チョコレート粉砕機#1
この世には見えないものが多すぎる。チョコレートだってそうだ。チョコレートにはたくさんの糖分が隠されている。それは目に見ることはできない。……成分が表示されていたら別だが、それはやはり別の話だ。しかし、真の危機や真理は、そういった見えないものにこそある。 1
2015-07-15 16:36:29チョコレートの色や綺麗な装飾はそれほど重要な要素ではない。目に見えない、肥満を進行させる糖分や、僅かな成分こそがチョコレートの本質なのだ。それは、世界の本質そのものである。やはり世界というのは、目に見えない真理が多すぎるのだ。世界とはまさにチョコレートであった。 2
2015-07-15 17:01:472月の帝都は寒さが厳しいが、人々の心は暖かだった。この季節になると、帝都の文化圏ではチョコレートを好きなひとに贈り合う習慣がある。商店では食料品店はもちろん雑貨屋までもがチョコを売る。そして1年分のチョコを2月の内に飽きるまで食べるのだ。まさにお祭り騒ぎだ。 3
2015-07-15 17:05:12排気ガスで灰色に汚れたセラミックプレートの街並み。その幹線道路を、物々しいワゴンの一団が駆け抜けていった。装飾のない頑丈な車体。警備会社のロゴが入った車が前後を護衛する。 その中心に挟まれているのは……一回り大きなワゴン。車体には、「ルーデベルメ工廠」のロゴ。 4
2015-07-15 17:09:26ワゴン車の一団が比較的細い道を通る。その瞬間を待っていた者たちがいた。突如爆発が起きる。先頭のワゴンが吹き飛ばされ、横倒しになり、道を塞ぐ。当然、一団は止まらなくてはいけない。後方のワゴン車からわらわらと警備員が出てくる。しかし、彼らを迎えたのは銃弾の雨だった。 5
2015-07-15 17:14:23「散開! 物陰に各自退避しろ!」 警備員たちは急いで車の陰に隠れる。何人も悲鳴を上げその場に倒れた。攻撃者は両脇を取り囲むビルの上だ。高低差を利用し、安全に銃撃を行う。「魔法使いは何をしている!」 「退避しています! 銃撃が激しく……視線を確保できません!」 6
2015-07-15 17:18:10魔法は万能ではなく、最大限に効果を発揮するためには対象を視線で捉えなければならない。相手の目を見れれば一撃だが、影すら視界に入らないとなると魔術の選択肢も大きく狭められる。ワゴン車の陰に隠れた詰襟の魔法使いは、銃弾避けの呪文を展開した。銃弾ならば、視界に入る。 7
2015-07-15 17:26:07弾幕が弱くなる。エリオは何とか中央の大きなワゴンから這い出した。エリオはルーデベルメ工廠の研究員だ。荒事に巻き込まれることは多いが、戦闘訓練は積んでいない。目の前に次々と銃弾が着弾する。銃弾避けの呪文さえ効いていれば当たらないはずだ。そう言い聞かせて、這いまわった。 8
2015-07-15 17:34:30「対魔法防護! 敵にも魔法使いがいる!」 警備員の魔法使いが叫ぶ。空間が歪み、エリオは虹色の光を空間に感じた。エリオはただの研究員だ。そして危機が迫っている。ここで彼の取りうる選択肢は、生き残ること。それだけだった。ひどく単純化された世界。彼は死にたくはなかった。 9
2015-07-15 17:41:37エリオは生き残るために、車列中央のワゴンからできるだけ離れようとした。「た、助けてくれぇ」 狙われるとしたら、ワゴンの積荷なのだ。彼にも積荷を守るという責任感はあったが、命の危機の前では優先順位が決まっている。エリオは砂だらけになってセラミックの道路を這いずった。 10
2015-07-15 17:47:17しかし、エリオは路地裏へ逃げ込む前に一度だけ振り返ってワゴン車を見た。その積荷は、まさにエリオの人生を賭けた発明品だった。それを失うことは、エリオにとって死を意味するほどのものだった。(奪われるのか? 俺の全てが……俺の人生が) エリオは、ただ見ることしかできなかった。 11
2015-07-15 17:53:31エリオは路地裏に転がり込み、ようやく状況を把握できる冷静さを取り戻した。見渡せば、路上に数体の警備員が横たわり、その上を銃弾が行き交っている。警備員たちは自分たちの車を盾に銃撃。襲撃者たちは素早くワゴン車へと乗り込み、それを陣地にして応戦する。 13
2015-07-15 18:05:07襲撃者たちは絶え間なく銃弾を放つ。警備員も、警備員側の魔法使いもそれを避けるのに精いっぱいのようだ。ワゴン車内に潜り込んだ襲撃者の一部が、大きなトランクを回収するのが見えた。エリオは絶望を感じる。そのトランクこそが、エリオの全てだった。しかし、どうすることもできない。 14
2015-07-15 18:09:58襲撃者側の魔法使いは、紫のローブを翻して大きく腕を振った。銃撃するものも、トランクを回収したものも、皆ローブの魔法使いの元へ集まる。「テレポートする気だ! 阻止しろ!」 警備員の誰かが叫んだ。誰が阻止できるだろう? エリオは銃弾の嵐の中へと突っ込みたかった。 15
2015-07-15 18:15:33やがて襲撃者たちは蜃気楼のように揺らぎ……跡形もなく消えてしまった。「短距離テレポートのはずだ! 周辺の警戒を……」 警備員が叫ぶ。無駄だろう。襲撃者は念入りに計画を練っている。短距離テレポートで逃げ込める地下通路でも用意しているはずだ。全てが終わったのだ。 16
2015-07-15 18:18:21エリオは自分の研究室に帰還した。応接用のソファに倒れ込むように沈み、力無く右手の書類……今回の失態をまとめなくてはいけない書類をテーブルの上にぶちまけた。今は何も考えたくは無かった。警備の薄さとか、事前に安全を確認すべきだったとか、ダミーのワゴンを用意すべきだったとか。 18
2015-07-15 18:20:41そうした無意味な反省と改善策、後の祭りの全ての思考を放棄して、彼はソファに横になり悶絶していた。彼の開発していたのは、見えない兵器だ。拳銃より秘匿性がある暗殺兵器。あらゆるセンサーや魔法探知をかいくぐる、絶対に見つからない兵器だ。これが意味することは、残酷な現実だった。 19
2015-07-15 18:23:18けたたましい音を立てて電話が鳴る。エリオは死体のようにゆっくりと起き上がり、電話を取った。「はい、エリオです」 「エリオ君。いますぐ憲兵庁に来てくれ。見えない兵器の対策班の技術顧問になってもらう」 「無理です。アレは私自身にも見つけることができません」 20
2015-07-15 18:25:53「できないではなく、お前しかないないのだ。何とかしろ」 そう言って電話は切れた。相当急いでいるようで名も名乗らなかったが、声質からルーデベルメ工廠の上司だということは分かった。「行くしかない……俺しかいないんだ」 エリオは死んだ目でジャケットを着替えた。 21
2015-07-15 18:28:53