- matsudayuuichi
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自由社の社長が加瀬英明である効果がじわじわ効いてきて、そろそろ「つくる会」と「日本教育再生機構」の関係修復が完了するかもな。無論、「日本教育再生機構」による「つくる会」の吸収合併という形で。 …まあそれ、最悪の結果なんだけどな
2015-07-27 08:04:31で、教科書採択の時期になると痛烈に思うのは、 「慰安婦問題は日本の排外主義の1丁目1番地」 ってことだ。むろんこれをもっとつきつめると、「1丁目1番地1号にはミソジニーとマチズモが住んでいる」ということなんだけど、とにかく、慰安婦問題だ。
2015-07-27 08:16:32「そこはかとない右傾化」の嚆矢として真っ先に皆が思い浮かべるのが、1996年の「新しい教科書をつくる会」の結成なんだろうとおもう。小林よしのりとか西部邁とかもいてね、目立つには目立ったわけだ。
2015-07-27 08:30:1796年の「つくる会」の結成とその後の運動が鮮烈な印象を与えた/与え続けている証拠に、いまだに育鵬社の教科書をメディアが報道するとき「つくる会の元メンバーらが作った」と紹介する。ほんまは、育鵬社の教科書は、「つくる会」と敵対関係にある「教育再生機構」が作っているにもかかわらずにだ。
2015-07-27 08:32:09で、「いま僕たちが感じる右傾化」の源流を「つくる会」あたりに求めてる考え方って、「右傾化分析」論考の主流でもある。その代表例が上野・小熊の「癒しのナショナリズム」だろうし、樋口先生の「日本型排外主義」も分析は90年代中頃までしか遡らない。
2015-07-27 08:36:31もちろんのことながら、「いま僕たちの前に広がるそこはかとない右傾化」を丹念に歴史として遡っていけば、それこそ、平田篤胤とかそんなところまでいくんだろうけど、直接、人的なつながり 資金的なつながりということで考えたら、そんなところまで遡る必要はない。
2015-07-27 08:38:29とはいえ、「96年のつくる会の結成が濫觴」というのも、端的に言えば誤りだ。 これは、「教科書作成と教科書採択運動がいま僕たちの前に広がる右傾化の中央運動」という考え方 だ け に基づいても間違っている。 「つくる会」のほんの少し前に、「新しい教科書」運動はあったわけだから。
2015-07-27 08:41:58「つくる会」結成が1996年。 そのちょうど10年まえの1986年、「新編日本史」(原書房)が文部省の検定で修正につぐ修正をもとめられる。検定は通ったが、採択率はわずか1% これが、(いま僕たちが知っている形での)「教科書問題」の濫觴だ。
2015-07-27 08:46:561986年に出された「新編日本史」が修正を求められたのは、あまりにも極端に右傾化していたからだ。いまの育鵬社の教科書より凄まじい内容。 ちなみに、この教科書を作ったのは、「日本を守る国民会議」 そう、いまの「日本会議」の前身団体だ。
2015-07-27 08:49:31なので、「いま僕たちが知っている形の教科書問題」っつーのは、96年の「つくる会」結成 ではなく、86年の「新編日本史問題」まで遡って検討されるべき問題なわけだ。なぜならば、「新編日本史」こそが、「右傾化教科書を採択すべきかどうか」論の初出なんだから。
2015-07-27 08:52:39家永三郎という人が偉いなとおもうのは、家永三郎は、この「新編日本史」が文部省から修正につぐ修正を求められた時に、「だから検定制度はダメだと言ったんだ」とコメントしたこと。思想的立場は真逆なのに。 やっぱり偉い人は偉いんだよ。
2015-07-27 08:56:05閑話休題。 とまれ、86年の新編日本史採択問題は、それまでの「教科書問題」という言葉が指し示す範疇を変えてしまった。 それ以前は「教科書問題」という言葉は、「検定制度の是非」もしくは「周辺国の注文」を意味する言葉だった しかし、86年以降「右傾化教科書をどうするか」になる
2015-07-27 08:58:25「新編日本史」は教科書事業として採択率!%という大失敗に至る。でも「日本を守る国民会議」(いまの日本会議の前身)のキャンペーンは凄まじいものがあった。黛敏郎がテレビで宣伝したりね。
2015-07-27 09:01:26でしょ?あの頃の話 RT @Kumappus: @noiehoie あったあった、「題名のない音楽会」何度も潰して宣伝してましたね。
2015-07-27 09:05:41で、この時の「日本を守る国民会議」のキャンペーンで特徴的なのは椛島有三の存在。管見が及ぶ範囲で、椛島有三が一般雑誌に寄稿した事例は、文藝春秋1986年9月号の「「新編日本史」を襲った外圧と内圧」のみ。 「陰の男・椛島有三」が一般雑誌に露出したのは、この時だけだ。
2015-07-27 09:03:41つまり、椛島有三が文藝春秋に寄稿するぐらい、「日本を守る国民会議」による「新編日本史」採択運動は、苛烈を極めたということ。にもかかわらず、大失敗をする。 それから10年後、「つくる会」が発足した。 。。。事務局員、誰がやってたと思う? って、もう想像つくよな?
2015-07-27 09:09:15「つくる会」は96年の発足以降、内紛に内紛を重ねる。その第一弾が、発足2年後に事務局長の草野隆光の解任。その理由が「事務局員との確執」っつーのが、象徴的だわな。 その後、幾度かの紆余曲折を経て、宮崎正治が事務局長に就任する。 この宮崎正治は、日本青年協議会の設立メンバーだ。
2015-07-27 09:16:00で、今回、東京都で育鵬社の教科書が採択された。この育鵬社の教科書をつくったのは「日本教育再生機構」。ここの唯一の専従役員は、宮崎正治 つまり、宮崎の経歴は 日本青年協議会の設立メンバー → つくる会の事務局長→ 日本教育再生機構専従役員 30年前から同じことやってるわけだ
2015-07-27 09:20:38