- tebasaki_s
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空母保有国で悪目立ちしてしまった例の辞典、現物は見てないのですが、実質的戦力として空母を運用できたのは三カ国のみだったという説明なら許容できると思う。ただし艦隊航空戦力としてはベアルンより有力な水上機母艦コマンダンテストと艦載機のLate298などに言及する必要はあるだろう。
2015-07-20 23:25:44@masatoshi_san 艦隊航空戦力をどのように構築するのかと言う点については国毎に試行錯誤があり、ある時機までは正解もわからない。水上機母艦と比して空母の方が絶対的に優れており、それのみで海軍力の優劣を比較できるという視点は現代の常識に胡座をかいたものじゃないかな、と。
2015-07-20 23:35:56ちなみにコマンダンテスト、1930年代後半には攻撃力としては九六艦攻程度のLate298を12機搭載してるから軽空母程度の打撃力はある。コイツの存在って、たぶん日本海軍の千歳型水上機母艦に影響与えてると思います。艦載水上機を攻撃的に運用する水母としてね。
2015-07-20 23:44:40@masatoshi_san コマンダンテストの起工は昭和2年、千歳は昭和9年度のマル二計画艦。そしてその間には昭和5年のロンドン条約があり小型空母を含めた補助艦艇整備によってワシントン条約の制限下で対米軍備を構築しようとしていた日本海軍の構想が崩壊してる。
2015-07-20 23:49:58@masatoshi_san 本来なら条約制限外の小型空母(龍驤型、原案では搭載機24機)で整備するはずの補助的空母戦力の整備が不可能になった部分を水上機母艦として整備したのが千歳型みたいな部分があったのだろうと。その意味ではコマンダンテストの日本的解釈が千歳型だろうな、と。
2015-07-20 23:54:59@masatoshi_san まぁ千歳型は日本海軍固有の理由で秘密兵器的な性格を付与されますし、搭載が予定された十二試二座水偵(水上爆撃機)の開発が失敗したので攻撃的な運用はなされなかったわけですが。や、何が言いたいかというと1930年代末の時点では水母は馬鹿にできないぞ、と。
2015-07-20 23:59:20コマンダン・テストは軍縮条約締結後に建造された水上機母艦の中でも異質の存在だと思う。フランス海軍は水上機母艦の条項において日英米と違い速力と射出機数の制限がなかった(排水量はもちろん制限)ので空母の補助戦力の水上機母艦という点では3カ国に比べ少し有利だったというのがある
2015-07-21 00:34:47@masatoshi_san ラテコエール298の前の代のグールドゥ・ルスール GL-832HY水上偵察機にはない攻撃能力が付加されたのが、注目に値するかな、と思います。
2015-07-21 20:01:15@yamapanski 登場時期を考えると、水上機としてはそこそこの性能ですしね。戦後も長く使われたりしてるあたり、飛行機としてのスジはよさそうですし。
2015-07-21 20:05:04