か古代から生きている怪物。殺されないだけ、まだましですよ。慈悲深いものでしょう。時間しか奪わないんですから」 村医者は楽しそうに説明を始めた。 7

2015-07-13 17:31:56
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「セスランテラは夜の19時に網を張ります。そして、獲物と選んだものの時間を奪います。大体19時から朝の7時、12時間ということがわかっています。それ以外の実害は無し。獲物になったら死ぬまで時間を食われていきますが……そのせいでこの村は多大な利益を得ているんです」 8

2015-07-13 17:35:43
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「おかしいと思いませんか? 災害とは無縁、戦火に襲われることもなく、平和な、平和な村……これは古からのセスランテラとの契約なのですよ。まぁ、飼われてるとも言いますが。屠殺される家畜に比べればなんと慈悲深いことでしょうね。セスランテラは零落した神とも言われています」 9

2015-07-13 17:43:07
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「……騙したな」 ササメルは地獄から響くような言葉を漏らした。次の瞬間感情を爆発させる。「お前たち、騙していたんだろう! その化け物に餌を与えるために、情報を制限して、隠していたんだ。騙された……よくも騙したなぁ!」 そう言って代金も払わずに診療所を飛び出した。 10

2015-07-13 17:49:47
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すぐさま荷物をまとめて、村を脱出する用意を始めた。「餌になるなんてごめんだ……クソッ、買った土地も家も無駄になった。だが、金はまだある……今度はもっと深く調査せねば。裏金を渡してでも……隠されていてはたまらん」 時計を見る。12時。19時まではまだ時間がある。 11

2015-07-13 17:53:09
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村馬車に金を積ませてすぐ出発する。「やった……やったぞ。脱出成功だ。あとで裁判を起こさなくてはなるまいな。首を洗って待っておれ」 ササメルはいらだちを抑えずに呟く。馬車は16時には近くの都市へと辿りついた。中規模の宿場街で、道路がセラミックプレートで舗装されている。 12

2015-07-13 17:59:10
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宿に飛び込みで入る。部屋は空いていた。1階の酒場で酒とつまみを買いこみ、ササメルは自分の部屋のベッドに横になった。今晩は宴だ。束縛からの脱出。自由の凱旋。ササメルはだんだん眠くなってくる。彼は少し眠ることにした。まだ夜は長い。少し目をつぶるだけ……。 13

2015-07-13 18:04:13
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ドアを叩く音。ササメルはまどろみの中で苛立ち、ゆっくりと目を覚ます。見慣れた天井。一気に目が覚める。村の、自分の部屋なのだ! 逃げられなかった。テーブルの上には酒と冷めたつまみがご丁寧に置いてある。医者の声。「戻ってきてるんでしょ? 起きてください」 14

2015-07-13 18:09:32
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医者は続ける。「もう網にかかってるんですよ。逃げられないんですよ。秘密をばらそうとするものは、そういうことになるんです。出先で誰かに伝えようとしても、そのことをきれいさっぱり忘れちゃうんです。いくらでも言いふらす時間はありましたよね。どうして忘れたんです?」 15

2015-07-13 18:13:24
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ササメルは呆然として、ベッドから起き上がった。酷く喉が渇く。起きたばかりのせいだろうか。ササメルはそういうことにした。虚空を見つめながら、酒の封を切り、ラッパ飲みする。それは生ぬるく、酸っぱく、まるで腐ったような味だった。 16

2015-07-13 18:21:59
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――19時に罠を張る時計仕掛けの蜘蛛セスランテラ (了)

2015-07-13 18:22:09